第29話 ささやかで騒がしい宴

 アリーシャが持っていた瓶は、バーカウンターの端っこにひっそりと置かれていたそうだ。瓶の蓋を開けてその匂いを嗅いでみるに、確かに甘い香りがする。サンドラの言葉を借りるならば、大よそ酒場とは無縁であろうものだ。


「これ、ハチミツか?」


 ポツリと、俺はそう呟いた。種類によってハチミツは強烈な臭いを発するものもあるらしいので、香りから断言する事はできない。しかしこの色合いといい、ねっとりとした質感といい、どう考えてもハチミツとしか思えない。


「ハ、ハチミツ!? そんな超高級品、うちに置いてる筈ないよっ!?」

「でも、あそこにあったよ? ほら、キンちゃんが寝てる台の、一番端っこ側」

「ほ、本当だ……!」


 アリーシャが指し示した先には、俺が今持っている瓶と全く同じものが置かれていた。どうやら酒や食材と同じく、取り出したら自動的に補充される仕様になっているようだ。


「サンドラ、ハチミツって高級品なのか?」

「そりゃそうだよ! 少なくとも私の国では高級品も高級品! 貴族や王族だって、そうそう口にできるものじゃなかったね! 私なんて、言われるまでこれがハチミツだって分からなかったし! 初めて目にしたし!」


 サンドラの驚きようを見るに、そもそもハチミツは庶民が手を出せる代物ではなかったっぽい。文明の発展具合によって価値が違うっていう、アレかな? 大昔は胡椒が金と同価値だったというし。しかし、そうなるとこのハチミツが酒場に備蓄されるようになった理由が分からない。王族も稀にしか食べられないレベルで希少となれば、この酒場の店主が秘密裏に所持していたとも考え辛いよな。


「ねえねえ、お兄ちゃん。ちょっと舐めてみても良い?」

「わ、私も食べてみたいかも…… ちょっとだけ、ちょっとだけ!」

「待て待て、ハチミツかもって俺が予想しただけで、まだ決まった訳じゃ―――」

「―――ベクト、それは間違いなくハチミツですよ」

「ゼ、ゼラ?」


 それまで静かにお酒を飲み続けていたゼラが、椅子からガタリと立ち上がり、このタイミングでまさかの断言をしてくれた。その声に俺が振り向くと、テーブルの上には三本目のドワーフ殺しの空瓶が。 ……ゼラさん、もしかして飲み干したから会話に交じり始めたとか、そんな訳じゃないですよね? そのまま歩き出してバーカウンター裏に向かってますけど、四本目のドワーフ殺しに手を出すつもりじゃないですよね?


「白の空間に顕現した施設や場所は、互いに影響を及ぼし合う力があるのです。それ単体のみでは不可能であったとしても、不足している要素を補うものが他にあれば、そこより新たな力を抽出する。今回のハチミツの件は正にそのケースでしょう」

「え、ええっと…… つまり?」


 四本目のドワーフ殺しを無事入手したゼラさんが、再び元の場所へと着席。


「ベクトが有する白の空間には現在、アリーシャの花畑とサンドラの酒場が形成されています。花畑は草花の恩恵を、酒場は飲食の恩恵を司る場所。つまるところこれらが作用し合い、アリーシャ努力によって拡大した花畑が、その一瓶分のハチミツをもたらしたと考えられます」

「それじゃあ、このハチミツはアリーシャの花畑から採れたものって事か?」

「そうなりますね」


 おいおい、白の空間ってそんな力もあったのかよ。例えばの話、今後牧場ができたとしたら、酒場には乳製品が卸されるって事だろ? 薬屋みたいなものがあれば、花畑との相乗効果ですっごい霊薬ができたり――― これって青霊を助ける毎に新たな施設ができるだけじゃなく、既存の施設も強化されるって事じゃないか。オルカが青霊の協力は必須と言っていたのも納得である。


「ア、アリーシャ凄い! ハチミツを生成するだなんてっ……!」

「うん?」


 抱きっ! と、アリーシャに抱きつき頬ずりをするサンドラ。当のアリーシャは何を褒められているのか分かっていない様子だ。


「という事で、そのハチミツは口にしても問題ありません。試しに味見をしてみては?」

「お、おう。そうだったな」

「ちょっと待って、スプーン! スプーン取ってくるから!」


 慌ただしく調理場に駆け出すサンドラ。それから彼女が持ってきたスプーンにてハチミツをすくい、一人一人の手に味見程度の量を垂らしていく。視線でいくぞと頷き合い、ぱくり。


「「「……うまー!」」」


 その後、酒場にあったパンにハチミツを浸して食す、ジュースに入れて飲んでみるといった大試食会を開催。ああだこうだと、今ある食材でできる料理の応用法を考える展開に。そして結局はどんちゃん騒ぎの宴へと至り、四人で憩いのひと時を楽しむのであった。



    ◇    ◇    ◇    



「ふわぁ…… 滅茶苦茶食べて飲んだから、眠気が出てきたっぽい。にしても、今日はいつになく頑張ったな~」


 ベッドに寝そべり、手の先から足の先まで、体を限界まで伸ばす。ここは酒場の二階にある住居スペース、その一室。サンドラが言うには、ここは元々マスターさんが経営する宿でもあったそうなのだ。住み込みで働く従業員もそれなりにいたらしく、二階には何部屋かこういった個室が並んでいた。折角これだけの部屋があるのだからという事で、一人一人に自室として部屋を割り当てる事を俺が提案。満場一致で案は採用され、今に至るという訳だ。しっかし、大猫様様だな。黒の空間じゃ建物の廃墟化が酷くて、二階なんて完全に崩れていたってのに。


『それも当時の建物として完全に顕現した今ならば、話は別じゃよ。瓦礫で塞がれていた扉も修復され、その奥にあった階段も健在じゃった。ベッド完備な設備で良かったのう、相棒』


 ベッド脇のサイドテーブルに置いたダリウスが、思い出したかのように声を発する。ああ、まったくだよ。ちゃんとした寝具に横になるなんて、一体いつ振りの事だ? 少なくとも、俺の記憶にはない。あ、花畑で眠るのも、あれはあれで解放的で良いものだったんだけどな。


『オルカとかいう娘も言っておったが、相棒の巡り合わせは極端じゃて。まあともかく、これにて最低限の衣食住は確保できたといっても良いじゃろう。相棒、今回の探索でぐぐっと成長できた事じゃし、そろそろ大黒霊に挑む? 挑んじゃう? ワシ、そろそろナイフから脱却したいのじゃが』


 一応、ダリウスナイフっていう自覚はあったのか。 ……もしかしてお前、さっきの宴会に交じりたかったのか? だから大黒霊を倒して、早く喋られるようにしてって事?


『そそそ、そんな事ある訳なかろう! 微塵も思ってないわい! 別に寂しくないし!』


 ど、どんだけ嘘が下手なんだよ…… まあ、気持ちは分からなくもないよ。ダリウスだって、たまには俺以外の誰かとも会話とかしたいよな。だけどさ、今はまだその時じゃない。成長したと言っても、オルカが示したステータスには届いていないし、今回キンちゃんにストックしてもらった霊刻印の試運転だって、まだ全くしていないんだ。焦らずとも時間はある。何をするにしても油断せず準備は万全に、それが探索者にとっての長生きをする秘訣だろ?


『……フッ、変に舞い上がってはおらんようじゃな。ワシ、一安心。ところで相棒、どうやら御客人が来ているようじゃぞ?』


 なぬ?


 ―――ガチャ。


 不意に部屋の扉が開かれる。俺がベッドから起き上がろうとすると、そこには寝間着姿のアリーシャがいた。


「お、お兄ちゃん、まだ起きてる?」

「アリーシャ? どうした、眠れないのか?」


 黒檻の住人である俺達には、本来眠るという行為は必要ない。が、食べると同じく、やろうと思えば眠る事はできる。人間としての心を忘れない、壊さない為にも、俺は人間らしい欲求をできるだけ叶えるよう心掛けていた。そんな俺の真似をしてなのか、アリーシャも眠る! と言って自分の部屋へと行った筈なんだが、もしかして青霊は眠らないのかな?


「ねえ、アリーシャも一緒に眠っていい?」

『お、相棒に春が来たか? セカンドシーズン、いや、サードシーズン?』


 とりあえず、ダリウスナイフを部屋のタンスの中に突っ込んでおいた。

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