第28話 食は大切

「フゥ、フゥ……!」

「殿、落ち着きましたか?」

「誰が殿であるか……!」


 アリーシャとの戯れがひと段落したキンちゃんに声を掛ける。あれから小一時間ほどもみくちゃにされ、キンちゃんはすっかり疲労困憊状態。流石に擽られ疲れたのか。一方で満足するまで遊んだアリーシャは、心なしか肌ツヤが良くなっている。今はゼラの向かいの席に座って、サンドラに出してもらったジュースを飲み、更に満足している様子だ。


「今更ですけど、アリーシャに遊ばれるのは良いのですか? 失礼なようでしたら、あまり無茶はしないようにと言っておきますが」

「たわけが。小娘一人の相手くらい、余であれば余裕でできる。現状維持で良い」


 良いのか? まあ、キンちゃんも何だかんだ楽しんでいたみたいだし、やっぱり良いのか。


「ところでベクトとやら、何やら思い悩んでいる様子だな? 話を聞くに、霊刻印がどうと言っておったようだが?」

「あ、はい。魔具に刻む霊刻印の枠が足りなくて、どれを外すか思い悩んでおりまして。外した霊刻印は完全消去されるので、ここが考えどころなんですよ。って、キンちゃんにそんな事を言っても分からないかもですが」

「たわけがっ! その程度の事、余が理解できない訳なかろう! それになんだ貴様、余をキンちゃん呼びするとは無礼であるぞ!」


 ええっ、アリーシャにもずっとキンちゃん呼びされていたのに…… キンちゃん、やけに子供に甘いじゃないの?


「……キングさん、で良いですか?」

「フン。勝手に名付けられた名ではあるが、百歩譲ってそれで良い。それで、その霊刻印についてだが、この仮住まいと給仕の小娘を助けてくれた礼として、余が一つ手助けしてやろう。魔具から外した霊刻印のうち、二つまでを余が保管しておいてやる」

「はい?」

「何を呆けておるか。二つも保管できるのであれば、それほど着脱に迷う必要もなかろう?」

「い、いえ、それはそうなんですが……」


 余った霊刻印を消去する事なく、二つまで預かってもらえる。それは今の俺にとって、これ以上なく助かる提案だ。ただ、それを気軽く言ってくれるキンちゃんは、一体何者なんだ? アリーシャとの絡みを見る限り、悪い奴ではないと思うんだが…… うーむ、謎は深まるばかり。今度、こっそりゼラかオルカに聞いてみようか。


 それから俺はゼラに『耐性・感染』の霊刻印をレベル2へ上書きしてもらい、その後キンちゃんに『咆哮レベル3』と『嗅覚レベル2』を預かってもらうようお願いした。『感染』と『跳躍』は比較的安易に入手可能なので、今回は見送りという形である。さて、キンちゃんはどうやって霊刻印を保管するのだろうか?


「ではキング、この二つをお願いします」

「うむ。その程度であれば小腹を満たす程度であろう」


 そんなやり取りをした後、ゼラがキンちゃんに向かって何かを放り投げた。小さなナッツ程度の大きさの、光る玉のようなものだ。すると次の瞬間―――


「ハグッ! ハングッ!」


 ―――キンちゃんがその場で跳躍し、ゼラが投げた光の玉二つを器用に口でキャッチ&キャッチ! そしてイート&イート! うん、バッキバキ食べてるけどえええっ!?


「わあ、キンちゃんお上手~!」

「おー、キングの芸は相変わらずキレがあるねぇ。お客さんが餌を投げたら、絶対にキャッチするという酒場の狩人。益々腕に磨きが掛かったと見た!」

「いやいや! たぶんアレ、餌じゃなくて霊刻印なんですけど!? 思いっ切り噛み砕いているんですけどっ!?」

「ゴクン。そう焦るでない、ベクトよ。余の腹の中で保管しやすい形にしたまでだ。出す時はちゃんと元の形に戻してやる。安心せよケプッ」


 お上品にげっぷを出すキンちゃん。どう見ても俺には、芸達者な猫がおやつを食べているようにしか見えなかったのだが。


「……ちなみに戻す際は、どのように?」

「む、もう戻せというのか? もちろん逆の行為をする必要がある。このように猫草を食し、毛玉と一緒に吐き出せばおええぇ!」

「ス、ストップストップ! 別に今は吐き出さなくて大丈夫ですから!」


 全力でキンちゃんを止める俺。特殊過ぎる霊刻印の保管方法ではあったものの、その原理は何となく理解した。本当に腹の中で保管しているのだ。キンちゃん、マジで何者だよ。


「ハァ、ハァ…… い、今は二つまでにしているが、ベクトが余に相応の献上物を持って来るのであれば、更に保管できる量を増やしてやらん事もない。日々精進するように」

「りょ、了解です」


 それっきりキンちゃんは、横になって眠ってしまった。献上物って、猫缶とか猫じゃらしを持って来いって事か? 果たして黒の空間に、そんなものがあるだろうか? ……あとキンちゃん、お腹丸出しで寝てると、またアリーシャにもみくちゃにされるぞ。


「ふう、取り敢えずはこれでひと段落かな」


 デブ猫に占領されたカウンターから、アリーシャ達の座る席へと戻る。


「ベクト、アンタもこっちに来て座りなよ。少しはゆっくりしたってばちは当たらないって!」

「お、おおう?」


 席に近づくや否や、今度は笑顔のサンドラに手を引かれ、アリーシャとゼラの間の席へと強制着席させられてしまう。テーブルの上には空となったドワーフ殺しの酒瓶、そして二本目となる新たなドワーフ殺しが置いてあった。 ……ゼラさん、割って飲んでるにしては、ペースがやたらと速くないッスかね?


「何か食べたいものとかある? 助けてくれたお礼って訳じゃないけどさ、真心込めて作ってあげるよ?」

「食べたいものか~…… あ、そうだ! サンドラ、アップルパイって作れるか!?」


 ここ一番の力強さで聞いてみる。いや、だってチャンスだったんだもの。


「っと、急に熱くなったね。ところで、あっぷるぱいって?」


 サンドラの反応を見て、あ、これは知らないなと確信。俺は丸テーブルに顔を埋めた。


「ちょ、ちょっと、そんなに落ち込まなくたって良いじゃない! 私が知らない料理だったとしても、そのレシピが分かれば作れるよ! これでも酒場の厨房に立った事だってあるんだから!」

「レ、レシピ、だと……!?」

「うわ、その反応は知らないって感じだね。じゃあどんな料理なのか、そこだけでも教えてよ。似たものを作れるかもしれないし」


 料理の知識がない俺であるが、身振り手振りでアップルパイの魅力について説明した。それはもう、頑張って説明した。


「―――というリンゴのお菓子なんだが、どうかな?」

「わ~、美味しそう~。アリーシャも食べたいなぁ」


 俺の熱意が伝わったのか、隣に座るアリーシャの瞳は終始輝きっ放しだ。一方、サンドラはどうかというと、眉をひそめて唸っていた。


「いやー、それは無理。うん、無理だ」

「割ときっぱり言い切ったね!?」

「だって、ここは酒場だよ? そんな洒落たお菓子なんて、作った事も作る材料もないって。ゼラが満足するくらいに酒のラインナップが豊富となれば、食事だってそれに合うものが出るものでしょ?」

「そ、それはそうだが……」


 サンドラの話を聞くに、大猫の飲屋で扱っている料理は肉類やチーズが多く、野菜は芋がメインになるらしい。作れるとしてもパイ生地までが限界で、核となるリンゴや甘味の類はないとの事だ。


「まあ、暫くは探索の相方さんに融通してもらうしかないだろうね。代わりに上等な酒とでも交換したらどうだい? それなら対等な交換だし、向こうの人達も喜ぶと思うよ」

「む、それは確かに」


 仕方がない。後でちゃんとしたレシピだけでも、オルカから聞いておくとしよう。アップルパイは無理でも、自分の拠点で食事が可能となったのは、大きな大きな収穫だ。今は素直にそこを喜ぼう。


「ねえねえ、サンドラお姉ちゃん」

「んっ、何々?」

「この瓶から甘い匂いがするけど、これは~?」


 いつの間にか席を立っていたアリーシャが、黄金色の液体が入った瓶を持っていた。

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