第25話 ドワーフ殺し

 そいじゃ、俺のハートがブレイクしてしまわないうちに、もう一度死線を潜って来よう。ああ、そうだ。その前に―――


「―――サンドラ、この酒場で一番臭いのきつい酒とかって、カウンター裏のその辺りにはないか?」

「えっ、さ、酒っ? ええと、私の知ってる酒場と一緒なら、確かこれ。『ドワーフ殺し』っていう、味と臭いが強烈過ぎて、絶対売れないのにうちのマスターが趣味で置いてたやつ。でも、瓶や中身の劣化が進んでて、運ぶだけでも割れちゃいそうだよ? こんなの、どうするって言うんだい?」

「ちょっと考えがあってさ。オルカ、その行き過ぎた年代物、テーブルや椅子と直した時みたいに、元の酒瓶の状態に戻せないか?」

「それは可能だが…… ベクト、流石に戦闘中の飲酒はどうかと思うぞ」

「うん、その返答は予想してた。違うから安心してくれ」


 ほんの少しだけど、俺もオルカの天然発言に慣れてきた感がある。


 その後、オルカが霊刻印の能力を使い、古びた酒を在りし日の姿へと戻してくれた。俺はそれを受け取り、群れたゾンビ達と争っているゴリラへと、改めて向き直る。


「じゃ、今度こそ止めを刺してくる。もう少しの辛抱な」

「ちょ、ちょっと、酒瓶片手に止めってングッ……!」


 背後より回されたオルカの手によって口が塞がれ、それ以上言葉を発する事ができないサンドラ。少しばかり声のボリュームが大きくなってきたので、オルカに阻止されてしまったようだ。


「なるほど、それは大いにアリだ。ベクト、ここは任せて思いっ切り行ってこい」

「ああ!」


 一方のオルカは、どうやら俺の狙いが分かったようで。流石というか何というか、背中を押してくれるのは心強い。


「ウー……」

「アァー……」

「よう、待たせて悪かったな」

「ウヴォウ!」


 ゾンビ達の呻きに交じり、同じくらいの声量でゴリラに声を掛ける。しかし、ゴリラは俺には全く目もくれず、足に噛みつきなどを行っているゾンビ達の迎撃に専念していた。


「そうか。やっぱお前、耳はあまり良くないのか」


 考えてみれば、それは当然の事だった。あれだけ馬鹿でかい大声を出せば、自分の耳だって無事に済む筈がない。ゴリラの叫びは自らの耳を犠牲にする、諸刃の剣だったんだ。ただ、奴は今も振るった拳を的確にゾンビ達にぶち当て、次々に撃破している。ゾンビ達には一ヵ所に止まるなと指示をしているというのに、見たところほぼほぼ必中だ。目が潰され、耳も聞こえていないのに、なぜ攻撃を当てる事ができるのだろうか?


「その答えが、さっきからやたらとピクピク動かしてる、その鼻だよな?」


 そう、こいつは視覚でも聴覚でもなく、嗅覚で俺達の位置を把握していたんだ。流石の俺も直に嗅いだ事はないけど、奴の周りで腐臭を撒き散らしているゾンビ達の臭いは、それ以外の臭いが気にならなくなるほどに強烈だ。だからこそ、カウンター裏で待機しているオルカ達、またそこに吹き飛ばされた俺には反応を示さなくなった。


 って事で、次に潰すべきはそこになる。俺はゴリラの目を潰した時と同様、手早く奴の巨体を登り頭部へ。そして先ほどサンドラに選んでもらった特別な酒瓶を――― 振りかぶる!


 ―――ガシャン!


「ヴ!?」


 酔っ払いの行き過ぎた喧嘩の如く、奴の顔面に酒瓶を叩き込んでやった。当然の帰結ではあるが、瓶は四散し、中身にあった酒が飛び散る。


「ァヴッ……! ア、ヴゥ……!」


 酒瓶が割れた程度では、こいつの分厚い筋肉を傷付ける事はできない。物理的なダメージはないようなものだろう。しかし、奴は苦し気に悶え始める。穴だらけの床に膝をついてまで、必死に何かに耐えている。


「こ、これは本当に酷いな……」


 瓶が割れた瞬間に辺りに漂い出した異臭は、この展開を予め計算に入れていた俺でさえも、思わず鼻をつまみたくなるようなものだった。端的に言って鼻が曲がる、否、捻じ曲がる……! 本当に酒から発せられた臭いなのかと、仕掛けた俺の方が疑ってしまうほどだ。というか、ここまでのものは求めていない。これ、一応は飲み物なんだよな? 今は亡きマスターさん、一体どんな趣味だったんですか?


「ヴッ……」


 そんな劇物を直に浴びてしまったのだから、ゴリラの苦痛は俺の比ではないだろう。顎の外れた口から泡が出始めてるよ、こいつ。ゾンビ達も本能的に身の危険を感じているのか、飛び散った液体には絶対に触れようとしないし、店の外にいる奴らなんて、それ以上店内に入って来なくなった。最早猛毒かつ聖水の類だよ、このドワーフ殺し……


「ヴ、ヴヴッ……!」


 って、それでも立ち上がろうとするのかよ、この化け物。潰された両目から涙を流しているようにも思えるが、たぶんそれは気のせいだ。分かった、分かったよ。今、その苦しみから解放してやる。俺はダリウスナイフを握り締め、嫌がるゾンビ達に無理矢理命令しながら、ゴリラへと突貫した。



    ◇    ◇    ◇    



「ヴ、ウゥーー……」


 全身血塗れとなったゴリラの巨体が倒れ伏す。それと同時に、俺も尻から床へと崩れ落ちてしまった。


「ハァ、ハァッ……! や、やっと倒れた……!」


 あの突貫からどれくらいの時間が経っただろうか? 今や周りにゾンビの姿はなく、外にいた連中も打ち止め。それでもこれで最後だと何度も自分に言い聞かせ、ゴリラの首や心臓手首足首――― 兎に角人体における弱点と思われる場所を斬りまくった。その度に奴も謎のタフネスを発揮して、何度も立ち上がってきた訳だが、長きに渡る戦いもこれで漸く終わり。俺は最後の力を振り絞って立ち上がり、ゴリラの頭部目掛けてダリウスを突き刺す。その瞬間、巨体が靄となってダリウスに吸収された。


「まさか、あの状態からここまで長引くとは…… ダ、ダリウス、霊薬ってまだあったっけ?」

『先の戦いの最中に使い果たしてしもうた。あるのは毒消し薬のみじゃな』

「うへぇ、きっつ…… まあ、奴の攻撃にゾンビ化が付与されていなかったのは、不幸中の幸いか」


 あの悪臭状態に陥ってから、ゴリラは力任せの攻撃と絶叫を、命が尽きるまで手当たり次第に繰り返していた。その分隙が大きくなり、最早目標を定めない闇雲な攻撃でしかなかったが、攻撃の速度と威力は尚も健在。少しでも掠れば、ゾンビは肉体の一部が四散し、俺もごっそりと耐久値をもっていかれた。実際、攻撃中に何度も危ない場面があって、肝を冷やしたものだ


「それにしたって、あのタフネスは異常だって……!」

「ああ、このエリアに現れる希少種よりも、数段上の黒霊で間違いない。そんな敵を相手に、まさか酒を使って勝つとはな。ベクト、なかなかの機転だったぞ」

「オルカ…… に、サンドラも」

「なーに? 私はついで~?」


 気が付けばオルカ達がカウンターから姿を現し、こちらに近づいて来ていた。大の字になって床に倒れ込みたい欲求を何とか抑え込み、二人へと振り返る。ああ、そうだ。あともう一つだけ、やっておかなければならない事があったんだ。


「ついでじゃなくて、先着順に呼んだだけだよ。けが人相手に、あまり意地悪をしないでくれ」

「フフッ、冗談! でも、すっごく格好良かったよ、ベクト! あんな化け物を倒しちゃうなんてね! もしかしてベクトって、伝説の勇者様だったりする?」

「そんな大層な人間だったら、こんなに苦戦なんてしなかったろうさ」

「うん、格好良いけど、そんな顔ではなかったね。うんうん、納得!」


 イケメンでなくて悪かったな、この野郎。いや、このお嬢さんか。


「で、そんな顔の男から提案なんだけどさ、見ての通りこの場所は危険だ。安全なエリアにサンドラを連れて行きたいと思うんだが、どうかな? こんな頼りない男じゃ駄目か?」

「ううん、そんな事ない! 頼りにしてるよ、ベクト!」


 サンドラの青白い体が靄となり、こちらもダリウスへと吸い込まれていった。無事、救出完了。後は白の空間に帰還するだけだ。


「しっかし、今回の探索はつっかれた~~~……!」


 大の字へと移行開始。ああ、もう立ち上がれる気がしない。床が俺を優しく受け止めてくれる。


「なるほど、全力を尽くして立ち上がる気力もない、か。よし、ならば帰り道は私に任せてくれ。ベクトが青霊の救助に尽くしてくれた分、私は帰りの安全を保証しよう」

「え?」


 ヒョイっとオルカの肩に担がれ、呆気に取られる俺。


「では、急いで帰るぞ。安心してくれ、何があろうと私がちゃんとベクトを掴んでる。振り落とすような事はしないさ」

「オ、オルカさん? えっと、一体何を?」

「出発」

「オル―――」


 次の瞬間、俺は風になった。

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