第21話 大猫の飲屋

 それからもオルカによる大黒霊の説明は続き、俺は息を呑んで話に聞き入った。彼女曰く、探索者は魔具に宿す霊刻印や実力とは関係なしに、大黒霊の巣の境界を本能的に視る事ができるらしい。とは言っても、それは視覚的にではなく感覚的なもの、言葉では上手く言い表せられないとの事だ。


「ベクト、この酒場の看板を目にしたか?」

「うん? えっと、『大猫の飲屋』だろ? その看板があったから、ここが酒場だって分かったんだ」

「そうだな。ではベクト、なぜ君はその看板の文字を読む事ができた? その文字は君の知識にあるものだったか?」


 オルカにそう問われ、俺の頭に新たな疑問が生まれる。いや、看板を読んだ段階でも感じた疑問だったな。俺はあんな文字を習った覚えはない筈なのだが、確かに先ほど、見た事も聞いた事もない文字を読めてしまった。知らないのに読めるなんて、とんでもなく矛盾している。


「生まれた世界やそれまで使っていた言語とは関係なく、黒檻に降り立った探索者は互いが理解できる共通語を話し、黒檻で使われている文字を読み書きする事ができるんだ。それと同じで、私達は大黒霊の巣を視る事ができる。理屈は知らない。だが、探索者には実際にそのような能力が最初から備わっている。今後も探索を進めていけば、ベクトもその感覚を知る事ができるだろう」

「……いやー、なんつうか、改めて滅茶苦茶な世界だよな、ここ。言語を統一して、変な能力を身につかせて。俺達、神様に遊ばれているんじゃないか?」

「仮に遊ばれているとすれば、それは神ではなく悪魔だろうな。尤も、それまで培ってきた記憶と力を失わせ、言葉まで統一させているんだ。考えようによっては、この世界は限りなく平等に機会を与えているとも言えなくはない」

「平等かつ運否天賦だと思うけどなぁ…… まあ、オルカがそう言うんだ。深く考えず、そんなもんだと理解しておくよ。巣の境界が見えたとしても、大黒霊の討伐はなかなか辛いものになりそうだけどさ」


 話を聞く限り、大黒霊との戦いは一対一が基本となり、強力な助っ人を呼ぼうにも、それをさせないような仕様となっているのが分かる。仮に俺が大黒霊を一度倒す事ができたとしても、その次に戦う大黒霊は一様に強化され、どこのどいつと戦う場合にも更に厳しい戦いになる事は必至。そんな無茶な戦いを八体分繰り返して、死の巫女への道は漸く開かれると――― あれ? この道って予想以上に遠くない? 一対一を強要させ、必ず悪戦苦闘するであろう仕組みが実に嫌らしい。


「うん、やっぱり悪魔だ。死の巫女が黒幕かは知らないけど、そうだとしたら絶対性格悪いぞ、そいつ……」

「大黒霊について正しく理解してくれたようだな。私は嬉しいぞ、ベクト」


 理解しましたとも。ただの黒霊より大分温いとか言っていた、数分前の自分を殴ってやりたいよ。


「今のうちに伝えておくが、今のベクトでは初期段階の大黒霊にも勝てないだろう。だから間違って入ってしまわぬよう、巣を発見したら近付かないように注意してくれ。初期段階の大黒霊が相手ならば、目安として装備の補正含めて、平均20程度の能力値はほしいところだ」

「そ、そんなにか? 今の俺のステータスで一番高いHPと頑強だって、そこまで届いてないんだけど……」

「あくまで私の経験に基づく目安だよ。相手の戦法とベクト宿す霊刻印の相性によっては、それ以下でも討伐が可能かもしれないが、まあギリギリを攻めるのは止めておいた方が良いだろうな。どんなに準備しようと、私は過去二回の戦いの両方で死にかけてる。大黒霊討伐の見返りは大きいが、それだけ奴らは強い相手なんだ」

「うへぇ…… 了解、肝に銘じておくよ。となれば、暫くは女神像や装備を探しつつ普通の黒霊を倒して、魔具を強化するのが最優先だな。後は青霊がいたら助ける! で、アップルパイを作ってもらう!」


 俺の体はもう、美味いものなしでは生きていけなくなってしまった……!


「フフフッ、良い目標じゃないか。ああ、そうだ。その青霊についてなんだが、もし青霊が黒霊に襲われていたら、大黒霊の時と同じように、その時もベクト単独で救出してもらう」

「え、なぜにっ!?」


 自慢じゃないけど、その救出で一度死にかけてますよ、俺っ!


「出発する際、私は青霊を全てベクトに譲ると言ったぞ。青霊は助けられた者に力を貸す。下手に私が手助けをしたら、私の白の空間にその青霊が来てしまうかもしれないだろ? 大黒霊を想定した良い鍛錬になるし、積極的に任せていきたいと考えているんだ。うん、それが良い。ベクトに任せていこう」

「な、なんだか楽しそうだな……」

「そうか? ……うん、そうかもな。どうやら伸びしろのある者を育てる行為を、私は好んでいるらしい。記憶を失ってそれなりの時が経つが、ここにきて新たな自分を発見した。ベクトと出会い、新たな自分とも出会えた。今日は色々と記念日だな」

「お、おう……?」


 オルカは本当に楽しそうだ。考え方が独特で、そこが実にオルカらしい。


「まあ単独で戦うといっても、大黒霊の巣とは違って傍にいてやる事はできる。状況を見極めて、ベクトが死ぬほどに苦戦していたら助け舟を出そう。もしその時に青霊が私に力を貸す事になっても、仕方のない事として何とか割り切ってくれ。すまない」

「何で謝る必要があるんだよ。仮にそうなったとしても、それは俺の力不足が原因だ。青霊の人の見殺しにするより、よっぽど良い。もちろん、オルカの出番がないくらいに俺が頑張れれば一番良いんだけどな。少なくとも、さっきのアップルパイ分の頑張りは見せられるぞ、今の俺は!」

「おいおい、食べ物欲しさに無茶はしないでくれよ? 死因がアップルパイは流石に笑えないぞ」

「それは確かに」


 ともかく、今後の青霊救出&大黒霊討伐は俺単独で挑む事が決定した。目指せ、オール20!


「とはいえ、青霊と出会えるなんて事は非常に稀有だ。十数回と探索して、それこそ一度発見できるかどうか。だから今は、機会に恵まれるまで堅実に強く―――」

「―――いらっしゃーい! 大猫の飲屋へよーこそー! お客さん、二名様で良いかな? 良いよね、もう座ってるし!」

「「………」」


 突如として、廃墟な元酒場に威勢の良い声が響き渡る。俺のものでも、ましてやオルカの声でもない。声の主は俺達の前にいた。どこからともなく現れた。


「うん? えーっと、私の顔に何か付いてますかね? あ、お兄さん駄目だよー、私に惚れちゃあ。そんなに美人な彼女さんがいるのに、後で怒られちゃうよ? ……なんちゃって! そんな事ないっか!」

「「………」」


 彼女・・は実に陽気だった。まるで俺達が酒場を訪れた客であるかのように、そして自らが酒場の店員であるかのように振舞っている。頭には三角巾、エプロンにスカートと、格好までそれらしい。肌色や髪色は、正直なところ彼女を見てもよく分からなかった。なぜって? いやあ、だって彼女は全身が淡い青色に包まれていたんだ。地の色はさっぱりである。そして今の彼女の状態は、一度俺も目にした事がある。そう、黒の空間で出会った際のアリーシャと、彼女は全く同じ状態だったんだ。


「……ベクト、君はひょっとして、探索者として凄まじい才能があるんじゃなかろうか?」

「この世界は限りなく平等なんじゃなかったか?」

「?」


 つまるところ、俺達の目の前に青霊の少女が現れた。

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