第20話 大黒霊

 小休憩の提案をしてからというもの、なぜかオルカは生き生きとしている。鼻歌の一つくらいなら、今からも口ずさみ始めてしまいそうだ。


「よし、休憩スペースを確保しに行こうか」

「お、おい、中に黒霊がいるかもしれないぞ!?」

「分かっている。だが、大事な時間が待っているんだ。ベクト、ここは協力して手早く済まそう」

「思いの外強引……!」


 という訳で、強制的に酒場の安全を確保する事になってしまった。奇跡的に今も機能している酒場のスイングドアの左右に立ち、合図を送り合う俺とオルカ。まず先にオルカが内部を覗き込み、酒場にいる黒霊の種類と数を確認。それらが確定すれば、お次は俺の仕事だ。スイングドアをギィギィと鳴らして、わざと中からゾンビを誘き出し、姿を見せた奴から片っ端から操作&ダリウスアタック。中にいたのが普通の男ゾンビだけというのもあって、一体を残して安全かつ簡単に殲滅を完了。未だに酒場に入る必要があったのか怪しいところだが、まあダリウスの成長に必要な稼ぎを得られたので良し。


「素晴らしい手際だ、ベクト。私達の連携も様になってきたな」

「いや、これを連携と呼んで良いのか微妙だと思うけど……」


 何はともあれ、酒場内を無事に制圧した俺達。二階に続く階段のようなものはなく、別の部屋に続いていたであろう扉は、天井から崩れた瓦礫に埋もれていた。先ほど一体だけ残しておいたゾンビ君を入り口に配置しておけば、まあ安全かなといったところである。ただ俺としては、この建物が倒れないかの方が心配だ。めっちゃ壁が軋んでる……


「うん、酒場らしく椅子とテーブルはあるな。これをこうして……」


 オルカがやけに手慣れた様子で埃や汚れを落とし、それらを綺麗にしていく。気が付けば、椅子とテーブルは新品同様の輝きを取り戻していた。


「よし! どうだ、綺麗なものだろう?」

「綺麗どころの話じゃないぞ…… これ、一体どんな手品を使ったんだ? 他のは座っただけで壊れてしまうくらい、劣化の激しいものばかりなのに」

「私が持つ霊刻印の能力の一つでな、原形さえ留めていれば、ある程度は綺麗に補修できるんだよ。ベクトも何か必要なものがあれば、気軽に言ってくれ。こういった家具や雑貨から錆びた防具まで、大抵のものは直せるから」


 自らが直した椅子に腰かけながら、オルカが結構凄い事を言っている。はー、霊刻印ってのはそんなものまであるのか。てっきり、霊刻印は戦闘に関するものばかりだと思っていた。色々と勉強になる。


「今軽食を取り出すから、ベクトも向かいの席に座っていてくれ」

「あ、はい。えっと、ゴチになります……?」

「ああ、遠慮せずなってくれ。私としても、食事は誰かと囲んだ方が嬉しい。ただ、周囲の警戒だけは解かないでくれよ? 外よりは安全とはいえ、ここが黒の空間である事に変わりはないからな」

「オーケー、任せてくれ」


 俺がジロジロと大袈裟に周囲を見回している間に、オルカが魔具より包みを取り出す。この酒場は埃臭く、お世辞にも食事をするに適した環境とは呼べないが、その包みから放たれる甘い香りだけは、俺の鼻孔を頗るくすぐった。先ほどから唾液が口の中で生産され続けている。


「私が救出した青霊の中に、パン作りが得意な者がいるんだ。これは彼に作ってもらった、ええと…… そうそう、アップルパイという食べ物らしい。ベクト、甘いものは食べられるか?」

「自分の好みを把握していないから、何とも。だけど、食欲をそそられているのは確かだと思う」

「良かった。ああ、だがちょっと待ってくれ。今、茶も淹れてやる」


 それからオルカは水筒を魔具から取り出し、更には二人分のカップ(酒場のものを修復&拝借)まで用意してくれた。水筒の中身は紅茶のようで、湯気が立つほどに温かい。黒檻の世界に来て初となる食事は、言葉に言い表せないくらいに甘美なものだった。オルカがどんどん食べろと言ってくれたので、切り分けられたアップルパイの殆どを頂いてしまったほどである。


「ングング、ゴクン――― ご馳走様でした……!」

「流石は男の子といったところか。凄い食べっぷりだったじゃないか」

「いや、その、マジでそれくらい美味かったんだよ。本当に美味しかった。我を忘れた。吃驚するほど満たされるものなんだな……」

「その通り。如何に食べなくとも問題のない体とは言っても、ストイックにいく事だけが正解じゃない。喜びのない生活を送り続ければ、いずれ精神が死んでしまう。そうなれば自暴自棄になり、まともな思考もできなくなってしまうだろ? やる気だって次第に失せていく。だから私達探索者には、こういった心の栄養を補給する必要もあるんだよ」


 俺は大きく頷いた。激しく同意を示した。


「とはいえ、そういった事のできる青霊の協力をベクトが得られるかは、本当に運でしかない。それまでは私が支援するとしよう」

「助かる、本当に助かる……!」


 俺は大きく頭を下げた。激しく感謝を示した。


「それにしても、オルカの魔具には色々なものが入っているんだな。俺の魔具はまだ三つしか入らないから、探索中の発見物だけで枠がカツカツだよ」

「最初はそんなものさ。ベクトも大黒霊を倒す事ができれば、魔具の収納ストックどころか、霊刻印を刻める数だって増やす事ができるよ」

「へ~。ところでさ、その大黒霊ってのは何なんだ? 前にもチラッと言っていたけど」

「む? ああ、まだ話していなかったか。大黒霊とは簡単に言ってしまえば、黒霊の親玉みたいなものだ。先ほども言ったように大黒霊を倒す事ができれば、魔具は著しく成長する。見た目が大きく変わるほどにな。二体の大黒霊を倒して、私の魔具も漸くこの姿さ」


 そう言ってオルカは、テーブルの上に自身の魔具である長剣を置いて見せてくれた。ダリウスナイフとは比べ物にならないほどに刀身が長く、洗練された煌びやかさを感じさせるフォルムだ。


「そして、この大黒霊の討伐は死の巫女を探す行為にも大きく関わっているんだ。黒の空間の各地に放棄されていた文献には、こう記されている。大黒霊を八体討伐する事ができれば、その者の前には死の巫女へと通じる道が開かれるであろう、と」

「え? ちょ、ちょっと待ってくれ。要はその大黒霊を見つけ次第倒していけば、俺達のゴール、死の巫女を見つけられるって事なのか?」

「その通りだ。大黒霊は黒の空間に巣を作り、各エリア毎に複数存在している。一度倒した者が復活する、まったく新たな大黒霊が誕生するなんて事もあるから、正確な数は全く分かっていないが…… まあ、膨大な数がいると思ってくれて良い」


 おいおい、それなら無限に広がるこの黒檻の世界から、何の情報もなく死の巫女を探す手間は省けるって事じゃないか? 一人の巫女より膨大な数の中から八体の化け物を見つける方が、遥かに現実的だ。ちょっと希望が見えてきた気がする。


「ベクト、嬉しそうにしているところ悪いんだが、この辺りはそう簡単な話でもないんだ」

「……? どういう事だ?」

「大黒霊は黒の空間内に自らの巣を張り、そこから移動を行わない。巣の中に入りさえしなければ、襲われる事はないだろう。また誤って侵入してしまったとしても、直ぐに巣の外へと出てしまえすれば、それ以上大黒霊が追って来る事もない」

「えらくシステマチックな奴らなんだな。だけど、それなら問答無用で襲って来る普通の黒霊より、大分温い仕様な気がするけど?」

「いや、問題はここからだよ。全ての大黒霊は巣の中に入り込んだ探索者の数、そしてその探索者らが、これまで倒した大黒霊の討伐数によって、より凶悪に醜悪になっていくんだ」

「んんっ? 増々よく分からないんだけど……?」

「例えばの話、私とベクトがある大黒霊の巣へと共に入ったとしよう。私はこれまでに二体の大黒霊を倒した。探索者の頭数と大黒霊の討伐数を足したら?」

「二人と二体で――― 四?」

「そう、四だ。つまり、大黒霊は四段階強化される。あり得ないほどに強化される。これは私の所感だが、そこまで強化されてしまうと、今の私では絶対に勝てないだろう。ベクトを護っている暇も、当然ない」

「そ、そんなに、なのか……?」

「……過去に数十人規模の徒党を組んで、大黒霊を倒そうとした探索者達がいた。結果は見るも無残なもので、全員逃げる暇さえなかった。良いか、ベクト? 大黒霊との戦いは、基本的に一対一が原則だ。お前に大黒霊と戦うその時が来れば、残念ながら私は手助けしてやれない」

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