第6話 初体験

 少し休憩を挟もうかとも考えたが、どうも今の俺は睡眠を必要としない体らしい。というのも、この黒檻にいる時点で、俺も半分は死霊のような存在になっているとの事だ。結構なショッキング情報をサラッと説明してくれる辺り、やはりゼラもどこか抜けている。散々ダリウスに茶化された俺でなければ、ショックで寝込むところだったぞ。あ、寝込む必要はなかったのか……


「睡眠は必要ありませんが、寝ようと思えば眠れますよ。精神面の安定の為に、白の空間に滞在する間は眠る方も多くいらっしゃいます」


 眠れるんかい。そうと決まれば、次の探索に備えて仮眠しようかな。8時間くらい。


「………」

『どうした、相棒? 眠らないのか?』


 そうしたいのは山々なんだけど、そういやここには布団もベッドもなかったんだった。それ以前に、ゼラや相棒に見守られながらは眠り辛い。かなり難易度高い。


「今は睡眠よりも、探索を優先しようと思う」

「熱心ですね。無事に帰還される事を、心よりお祈りしています」


 ゼラに祈られ、俺も形式的に祈る事で黒の世界に移動する。この空気の重い事重い事。やあ、さっきぶりだな黒の世界。


『相棒、今回の探索はどこまで行くつもりなんじゃ?』


 基本的にはさっきと変わらないよ。この小屋を中心に探索、敵には不意打ちと危なくなったら即行離脱。まずはあのゾンビ相手に、全く苦戦しないようにならないとな。できれば、この辺りにゾンビ以外の黒霊がいるのかも知りたいけど…… 遠くには行くのはなしで。いつでもどこでも、この小屋に駆け込める場所取りを維持したい。


『妥当なところじゃろう。む、早速敵さんが湧いておるようじゃ。前よりも数は多いぞ』


 小屋から視認できたのは、例のゾンビが3体ほど。1体だけ女型のもいはしたが、男型と同様に生前の面影をまるで見る事のできない姿と化していて、倒してしまう抵抗感は湧き出てこなかった。


 それからの戦法は以前と殆ど一緒だ。強いて違う事を言うなら、死角から小石を投じる事でゾンビを誘き出し、各個撃破できるよう分散させた事くらいだろうか。前回のゾンビ観察で、奴らの目は殆ど見えておらず、視認できる情報よりも音による情報を優先する事が分かっている。こちらの位置さえ気取られていなければ、奴らを誘導するのは楽な作業だった。


 但し、今回はこちらも無傷とはいかなかった。1体2体と頭部への攻撃で確実に仕留めていったまでは良かったのだが、3体目の女型から1発だけ反撃を食らってしまったんだ。女の方は若干速いとか、そんな差異があったのかもしれない。不意打ち頭部狙いの攻撃が、頭ではなく頬の辺りに突き刺さる。少しくらいは痛がる素振りも見せてくれれば、まだ可愛げもあると思うんだ。しかしゾンビに痛覚があるとは思えないし、実際直ぐに反撃されて、肩を引っ掻かれてしまった。


「っつ……!」


 使い古しの錆びた刃物で無理矢理引き裂かれたような、鈍く重苦しい痛みが走る。


『相棒っ!』


 分かってるよ、呆けている暇はない。奴の頬に突き刺したダリウスナイフを、そのまま上へと力一杯押し上げる。痛覚はなくとも、転んだだけで腕や足がもげてしまう軟弱な体だ。俺の非力な両腕でも、ダリウスの刃を突き抜かせるには十分だった。


「いってぇ…… いやマジ、これは何度も食らって良いもんじゃないな。絶対死ぬ」


 女ゾンビが靄になってダリウスに吸収されるのを確認して、近くにあった家屋の壁に背をつける。耐久値を確認してみると、最大値の11から3を引いて、8になっていた。なるほど、あと3発食らうと確実に死ねる。それに、何だか頭が熱を帯びたようにぼんやりとしている。これが感染の症状か。


『相棒、霊薬を出すか? どうせ白の空間に戻れば、新たに3本は補充されるのだ。今から戻るにしても、使っておいて損はあるまい』


 是非お願いしよう。そうダリウスに向けて念じると、蓋の開いた霊薬の瓶が俺の手に持たされていた。ほぼ命じるのと同じ瞬間である。便利。


『ほれ、ぼやっとしていないで、さっさとその肩に中身をかけんか』


 ああ、そうだったそうだった。感動している場合じゃない。瓶の中を満たす液体は無色透明で、見た目は水のようだ。こいつを衣服の上から一気に振りかける。


「お、おおっ……!」


 ゾンビの爪で引き裂かれた傷口が、綺麗さっぱりなくなっていた。肌や衣服に濡れたという感触はなく、ただ傷口だけがなくなったのだ。手品を仕掛けた自分が、何でできたのか分かっていないような気分である。耐久値を確認すると、こちらも最大値まで完全に回復していた。


 しかしながら、熱っぽい頭までは治療されていないようだ。感染の効果は絶賛持続中、と…… ある意味、安全地帯の近くでこの体験を得る事ができて良かった。敵陣の真っただ中で、さっきみたいに霊薬を使ったり、感染の症状に惑わされたりは辛いものがある。と、ポジティブシンキング。こういう時は悲観的になるよりも、楽に考えた方が良い。


『では、一時帰還じゃな?』


 ああ、このまま感染状態を継続させる必要はない。むしろ、早く帰らせて。今ばかりは、無宗教な俺も女神像に祈りたい気分なんだ。


「じゃ、帰るとする―――」

「いやぁーーー!」


 俺の言葉を遮るように、少女の、それもかなり幼いと推測される叫びが響き渡った。声の感じからして、かなり近い。おいおい、おいおいおい。


『悲鳴じゃな。どうする、助けるのか? タイミングがかなり悪いぞ』


 ああ、タイミングは最悪だ。近いといっても、今から俺が駆け付けたところで、間に合う保証は全くない。更にあんな悲鳴を上げられては、無暗に黒霊を集めるだけだ。下手をすれば、死の危険が俺にまで迫る事となる。


 更に俺は感染状態にあり、万全の状態でないのも痛い。女神像に祈って感染を治療し、また直ぐ戻る。なんて手ができれば最高なんだが、残念ながらその手は封じられている。ゼラの話によれば、白の世界と黒の世界は時間軸が若干ズレているらしく、一度どちらかに移動してしまえば、どんなに早くに戻っても1時間は経過してしまっているそうなんだ。そうなれば、さっきの悲鳴の主は確実に手遅れとなってしまうだろう。


『可能性を考えれば同業の探索者か、青霊か、はたまた黒霊の罠か――― 相棒、助けるのならば時間がないぞ。時と場合によっては即断即決も重要じゃ。その上でもう一度聞こう、どうする?』


 ……我が身が第一、だけどそこまで見て見ぬ振りもできそうにない。妥協案だ。今からダッシュで現場に急ぎ、間に合わなかったら、もしくは手に負えない相手だったら即離脱。少女がまだ無事で、俺の良心がいけそうだと判断したら要救助。これでいこう。


『ならば急げ。あれからもう数秒も経っておるぞ』


 だから我が身が第一だって。ダッシュといっても、警戒は怠らない。が、手遅れにする気もない! 周囲に気を配りながら、猛ダッシュ! できるだけ身を隠せるような場所からは離れ、道の真ん中を走る、走る、走る。方向としてはこっちだった筈だ。


「―――いた」


 到着した先は、元は家の庭であったであろう場所だった。ちょっとした子供用の遊具に、花壇の名残が見て取れる。そして少女も無事だ。五体満足、怪我も負っていない。が、眼前にはあのゾンビが1体、もう少しでその手が届く距離に迫りつつあった。


『相棒、運が良いな。あの少女、青霊じゃぞ』

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