4 教室:お昼休みのおしゃべり

「わたしは女なんだ」

 須永がそんな当たり前のことをぼやいた。

「あはは、わかってるって」

 若宮は笑って答えた。

 お昼休み。わたしの机を囲って、周りから椅子をかっぱらって三人でお弁当を食べる。習慣化された作業、誰も今更疑問に思わないお昼の過ごし方。わたしと若宮はお弁当で須永は購買のパン。これも代わり映えしないメニュー。いや、わたしのお弁当はいつだって新鮮で美味しそうに感じるけど。なんてったって愛すべき我が弟が作ってくれてるのだから。これ以上のご馳走はない。お箸でつっつくのは野菜炒めだ。白いご飯に良く合う、美味しい。

 耳だけ傾けて、二人の会話の動向を窺う。

「だけどな、あいつは、」

 話題に上っているのは須永の彼氏のこと。須永とは幼なじみで、恋人になってからももう二年が経過しているらしい。別の高校に通っているから本人と直接会ったことはないけど、えらく密着した写真なら何度か見せてもらったことがある。優しそうな少年だった。仲がよろしいようで実に羨ましいことだ。だけど長い付き合いなだけあって、不満も少なからず出てくるらしい。

 今回の議題は、つい先日あった須永の誕生日での出来事についてだ。そこらのカップルの例に漏れず、須永の彼氏はしっかりプレゼントを用意してくれたのだという。部活終わりの放課後、日が暮れたあと、近所の公園で待ち合わせ、さむいねぇとか言い合っているときに渡してくれたのだという。それだけを聞けばロマンチックなものだけど、話はそれでは終わらない。終わらないからこそ議題に上がってる。

「なんでプレゼントが男物の財布なんだ?」

 言って、ブレザーのポケットから取り出したのは、折りたたみの小さな革財布だ。艶のある焦げ茶色で統一された落ち着いたデザイン。ブランドものらしく、角にはブランドロゴの刻印があった。一目で分かる、いいものっぽい雰囲気が漂ってる。安物で済ませたわけではなさそうだ。

 とはいえ、須永の言うとおり、それは男物だ。女の子に、それも長い付き合いの恋人に、誕生日プレゼントで渡すものじゃない。

 くくく、といやらしい笑い声を漏らしたのは若宮。わたしも耐えきれずに目を逸らす。

「なんで笑うんだ、わたしは怒っているのに!」

「だって。くくく、だって、めっちゃ似合ってる……っ。須永ちゃんに、その財布めっちゃくちゃ似合ってるんだもん……っ」

「どういうことだっ!」

「どうもこうも、そのまんまだよ。あー、おかしい、ふふっ。すっごいはまり具合」

 須永は不服そうな顔をしてるけど、わたしとしても若宮に全く同感だった。

 須永涼という少女は、少女らしからぬ外見をしてる。身長は一七〇を越えていたはずだし、バスケ部に所属する都合で髪も短く整えてる。端正な顔つきは中性的な印象を与え、ちょっと男勝りな口調や淡泊な性格が男性的なイメージに拍車をかける。

 男装の麗人、っていう役どころがぴったりな女の子なのだった。

「なあ、それは褒めているのか、似合っている、という言葉はこの場合褒め言葉なのか?」

「そうだよー。ねえ、枯野ちゃん」

「うん、とっても似合ってる」

 至って真面目な顔で頷いておいた。似合ってるのは事実だし。

 ただ、似合ってるのと須永本人の趣味に合うのとは話が別なのだ。男女問わずに憧憬の視線を向けられるくらい、かっこよさの際立つ彼女。しかしこれが、外見にそぐわないかわいらしい趣味の持ち主なのだった。例えば通学鞄にはまるっこいクマのキーホルダーが掛かってるし、他にもちょっとなんの形か分からないキモカワイイとかいう部類の緑色の人形がぶら下がってる。ちなみにこのクマのキーホルダー、わたしと若宮の鞄にもついてる。須永が夏休みの旅行のお土産に買ってきてくれたものだった。

 似合わない自覚があるのか、直接身につけるものとか文具はそういうものは避けてるみたいだけど。それだけに、鞄についたキーホルダーが哀愁を漂わせてる。

 若宮とわたしに言われて、渋々と須永は財布をポケットに戻した。なんだかんだと文句を言いつつ、彼氏のプレゼントはちゃんと使ってる。いいカップルだ。中学生のときから付き合い始めて、結婚までいったりしたら素敵かも知れない。結婚式には呼んでくれるのかな。そのころまで須永と親交があれば、あるいは。

「いいなあ、わたしも彼氏がほしい」

 若宮は唇を尖らせて、ご飯をぱくつく。

「好きな人とかいないのか」

 チョコクロワッサンをかじりながら須永が問うた。

「んー、いなーい。でも素敵な彼氏がほしー」

「なかなか難しい問題だな」

 大仰に頷きながら須永は肩をすくめた。

 二人はあえて触れようとはしないけど、若宮は高校生になってから一度だけ彼氏が居たことがある。口を開けばなんでも笑い話にしてしまうような、ひょうきん者の男だった。今も教室の隅で友達と馬鹿話をしてるあの男。告白はむこうからで、なんと別れを切り出したのもやつからだ。その間、僅かの一ヶ月。

 若宮からしたらなにがなんだか分からない出来事だったに違いない。高校に入りたての浮かれた期間に起こった、若さ故の過ち的ななにかだったんでしょう。

 そのうえ、あの男には最近新しい彼女ができたらしいから、若宮のもやもやは今ピークに達しているはず。優しい子だからあからさまに陰口をたたいたりはしない。でも、見返してやりたい気持ちはきっとある。まあ、若宮だったらすぐにいい人が見つかると思うけど。気遣いができて溌剌とした活発な女の子だ。男女問わず人気がある。候補を探すなら、学校だけじゃなくってバイト先もあるわけだし。

 若宮はちらっと視線を教室の隅へ投げた。一瞬だったけど、見たのはたぶん、元彼とも呼びづらいあの男だろう。興味本位に彼女の顔をじっと見てたら、やっぱり一瞬だけ、辛そうな表情が顔の端をかすめた。まだ引きずってるのか。早くこの子を幸せにしてやれる男が見つかるといいなあ。

 そんなことを思ってたら、若宮とばっちり目が合ってしまった。当たり前か。

「ん、そうそう。枯野ちゃんは彼氏作らないの? 高校生活はあと二年半しかないんだよ!」

「あー、まあ。いたらいいなあ、とは思わなくもないけど」

「そんなこと言って。わたし聞いたよ、先輩に告白されたらしーじゃん。話してくれないなんて薄情はくじょーだぞ」

「ん、そうなのか? わたしもそれは初耳だ」

「あはは、ごめんって……」

 若宮のやつ、わたしから話してくれるかカマを掛けたな。

「どんな人、返事はどうしたの」

「どんなって、話したことない、名前も知らない先輩だよ。かっこよかったとは思うけど、……断った」

「えー、なんで!」

「なんでって、べつに好きなわけじゃないし」

「あとから好きになるかもじゃん、そういうのロマンチックじゃない?」

「……そうかもだけど」

 お前のロマンチックをわたしに押しつけるなよ。

 とはもちろん口にはしなかった。口にはしなかったけど、表情には出ちゃったみたい。

「っ、ごめん」

 途端に若宮がしゅんと俯いた。

「あ、いや、わたしもごめん」

 なんでわたし、謝ってるんだろう。悪いことしたわけでもないと思うけど。

 若宮の気持ちも分からないではない。やっかみみたいなのもあったのかも知れないし、ちょっとしたおふざけだったのかも知れない。この半年わたしに浮いた話がなかったから物珍しかったというのもあるのかな。それを本気に捉えちゃったわたしが悪いのか。怒りっぽいわたしが悪いのか。

 すぐ怒るのも、表情に出やすいのも、自覚はある。けど反省はとくにしてない。友達だから多少手荒に踏み込んでも構わないでしょ、みたいな関係は嫌だった。親しき仲にも礼儀があってしかるべきだ。

 ただ、わたしが友人を作るのに向いてないだけかも知れないけど。

 中学のときは我慢したんだ。自分を抑えて周りを立てて、みんなと仲良くしようとしたんだ。だけどそのせいで自分が分からなくなった。そういうやりかたはやめにしようと思った。それでも、そんなわたしとつるもうというのなら、それはわたしの責任じゃない。そんな考えは身勝手なのかな。わがままなのかな。いやまあ、そりゃわがままか。

 こんなわたしと仲良くしてくれてる二人のことは、ありがたいと思ってる。でも同時にすごく面倒に感じることもある。友達なんかいらないような気がして、そんなことを思っちゃう自分こそ誰よりもいらないような気がして。誰しもそのくらいの悩みはあるものなのだろうか。

 若宮の様子を目の端に窺えば、若宮もおんなじにこっちを見てて、また目が合った。だけど若宮はすぐに逸らす。

 あー、やっぱりめんどくさい。

 横で見ていた須永がぎこちなく口を挟んだ。

「まあまあ、悠宇は落ち着け。恋バナくらいしたっていいだろ? 花の女子高生なんだぞ?」

 花の女子高生って。

「おっさん臭い言い方しないでよ」

 思わず言うと、横で若宮が「ぶふっ」と吹いた。

 ふたりしてそちらを見れば、若宮がひゃっと顔を両手で覆う。ごめんなさいごめんなさい、って誰にともなく慌ててる。ちょっとかわいい。わたしも思わず苦笑する。つまんないことでぐちぐち機嫌を悪くしてたな、とそこはちょっぴり反省。聞きたいのなら、事細かに語ってやろうじゃないか。告白は断っちゃったけど、たぶんいい人だったんだろう、誠心誠意、言葉を向けてくれたわけだし。笑い話にして供養してやろう。

 わたしはひとつ、溜息を吐く。ここは譲歩すべき場面だ。べつにわたしは、若宮のことが嫌いなわけじゃない。彼女とぎくしゃくするのは嫌だな、とも思う。

「知らざぁいって聞かせやしょう」

 のりのりで言うのは恥ずかしくって、ぼそぼそそんなふうに切り出してみた。謝るのはなんか違う気がしたから、おふざけ混じりで言い始めてみた。

 笑いを抑えていた若宮が、耐えきれずまたもや吹き出す。この子は笑いのツボが浅くってありがたい。

 そうしてわたしは語ることにした。若宮も、そして表には出さないけど須永だって興味津々なはずの、わたしが告白されたその場面を。多少の誇張はご容赦あれ。さあさ皆様お立ち会い。他人の恋路は面白かろう?

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