第5話

陽平の頭にあったのは車が大破したことによるショックよりも、これによって再び眠らず一夜を過ごさなければならなくなるのではないかと言う恐怖だった。そして事実、その恐怖は現実になった。


 事故の報告は明日の朝にして、今夜は道路脇で眠ろうと考えたが騒ぎを聞きつけた住人たちによってそれは叶わず、彼らは警察とその他諸々を全くの親切心で手配した。


 事故処理はしっかり一晩掛かった。諸々の事情聴取から解放された陽平は車から引っ張り出された通勤用鞄を片手で持ち、フラフラになりながら徒歩で自宅へ戻る途中だった。

 頭は昨日の数十倍は唸りを上げ、頭痛などとは比べ物にならない鈍痛が常に走っていた。目は血走り、肩だけではなく、全身がずっしりと重い。力が体の各部から抜け出し、車に乗せてあった鞄ですらダンベルのように重く感じた。喉の奥には甘いような苦いような気持ち悪い感覚があり、何かがある度に思わずえづいてしまった。

 よろけながらやっとことで通りを行く陽平の姿は、はたから見ればゾンビにも似ていただろう。


「だめだ…自宅へ戻るだけの気力が無い……はぁッ……ホテル…ビジネスホテルだ。それでいい……ホテルで眠るんだ……」

 ゾンビのつぶやきは名案に見えた。が、そのホテルへやって来たところで肝心な事に気が付いた。昨夜家を無計画に飛び出してきたために自分は財布を持っていないのだ。

 ホテルのエントランスで陽平は情けなく、うんうんと怒りとも泣き声とも付かない叫びをあげた。


 ホテルを出た時、既に次の行き先は決まっていた。


 銀行だ。不幸中の幸いとはまさにこれ。陽平は仕事用の鞄に通帳を入れていたのだ。飛び上がって喜びたかったがそんな体力はない。


 体を引きずるようにして銀行へ入り、整理券を取る。幸運は重なる物で、番号は二人ほど待てばすぐ呼ばれる程度だった。銀行は外よりも幾分心地よかった。今の陽平の耳は集音機のように雑踏を数十倍にして拾い上げる。昼間の銀行は静かだった。


 待合用の座椅子へ腰を掛けて一息を突いたその時、銀行内に大声が響いた。集音機によって拡大されたその大声で陽平はシートから跳ね上がる。


「銀行強盗だッ! おかしな真似をしてみろ、直ぐに撃ち殺してやるからなぁッ!」


 陽平の首筋が異様に寒くなり、血液が凍り付いていくようだった。


つづく




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