八一 学問の神様は元怨霊!? 菅原道真


【失意の内に亡くなり怨霊となる】

東風こち吹けば

匂ひおこせよ梅の花

あるじなしとて

春な忘れそ


 これは九州に飛ばされた道真が、自宅の梅の木に向かって詠んだ有名な歌です。

 家族と離別させられて、よほど悔しかったんでしょうね。

 道真は自分に罪がない事を、近くの山に登って天に訴え続けたそうです。


 太宰府では仕事は与えられず、ただお経を唱えたりして、帰郷を望みつつ過ごしていました。

 

 しかし道真の願いは叶わず、太宰府にて59歳で亡くなりました。そして、安楽寺というお寺に、葬られるのですが、この安楽寺が後の太宰府天満宮になります。

 因みに、道真の歌に登場した梅の木は、道真が亡くなると自宅から太宰府に向かって飛んで行ったという伝説があります。

 その梅の木は、今でも太宰府天満宮の境内に残っています。


 さて、都では……

時平「憎たらしい道真がいなくなって、清々するわ。オホホホ」

 このように時平は笑っていました。そして。政治のトップに上り詰めるのですが……


時平「これからは、私の時代よ……あれ? 急に体調が悪く……うっ」

 道真の死後、時平はあっさり死亡してしまいます。


 時平の死だけに止まらず、道真の左遷に荷担した貴族が次々に亡くなるという不幸が相次ぎました。

 更に道真の左遷を決めた張本人である天皇の皇太子が死亡、新たな皇太子を立てるのですが、こちらも死亡してしまいます。

 というのも、この亡くなった2人の皇太子は、時平に関わりが深かったのです。


 このように道真の左遷に関わった人物が死亡していく中、道真を守ろうとした上皇の関係者や道真の血縁者に災いが降りかかった者はおらず、むしろ出世していました。


 こうして都では相次ぐ不幸は道真の祟りでは? という噂が立ちはじめました。

 

 そしていよいよ焦りだした天皇は……

天皇「道真ごめん! 右大臣に戻してあげるから許して!」



【そして学問の神様へ】

 なんと死後、道真は復権を果たしたのです。更に怒れる道真の霊を鎮める為に、安楽寺にある道真のお墓に神社を立てたのです。

 これが、学問の神様で有名な、太宰府天満宮の始まりなのです。


 御霊信仰によって道真は神様そして祭られました。もう道真の怨霊も鎮まっただろうと、思いきや不幸は続きます。


 清涼殿にて朝廷の要人が集まり会議をしていた所へ、雷が落ちたのです。

 この事件によって多くの死傷者が出るのですが、被害にあったのは、道真の左遷に関わった者ばかりだったのです。


 この事件は『清涼殿落雷事件』と言って、道真の祟りを象徴する事件となっております。


 天皇はこの事件を目撃しており……

天皇「道真、まだ怒ってるよ。もう、どうしたらええねん」

 清涼殿落雷事件の衝撃は大きく、天皇は体調を崩し、その後あっさり死亡してしまいます。


 天皇が代替わりすると道真へのご機嫌取は激しくなりました。


 まず、京都の北野社にて道真を神様として祭りました。北野社は別の神様を祭っていたのですが、道真を祭った事によって太宰府天満宮の分社である北野天満宮になったのです。

 

 さらに道真に正一位左大臣しょういちいさだいじんの称号を与えました。正一位左大臣というのは、国家の繁栄に著しく貢献した人物に与えられる称号で、現代で言うところの国民栄誉賞みたいなものですね。

 

 死後、復権するどころか神様になり、更に正一位左大臣になった道真は大きく出世したわけです。


 こうして道真の祟りと言われる不幸や、災害が起きなくなると、生前勤勉な努力家で、頭がよかった事から『学問の神様』として親しまれていくようになります。


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