七七 ケチを貫いて神様になった!? 徳川家康~後編~



【徳川家康最後の戦い】

 1600年に関ヶ原の戦い、1603年に家康は征夷大将軍となり、江戸幕府設立しました。そして、しばらく争いのない時期が続いていました。


 天下統一を果たしたと思いきや、まだ家康には不安がありました。

 

 秀頼が後を継いだ豊臣家は残っていたのです。


 以前もお話しましたが、秀吉は苦汁を舐めさせられた相手であり、豊臣家は政権を奪いかねない相手でした。


 そこで家康は豊臣家に“嫌がらせ”をします。


 各地のお寺や神社の修復や再建を命じて、財力を消耗させます。また事あるごとに、難癖をつけてチマチマと豊臣家を追い込んだのです。


 そして、ついに……

秀頼「家康! テメー、いいかげんにしろよ!」

秀吉の息子、秀頼がついにキレて『大阪冬の陣』が始まりました。


 さてこの時、豊臣秀頼は立派な青年へと成長していました。

 一方家康はもうすっかり歳をとって、いい感じにシニアになっています。


 つまり、ピチピチVSシワシワの戦いが、大阪冬の陣です。


 徳川軍は秀頼が籠る大阪城に向かって大砲で集中砲火。一方、豊臣軍についた真田幸村さなだゆきむらの活躍によって、徳川軍は打撃を受けました。


 そして一旦和睦するのですが……その次の年、1615年に『大阪夏の陣』が発生します。

 第二回ピチピチVSシワシワの戦いですねw


 さて、劣性となった豊臣軍から武将達は退いていき徳川軍につきますが、真田幸村だけは残りました。

 真田幸村といえば、『六文銭ろくもんせん』の家紋で有名ですよね。

 これは、三途の川を渡る船代は六文と言われており、『俺には三途の川の船代さえあれば十分だ』という意味です。

 つまり、死ぬ覚悟は出来ている、という意味です。


 大阪夏の陣が起きると、家康に向かって真田幸村が突っ込んできます。

幸村「家康さんよぉ! 俺と一緒にあの世に行こうぜ! ヒャハー!」

家康「あ、あいつヤベー! ((( ;゚Д゚))) 」


 このように幸村の活躍によって、家康は追い詰められますが、駆けつけてきた援軍によって、真田幸村は取り押さえられました。


 そして、大阪夏の陣は徳川軍が勝利し、大阪城は燃えてしまい、秀頼は死亡しました。


 この戦いによって戦国時代に終止符が打たれるのです。



【家康はケチだけど、孫はケチじゃなかった】

 家康はただケチだったわけではなく……


家康「戦乱の時代、人民が質素な生活をしているのに、俺が贅沢できる訳ないだろ!」


家康「今は食べれても飢饉がきたらどうするんだ! 余った米は蓄えておけ」


 このような考え方を持った人だから、260年続く江戸幕府を設立できたのかもしれません。


 1616年に家康は亡くなります。

 その前に「俺が死んだら静岡に祭ってね。そして一回忌が過ぎたら日光に、質素なお堂を建てて祭ってね。そうしたら、江戸を守ってあげるからね。お堂は質素にしてね! 絶対に質素にしてよ! 絶ッッッッ対に質素にしてよ!!!」と遺言を残しつつ、フラグを立てて亡くなりました。


 さて、どうして日光だったのかと言うと、日光は江戸から見て真北にあり、これは不動の星(北極星)の方向になります。

 なので、家康は江戸幕府と日本の変わらない平和と守ろうとして、日光を選んだと言われています。


 家康の息子であり二代目将軍『徳川秀忠とくがわひでただ』は、遺言通りにして、質素な造りの日光東照宮を建てます。


 そして徳川家康を『東照大権現』という神号で祭る事になります。


 日光東照宮に行った事がある方ならわかると思うし、ググってくれれば画像が出るのですが、現在の日光東照宮は豪華絢爛な造りをしています。

 

 500余りもの細かな彫刻、金色に輝く山門と、日光東照宮はこのように家康の意向とは、かけ離れた姿をしています。


 それには訳があり、家康の孫である徳川家光とくがわいえみつが関わっています。

 家光は三代目将軍で『鎖国』、『キリスト教禁止』、『参勤交代』など江戸時代を象徴する政策を行った人物です。


 そして家光は祖父の家康を心から尊敬していました。いえ、尊敬を通り越して“神のように崇めていた”と言われています。


 そして、家康への愛が強すぎて……


家光「日光東照宮を建て直して、天下人のお墓に相応しいものにしよう!」

 このように考えました。


 そして修繕作業を行うのですが、莫大なお金がかかったというのは、現在の豪華絢爛な東照宮を見ればわかる事でしょう。


 こうして日光東照宮は一大観光地になるのですが、江戸幕府の財政を圧迫させたと言われています。

『一に質素、二に質素、三四がなくて、五に質素』という徳川家の家訓は、どこへ行ったんでしょうかね?


 さて、日光東照宮がある場所は古くから霊場とされ、山岳信仰の場所とされていました。つまり今も昔も強力なパワースポットとして人気だったんですね。


 


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