七六 ケチを貫いて神様なった!? 徳川家康~中編~


【にげるんだよぉ! というか、逃げるしかなかった】

 本能寺の変は、“ただ信長死んだ”というだけでなく、その後の歴史に大きな影響を与えた出来事といえます。

 この一件によって、秀吉が天下をとり、勝家が失脚、歴史を大きく動かしました。


 では、本能寺の変が起きた時、家康は何をしていたのでしょうか?


 それは本能寺が起きる少し前の事、家康は信長の城、安土城に来ていました。

信長「いやー、一時期は危なかったけど武田軍も倒したし、俺たち無事でよかったね」

家康「俺はう○こ漏らしたけどねw」

信長「今度京都に用事があるんだけど、その後一緒に遊ばない?」

家康「いいね」

信長「用事が終わるまで、大阪でも観光してきたら?」

家康「そうするよ」

 こうして安土城を後にした2人は、京都で別れて、家康は大阪へ遊びにいきます。


家康「いやー、ここが大阪か! テーマパークに来たみたいだぜ! テンション上がるな」

 このように大阪を堪能し、そろそろ京都に向かおうかな、と思った時。


「信長様が死にました」と、ここで本能寺の変が起きた事を知ります。


家康「ええ! うっそー!」

 家康にとって、同盟先の君主が死んだだけではありません。

 織田軍のトップが死んだという事は、政権がひっくり返っており、徳川軍のトップである自分の首も狙われている、という事なのです。

 いつ明智軍が襲ってきてもおかしくないのです。


 つまり、観光していたこの場所が、いきなり敵地になったようなものなのです。

 

 ここで京都に行って明智光秀を討つという選択肢もありました。

 しかし家康は遊びにきていたので、武器も兵も少なくて、それは出来ませんでした。

 

 家康には自分の領地である愛知県に逃げるしか、道がなかったのです。かと言ってここは敵地のど真ん中、退くのも難しい状況でした。


家康「も、もうダメだー! 俺はここで死ぬー!」

 追い詰められた家康は切腹しようしましたが、「はやまらないでください!」と、本田忠勝ほんだただかつに止められたといいます。


家康「俺、一体どうしたらいいねん」

 絶対絶命の家康。そこへ……


???「拙者の地元を通れば、何とかなるかもしれないニン」

家康「お、お前はー!?」

服部「服部半三、ただいま参上だニン!」


 ここで登場するのが、あの有名な忍者『服部半三はっとりはんぞう』です。 

 三重県と奈良県の境にある、伊賀という場所は、忍者の故郷として有名な場所で、服部半三も伊賀の出身でした。

 

 こうして家康一行は、服部半三の道案内で、彼の故郷を経由して逃げる事にしたのです。


大体の経路はこんな感じです。

大阪→奈良→伊賀→三重→愛知

 

 経路も決まり移動を始める一行でしたが、その道は決して楽ではありません。

 現役の戦国武将とはいえ、もはや家康達はもはや落武者同然です。金品を狙う盗賊に何度も襲われました。


 しかし、服部半三が活躍します。

服部「こういう訳だから、助けてほしいニン!」

忍者達「まかせるニン!」


 服部半三が仲間の忍者達に声をかけ、家康を守ったのです。

こうして、三重県に出た家康達は、船で海を渡り、なんとか安全な愛知県に辿り着いたのです。


家康「あ、あぶなかったー。助かってよかったー」

 こうしてホッとしている間、秀吉は『中国大返し』を行い、明智光秀を倒し、織田軍は秀吉に支配されていくのです。



【家康の天下統一】

 本能寺の変の後は、前回お話したので割愛します。


 さて、『小牧・長久手の戦い』の後、秀吉の家臣になった家康ですが、皆さん家康の戦法を覚えていますか?


 そうここでも『省エネ戦法』が発揮されます。


家康「秀吉様。ははーm(_ _)m」

 と秀吉の家臣として従いつつも、実は豊臣家が弱るまでじっと機会を伺っていたのです。


 そして、朝鮮出兵の失敗したうえ、秀吉が死亡しました。世継ぎの秀頼がいたものの、まだ6歳。豊臣政権は明らかに弱ってきました。


 家康にとってチャンスが到来したと言えます


 秀吉は死ぬ前に、豊臣家と息子の秀頼を守る為に……

『秀頼と豊臣家を頼んだよ。あと政略結婚はダメだよ by秀吉』

 という誓約書を家臣達に書かせるのですが……


家康「秀吉亡き後は、俺の時代だぜ! イエーイ! 政略結婚禁止だって? そんなのしらねー」

このように家康は政略結婚しまくったりと、やりたい放題となりました。


???「家康! これ以上好きにはさせない!」

家康「お、お前はー!」

三成「俺は石田三成いしだみつなり! 豊臣家は守る!」

 そう、後の関ヶ原の戦いで、家康と戦う石田三成です。


 石田三成はとても気配りできる男でした。現代なら飲み会でサラダを取り分けるタイプの男子で、合コンでモテるでしょう。

 気配り上手な三成は、とても秀吉に気に入られていました。


 三成も秀吉を深く尊敬し、秀吉の従えるようになります。そして18歳という若さでありながらも、秀吉の計らいで戦国武将になりました。

 このように、豊臣家に恩義のある石田三成は、やりたい放題で、しかも秀頼を立てない徳川家康に反感をもったのでしょう。


 色々、細かい所は省きますが、三成と家康の関係の悪化が関ヶ原の戦いへと発展します。


三成「皆、俺に力をわけてくれ! 徳川家康を倒す力を! うおおおおお!」

 三成は兵を集めて家康を倒そうとしました。しかし、三成には大きな問題があったのです。


 気配りは上手でも、戦いは下手だったのです。

 これは、“戦いが下手だから、戦況が悪化したんじゃないの?”と思いますが、少し違います。


 三成は大した戦績を上げていないのに、ただ秀吉に気に入られていただけで出世していたのです。


「三成ってさ、戦で活躍していないのに出世して、ズルいよな。」

 こんな感じで周りから嫌われていました。つまり人望がなかったのですね。その結果、関ヶ原の戦いでどうなったかと言うと……


武将A「三成、前から気に入らなかったんだよねー。家康につこう」

武将B「足を怪我してたんで、帰らせてもらいますわー」


 このように関ヶ原の戦いの最中にも関わらず、三成軍から裏切り者やリタイアするものが現れ、家康に破れてしまいます。



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