七一 魔王から神様になった!? 織田信長~後編~
【将軍を都の外へシュート! そして本能寺へ】
信長は足利義昭を将軍にさせる事で、自分も副将軍の座に着き地位を固めました。
しかし、将軍の権威を利用して全国統一を企む信長と、室町幕府再建を目指す義昭との間に亀裂が生じます。
そして、信長VS義昭の槇島城の戦いが起きます。その結果……
信長「いらない将軍は都の外へシュート!」
義昭「ぎゃあああああああああああああ!」
勝利したのは信長で、義昭は京都から追放されたのです。こうして、信長の力によって復活した室町幕府は、最終的に信長によって完全に消滅させられたのです。
将軍を追い出したので、信長は単身で政権を維持する事になり、天下の道を進みはじめます。
そして、長篠の戦いで武田軍を倒したり、安土城を建設したり、本願寺と決着をつけたり、武田一族を完全に滅ぼしたりと、領土を広げていきました。
信長の全国統一はあと少しのところで、1582年、本能寺へ信長は向かいました。
全国統一目前とは言えまだまだライバルはいるので、毛利小五郎……じゃなくて毛利輝元を倒すために秀吉が、上杉家を倒す為に柴田勝家を向かわせていました。
このように有力な家臣は出払い、軍も僅かな人数しか連れていませんでした。そんな中、信長は本能寺で40人ほどのお客さんを呼び、お茶会をしていたのです。
信長がまったりと京都を楽しんでいた、その夜、本能寺に家臣である
追い詰められた信長は自害しました。
信長に「ハゲ」とバカにされたから、黒幕は秀吉説などありますすが、何故、明智光秀が信長を裏切ったのか、はっきりとした事はわかりません。
ちなみに、この1582年に起きた『本能寺の変』は「
【実は信仰深い信長】
神仏を恐れない所業を繰り返してきた信長ですが、全くの無神論者ではありませんでした。
桶狭間の戦いの前には名古屋市内にある熱田神宮に、必勝祈願として塀を作って奉納しました。
これは『信長塀』と言って、現在でも熱田神宮に残っています。
また、八幡神社を修復したり、自分の教育係が亡くなった時にはお寺を建て、供養するなど信心深い一面もあります。
しかし、多くの人々の命を奪った残忍さや、お寺を潰してきたので、戦国時代以降の江戸時代では評判は悪るく、歌舞伎や浄瑠璃では悪役として登場する事が多かったそうです。
つまりダー○・ベーダーみたいなものですねw
信長に対する酷評が広がっていく中、江戸時代の終わり頃、
現代で例えるなら「今でしょ!」で有名な林先生みたいな人ですねw
この頼山陽が「信長が力で戦国時代を押さえつけて平定したから、この後に続く平和な世の中が出来たんだよ」と、信長を高く評価しました。
これががきっかけで、魔王の異名を持つ信長のイメージは変わっていき、現代のように英雄視されるようになったのです。
そして、明治天皇から『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます