六二 日本一の大天狗 愛宕権現

 愛宕あたごという地名は全国に点在し、東京にもあるので知っているかたも多いではないでしょうか。

 この地名の由来は、京都にある愛宕山の愛宕神社に由来しています。


 古くから火事防止にご利益があるとされ、現在の主祭神は伊邪那美神いざなみのかみです。


 さて、この愛宕神社ですが、神仏分離令によって主祭神が日本古来の神様へと変えられており、元々は愛宕権現を祭る白雲寺というお寺でした。


 さて、この愛宕権現ですが、元々は日本の天狗を束ねる大天狗と言われています。


 それでは、愛宕権現がどのような神様なのか見ていきましょう!



【役小角の前に現れた天狗】

 修験道の開祖である役小角えんのおづぬが、若手修行僧の泰澄たいちょうと一緒に、愛宕山を登っていました。

 ちなみにこの時、泰澄は20歳というヤングでしたが、役小角は70歳という、なかなか高齢でした。

 

 しかし、厳しい修行を経験してきた役小角は、ジョジ○3部のジョセ○・ジョースター並みに元気だったので、登山なんてへっちゃらですw


 2人が山を登っていると、突如激しい雷雨に襲われて進めなくなりましたが、真言しんごんを唱えると雷雨は止んだ代わりに、太郎坊という天狗がいたのです。


太郎坊「私は仏様に言われて、2千年以上前からこの地を守っていた!」

 太郎坊は役小角と泰澄にドヤ顔して、去っていきました。


 このお話は西暦700年ごろです。仏教が日本に伝わるのは500年ごろより前から仏法を日本に持ち込んでいたので、太郎坊はかなり時代の先を進んでいたようですね。

 ジョブ○やゲイ○も驚く、先見の明を持っていると言えます。


 こうして役小角は愛宕山に太郎坊を祭る社殿を造りました。

 この後、愛宕山に和気清麻呂わけきよまろとガッシュ・○ル……じゃなくて、慶俊けいしゅんというお坊さんが、勝軍地蔵しょうぐんじぞうを本尊とする白雲寺を建てました。

 これが愛宕権現の始まりだと言われいます。


 ちなみに勝軍地蔵というのは、あの世からやってくる魔物を追い払うお地蔵さんでした。なので馬に乗り弓や刀で武装しています。

 しかし、勝つ軍という名前と武装している姿は、サムライ達に受けがよく戦国武将の間で軍神として信仰を集めました。

 東京にある愛宕という地名も、徳川家康が愛宕権現を軍神として誘致したから、この名前が付いたのです。


 白雲寺を中心に、愛宕山は修験道の修行場として発展していきます。

 本殿に勝軍地蔵、奥の院に太郎坊が祭られる事になりました。


【現在の愛宕権現】

 さて、中世から近世では愛宕権現=勝軍地蔵という形で信仰を集めていた、白雲寺ですが、明治時代の神仏分離令がやってきます。


 白雲寺の本尊である勝軍地蔵は伊邪那美神に変えられ、名前も愛宕神社になりました。

 こうして勝軍地蔵の仏像は失われかけますが、京都の金蔵寺こんぞうじの愛宕大権現堂に移されましたが、奥の院で祭られていた太郎坊の像は失われたそうです。 

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