二二 日本を建国した神武天皇とは!? 後編

【本当の日本の建国の時期とは!?】

 今回は本当の日本建国の時期に迫りたいと思います。


 縄文時代は狩猟採取という原始的な生活をしていましたが、弥生時代になると田んぼや畑を作って定住するようになりました。

 こうして定住した人々でコミュニティーが形成され、小さな集落があちこちにできました。

 更にそれが大きくなり、国が生まれたのです。


 国といっても北海道から沖縄まで統治している、現代日本のような大きな政治組織があった訳ではなく、小さな国があちらこちらに乱立していました。

 そしてその国々が好き勝手やっている、まとまりがない状態だったのです。

 

 弥生時代の終わり頃に登場する邪馬台国も、いくつもある国の一つでした。

 邪馬台国は中国の魏と交易していたので、魏志倭人伝という形で記録が残っていましたが、卑弥呼の死後、唯一記録を残してくれる中国との交易が途絶えてしまいます。 

 そして邪馬台国は滅んだのか、それとも大和朝廷に発展したのか、謎が多く残される事になります。

 邪馬台国は日本史最大のミステリーと言われますが、“当時の日本人は文字を使ってなかったから”どうなったかわからなくなったんですね。



 さて西暦200年頃になると、力を持つ権力者達の間で大きな墓を作る事が流行り始め、各地に古墳が作られるようになります。

 つまり古墳ブームが到来したのですw 記憶に新しいタピオカブームに近いかもしれませんw

「タピる?」ではなく、「コフる?」という言葉を、当時の権力者が使っていたかどうかは、歴史の闇に隠されていますw


 こうして西暦200年くらいに古墳時代が始まりました。

(全然関係ない話ですが、小学生の頃、歴史の授業で初めて古墳という言葉を聞いて、私は小さなう○こだと思いましたw)


 古墳といえば、円墳、方墳 前方後円墳といったものは学校の授業で習うので、知っている方も多いと思います。

 しかしここで重要になるのは、同じ形の古墳がたくさん作られていたという事です。

 

 同じ形のお墓を作っていたという事は、乱立した国々が、それぞれ好き勝手やっていたのではなく、当時の人々に共通意識があった証拠でもあります。

 この事から各地の権力者達を束ねていた、大きな組織があったと考えられます。

 この大きな組織というのが、初期の大和朝廷と推測出来るわけですね。


 さて、三世紀の終わりくらいになると、前方後円墳が出現します始めます。

 前方後円墳は古墳の究極形態アルティメットフォームといえます。

 前方後円墳は基本的に大きいのですが、とくに巨大なものは長さ約300メートルもあります。

 東京タワーを横にした建築物と言えば、イメージしやすいかもしれませんね。

 これがマインクラフトならプレイヤー1人でも、頑張れば作れるでしょうが、現実だとそうはいきません。

 東京タワーを横にしたくらいの建築物を作れるという事は、豊富な資材を集め、たくさんの労働者をまとめられるだけの、大きな力を持つ支配者がいたという事です。

 つまり“王”に匹敵する人物がいたんですね。

 この事から、前方後円墳が登場した時期に、大和朝廷が国の統一を果たしたのではないかと、考えられる訳です。


 古墳を調べる事によって、紀元前660年ではなく、西暦200年~400年くらいが本当の日本建国の時期というのがわかりました。

 けれど、やっぱり記録がないので、誰が大和朝廷を立ち上げ、いつ成立したのか? という具体的な事はわかりません。


 やっぱりボンヤリしています。


 しかし二千年国家じゃなかったとしても、日本は1800~1600年以上続いている世界一古い国というのは間違いありません。


 さて、なんだか神武天皇の存在を否定するようなお話になってしまいましたが、私は否定するつもりはありません。

 最後に、私個人の意見ですが、神武天皇が存在したのかどうかはわかりませんが神武天皇の神話に元になった出来事はあったと思います。

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