六、トラブルメーカーの神様 須佐之男神~後編~
【スサノオと子供達】
クシナダとスサノオの間に
さて、スサノオとクシナダがどうなったか? というのは古事記、日本書紀には書かれていません。
以前お話した稲荷神であるウカノミタマは、クシナダとの子供と思いきや、二番目の妻である
なかなかのプレイボーイですねw
また、母親が不明な子供も多くいます。
オオクニヌシと結婚する
こうなってくると、プレイボーイというか、メロドラマのようにドロドロしていますw
また、面白いのは、天狗や鬼などの妖怪はスサノオがルーツだというお話があります。
江戸時代の書物である『
そしてその妖怪が天狗や鬼、
妖怪を生み出すなんて、鬼○郎の祖先もスサノオなのかもしれませんねw
【スサノオの信仰】
神名の「スサ」は、「
そのため嵐を神格化した神様だという説があります。スサノオが泣き喚くと、海が荒れるのは暴風を表しているのかもしれませんね。
また、「スサ」には「進む」も表していて、どんな困難見回れても突き進み、物事を成し遂げる、という意味もあると言われています。
これはヤマタノオロチを倒したヒーロー性の神格化なのかもれませんね。
猛々しくも、感情の起伏が激しい二面性のある神様だという事がわかりました。
さて、そんなスサノオはアマテラスの弟という事もあり、全国的に祭られています。
そんな中も最も有名なのが、京都の八坂神社です。
八坂神社と言えば、あの有名な祇園祭りが行われる神社です。その歴史は千年以上も続いており、今では京都の夏の風物詩にもなっています。
今は八坂神社の祭神はスサノオですが、元々は
牛頭天王はお釈迦様の生誕地である
「じゃあ、インドの神様なの?」と思いますが、牛頭天王は日本以外に信仰の形跡はなく、日本独自の神様だと言われています。
インドっぽいけど、インドにないもの。つまり「カレーうどん」みたいなものですねw
それでは、牛頭天王とスサノオがどこで、関わっていったのか見ていきましょう。
【神仏習合によって合体した、スサノオと牛頭天王】
事の始まりは仏教が普及していった中世日本です。
当時の日本では……
「神と仏は同じ存在だったんだよ!!!」
「な、な、なんだってー!!!」
という、神と仏を同一視する神仏習合の考えが広がっていきます。
仏教と神道が合体したんですね。まったく違う宗教が融合するのは、世界的にも珍しい現象といえます。
お寺と神社の違いがわからない日本人がいるのは、この影響かもしれませんね。
泣きわめいて問題を起こすスサノオは、「ヒステリーを起こすと疫病が流行る」と言われていました。
また牛頭天王も性格が荒っぽく、怒ると疫病を流行らせると言われていたのです。
つまり牛頭天王とスサノオは、性格よく似ていたんですね。
そして神仏習合によって、神と仏のハイブリット化が進む中、性格が似ているこの二神が合体したわけです。
さて、現代でこそ病気の原因は、ウイルスや細菌が原因なのがわかっています。
しかし医療が未発達な昔の人は、疫病が流行るのはスサノオ(牛頭天王)や、怨霊が怒っているからだと考えました。
このような考え方を『
「スサノオ(牛頭天王)や、怨霊が怒っているなら、お祭りをしてご機嫌をとればいいやん!」
という考えを元に、御霊信仰が発展して、荒ぶる神を喜ばせようという『祗園信仰』が始まります。
さらに朝廷が荒ぶる神を鎮める為に始めたのが、あの有名な祗園祭りだと言われています。
現代まで残っているスサノオ信仰の象徴でもある祗園祭りは、スサノオのご機嫌をとる接待みたいなものなのかもしれませんね。
さて、八坂神社は長く牛頭天王を祭っていました。
しかし時代が明治になると「神と仏は分けて考えましょう」という、『神仏分離令』という法律を明治政府が出しました。
これによってスサノオと牛頭天王は別れてしまいます。
しかも明治政府は、外国の神様よりも日本古来の神様を優先しましt。
そのため京都の八坂神社だけでなく、牛頭天王を祭っていた、多くの神社の祭神はスサノオとなったのです。
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