24. 顛末オルタナティブ
金曜日。いつもの図書当番の日。図書室にいる誰もが目の前の本に集中する静謐な時間は、――崩されていた。
「だーかーらー、そこはing形じゃなくてto beなんだって」
「あれ? そうだっけ? ここは過去なんじゃ……」
「いや、どう見ても未来でしょ!」
「お前ら……ここで何してんだ……」
今日は何故か恋人同士の千葉昴と細江千尋が長机で向かい合って勉強している。教科書とノートを開いているのは昴だけで、細江は赤ペン片手に昴を指導するスタイルだ。
図書室を見渡しても、本来図書当番である細江と昴しかいないからいいものの、一人黙々と本を読んでいた俺にとっては、うるさくて迷惑極まりない。
「春宮くん、私、気づいたんだ」
こちらを見ず俺の言葉など全く聞いてない風に、細江はサクサクと話を進める。
「なんだ。昴の頭がザンネンなことか?」
「それはずっと前から知ってる」
「ええ……酷くなあい?」
昴が小さな声で俺たちの会話に抗議しているが、知ったこっちゃない。
「昴にテスト前の一週間で勉強内容を詰め込むから大変なんだよ。だから今から勉強を教えればいいってことにね……」
自信満々そうな表情で新たに『気づいた』ことを明かす。
おお、なるほど。次の試験は三月の学年末テストだ。ざっと計算すると、今からなら三ヶ月ほど猶予がある。もうそのテストに向け勉強を始めることで、赤点を回避しようという魂胆か。
さすが、学年トップクラス。考えることが違う。けどそれには秀才が陥りやすい罠がある。
「悪くない案だがやめとけ。無駄だ」
「どうして?」
「こいつが三ヶ月前に勉強したことを覚えてる訳がないだろ」
目から鱗、といった風に大きく目をかっ開く細江。今にも目が飛び出しそうだ。
そうなんだよな。鬼才天才秀才ならまだしも、俺たち凡人は三ヶ月前に勉強したことなど、ほぼ覚えていない。もちろん先に先にと勉強するのはいいことだが、結果的にテスト前の徹夜の方がいい点数を取れてしまうのだ。
「た、確かに。じゃあもういいや。やーめた」
細江は体を投げ出すように椅子に腰かける。隣ではほっとした様子で昴がシャーペンを机の上に置く。いや、細江が教えるのをやめたからといって、勉強をやめていい訳じゃないんだが……。
「そういえばさ、アレどうなった?」
急に暇になった細江が俺に向かって訊いてくる。
「アレとは?」
「やだなー。分かってるくせに。大分面の皮が厚いよ」
「……」
まあ、こんな興味津々そうに聞いてくる話題といえば、先週の金曜日にあった『鷹瀬カンナ大外刈事件』だろう。
金曜日は様子見での入院となったが、特に悪いところもなかったので、その次の日には退院できた。だからもう自分の中ではそれは『過去の出来事』であった。
「噂の通りだよ。俺が鷹瀬にストーカー紛いなことをして、怒った鷹瀬にぶん投げられた。ただそれだけ」
「っていう演技なのね。よく分かった」
「……なんだ知ってたのか」
「昴に聞いたからね」
ちらと昴を見る。その口元には苦笑いが浮かんでいる。……どうやら口を滑らせたらしい。なるべく計画は教えてほしくなかったが、細江なら別にいいか。
「ちなみに言っておくが、投げられるのは台本にないからな。本当なら鎌谷先生に止めに入ってほしかったんだ」
「ああ、そうなんだ。それもてっきり狙ってるのかと」
「演技で投げられようとするドMはいねぇよ……」
「けど結果的にそうしたことで、計画より上手くいったんじゃない?」
「それがな、俺的には予定が崩れたから納得いってないんだよ」
怪我の功名ってやつだろうか。本来なら鷹瀬へのストーカーで裁かれるはずだった俺はむしろ被害者として扱われた。
それもそうだろう。俺がいくら酷いことをしたとしても、投げられて意識を軽く失って、病院送りになったのだ。それでも尚、俺を非難する気になるやつはあまりいなかった。罰は十分下ったとでも考えたのだろう。俺としては有難い限りだ。
それに「元カレが元カノにぶん投げられる」なんていう話題の俗っぽさが良かったのかもしれない。ストーカー問題が笑いのタネに置き換わったのなら、幾分か問題に関わる"重さ"も軽減される。
かといって鷹瀬が加害者になることもなかった。元々ストーカー行為を受けたのは鷹瀬であり、被害者であることに偽りはない。俺を投げたのも正当防衛と見る見方も強い。
結果、割りを食ったのは鎌谷先生、ただ一人だった。
「てことでお前に頼んだことは全てパァって訳だ」
「なあに。この策は使わないに越したことはないよ」
「この策って?」
俺と昴の会話に会話についていけてない細江が口を挟む。まあ、このくらい言ってもいいか。細江に向き合って俺が返答する。
「俺が本当にストーカー行為してるなんて、デマを広められたら困るからな。それとなく俺のことを擁護する情報をクラスメイトとかに流してくれって言ったんだよ」
ちなみに細江には言わなかったが、鎌谷先生に俺と鷹瀬が屋上にいるという情報を流したのもこいつだ。
「ふーん。なんかズルいね」
「なにがだよ」
「その自己保身に走ってる感じが」
「あ、それは僕も思った」
あっさりと細江と昴に俺の目的を看破されてしまう。確かに俺のやってることは明らかに自己保身だ。人を助ける上では、一番汚いとされること。
けどこうする明確な理由はあるんだよなあ……。言えないだけで。言葉に詰まった挙げ句、こう返す。
「仕方ないだろ。俺だって濡れ衣は嫌なんだから。これで停学とかになったら、それこそ洒落にならねぇ」
「まあ、学生一人にそこまで背負わせるのも酷か」
昴はうんうんと勝手に頷いている。上手く誘導できたようだ。それでいい。
「ちなみに今回、春宮くんの罰則は?」
「反省文一枚。せいぜい反省してるように書いてやったよ」
「意外と軽いね。良かったじゃん。カンナは説教もされてたよ」
細江は励ますように言ってくれるが、俺自身、それが軽いかどうかよく分かっていない。退学や停学とかに比べると確かに安い代償だが、本来なら得ていなかった業だ。しかも冤罪の。これが進路とかに関わってくるなら少し困る。
しかし鷹瀬も反省文に説教か。自分のこととはいえ、もしかしたらあまり払いたくなかった犠牲かもしれない。さぞかし怒ってそうだ……はあ、怖い。
「説教か。そりゃ御愁傷様だな。まあ、病院送りにしたんだから当然かもしれんが」
「……ねぇ、もしかして今、初めて知った?」
「そうだが……それがどうした」
「鷹瀬とあの後から喋ってないの?」
「あー……喋って、ないな、うん」
言われて気づく。クラスメイトなのでしょっちゅう顔は合わせているが、会話ともなると本当に全くないな。
「えっー! ありえない! 自発的じゃなくても、先生が喋らせたりしない? その、話し合いでの解決とかで」
「それはないだろ。また俺が投げられる可能性があるからな」
今回の事案が事案だ。ストーカー疑惑の男と男子にしっかり技をかけてぶん投げる女。子供たちを教化することが先生の責務といえども、流石にここまでだと手に余るだろう。俺が教師なら絶対に会わせない。核融合反応が起こりそうだし。
「じゃあカンナが今、どう考えてるか全く知らないってこと?」
「知らんなあ。逆にこっちが鷹瀬の現状を知りたいくらいだよ」
そう軽く、あくまで鎌をかけるつもりで言ってみたが、細江はそれっきり口を噤む。そしてじっと俺の瞳を覗き込む。……ホント、彼氏の目の前でこういうのはやめて頂きたい。
少し経ってため息を一つ。
「はあ……。そういうのは直接本人に訊いた方がいいんじゃない?」
「ま、そうだな」
気づいたら細江の言葉を肯定していた。言ってることはごもっともで、否定のしようがない。なんなら俺も退院してから、一度話をしようか考えた。
でもその前に大きな壁があるのだ。……その、なんというか、鷹瀬が怖いという壁が。あの後は投げたことを謝られることもないし、計画が上手くいったことを喜ぶこともない。なんなら俺に対して強い怒りも感じられない。
ただただ淡々としている。淡々と会話もない、目も合わせることもない他人を演じ続けている。
いつもの鷹瀬なら何かアクションがあっていいところで何もない。それが俺には酷く不自然に感じられ、また何を考えているのかよく分からず、どうも近づき難いのだ。
まあ、俺が日和っていても仕方がないか。もしかしたら鷹瀬は本当に、前の金曜日のことを何にも思ってないだけかもしれないし。
少しでも気になることがあって、それを解明したいなら、直接その人に会って訊かなければならない。少なくともあいつはそうだったはずだ。
そう考えると、やっと踏ん切りがついた気がした。
となると問題は鷹瀬とどうやって会うか、だ。場所はいつも通り屋上でいいとして、どうやってそこに来るよう伝えるか……。いつも通りだけど良くない方法の、手紙をロッカーに入れるってのを使うか。
そんなことを考えていると、ガラガラと図書室の扉が開く音が聞こえる。おっと、誰か来たようだ。これ以上のお喋りは控えた方がいいだろう。
……と思ったが、なんてことはない。入って来たのは彼女の卯坂小鳥だった。本来静謐な空間であるはずの図書室に、透き通った鈴のような声音が響く。
「響ちゃん、時間だよ」
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