23. 告白グラティチュード
「あんた、地獄に堕ちろよ」
*
その瞬間、俺は目・を・覚・ま・し・た・。
「夢か……」
吐息にも似た声が漏れるが、安心した訳ではない。夢は夢でも現実にあったことがそのまま夢になっているのだから。
見ると身体中に酷く汗をかいている。全く嫌な悪夢だよ。それにしても……あれ? なんで入院服なんか着てるんだ?
周りを見渡すと、シミ一つない清潔感溢れた真っ白い壁に囲まれていることに気づく。傍らには小さなテレビが置かれた台がある。そして転落防止の柵が付いたベッド。
母親が盲腸になった時にお見舞いに来たことがある。どう見ても病室のそれだった。
「あ、響ちゃん起きた」
「え、なんで小鳥がいるの」
ベッドの傍らには簡易的な丸椅子に座る卯坂小鳥がいた。
状況が全く掴めず頭を抱える。えっーと、そうだ。屋上で鷹瀬に投げられて……。
「もしかして意識飛んでた?」
「うん。鷹瀬さんに見事に投げられたんだってね。千葉君が陽気にメールしてきたよ」
「お前ら、いつの間にメアド交換を……」
そのせいで今、俺はとてつもなく恥ずかしい思いをしている。男子が無惨に女子に投げられるとは……。昴のことだから、この間にも周りに言いふらしてるに違いない。
「何日くらい寝てた?」
「えっーと……八分の一日?」
「つまり三時間か」
「そういうことだね。まあ、ただの脳震盪らしいから安心していいよ」
そう壁掛け時計を見ながら答える小鳥。『何日くらい寝てた?』なんて大怪我を負った主人公が、目覚めた瞬間に言いそうな台詞を放ってしまったが、時間的には全然、昏睡していなくて逆に恥ずかしい。
それにしても脳震盪か。咄嗟に受け身が取れなくてこれなら、軽症にはなるだろう。ホントに鷹瀬め、脳震盪で済んで良かったからいいものの、下手したらもっと大怪我してたぞ。
「あー、そうだ、鷹瀬は?」
「学校。事情が事情でも、人を病院送りにしちゃったからね。先生とお話してる」
「……ちなみに誰先生と?」
これで対応した先生が鎌谷先生なら面倒くさいことになるかと思ったが、
「生徒指導部の、えっと名前なんだったかな、とにかく鎌谷先生じゃなかったよ」
「そうか、それなら良かった」
それを聞けただけで十分だ。もし鎌谷先生が始末書を書くなりしたら、かなり偏ったものになるに違いないので、こういうのは公正な方がいい。
ほっとしている俺を横目に、小鳥はぽつりと呟く。
「変わんないなあ……」
「は? 何が?」
「こんな状況でも他人のことを気にするあたりだよ」
「いや、そりゃ気になるだろ。作戦失敗したら困るし」
「そういうとこだよ。もっと自分大切にしようって言ったじゃん。どうせ頭打つなら、そういう性格を変えてほしかったなー」
「自分勝手よりはいいだろ」
そこでふと投げられる直前の鷹瀬の叫びを思い出す。
『いっつもあんたはそう! 結局、自分が大事なんだ!』
耳が痛い言葉だ。おそらく付き合っていた頃の俺を指して言っているのだろう。
確かに夢に出てきた行動を鑑みると、そう捉えられてもおかしくないことを俺はしでかしている。もしかしたら別れた理由はこれなのかもしれないとなんとなく思う。
本当に自分が情けなくなる。何が一番情けないって、言われるまでそのことに全く気づいていなかった所だ。
だがこの言葉には小鳥が先ほど放った言葉とは大きな乖離、いや完全に真逆だ。
自分勝手と他人本位。人の評価は単一ではないから、ばらつきが出るのは当然なのだが、全くの両極というのはどうだろう。二元論で考えれば、どっちかは嘘ということになる。
ならば俺の本性はどっちなのだろう。そんなどうしようもない疑問が浮かぶ。気づいたら口を開いて、確認をしていた。
「なあ、俺は本当に他人のことを考える人間だと思うか?」
「私はそう思うけど……。なんで?」
「いや、鷹瀬に『自分勝手だ』って言われたんだよ」
「おお~、言うね~」
なんか感心されてしまっている。感心するところじゃないんだけどな……。
「うーん、響ちゃんは学校だと冷淡だから、それが他人に優しくなくて自分勝手だと思われても、おかしくないと思うよ。人にもよるけど」
そうか。ため息に混じってそんな声が漏れる。誰にでも好かれようと生きている訳ではない。だから今の行動を慎もうとは思わない。
けど親しい人が自分をそう思ってたら嫌だな。例えば小鳥とか。結果的にそれは杞憂であった。
「でも私は響ちゃんのいい所をたくさん知ってる。他人のことを考えられるのはいい所の内の一つだよ」
小鳥は笑顔でそう優しく語りかけてくれる。その時、カーテンの隙間から強い西日が射し込む。一瞬にして、その笑いかけた顔が赤く光る。
それを見ていると、心がふわりと軽くなったような気がした。同世代で一番長くいる人がこう言ってくれる。ひょっとしたらそれはとてつもない僥倖なのではないか?
「ねぇ、さっき私になんでここにいるのか訊いたでしょ?」
「ん? ああ、そうだな」
「何でか分かる?」
突然のクイズ。小鳥はいたずらっぽく目を細めている。女子ってそういうの好きなの? しかも回答するのも難しいんだよなあ。当てずっぽうで答える。
「あー、俺の両親が忙しいから、その代理?」
ここらへんが妥当な考えじゃなかろうか。今日、両親の帰りは遅いと聞いている。上手く仕事が切り上げられなくて、仕方なく家にいる小鳥に代理を頼むのはおかしな話ではない。
さてどうだ、と次の言葉を待つと、小鳥は楽しそうに口を開く。
「ぶー、はずれ」
「でしょうね」
俺にこういうクイズは無理だな。さっきの推論にも穴はあるし。息子が病室送りになったのにも関わらず、仕事を続けるのはうちの両親においては考えらづらい。今いないのは、入院に必要なものを取りに行ったりしているのだろう。
だいたい分からないから小鳥に訊いたんだ。
「正解は、お礼を言いに来たからでした」
「お礼?」
「そう、お礼。今回のストーカーのこと助けてくれた」
「……まだ完全に助けた訳じゃない。成功したかもどうかも分からないし、効果が出るのも時間がかかる」
言い訳のような言葉が口を衝く。多分最後の最後で投げられて、鎌谷先生に決断させ切れなかったのが、俺の中で無念になっているのだ。
「別にいいよ、そんなことは」
「いや、良くはないだろ。そうしないと学校には……」
「私がいいって言うんだから、いーの」
右手で俺の両頬を掴んでくる。香水だろうか、フローラルの甘い匂いが鼻腔を突く。ちょうど小鳥の顔が自分の真正面に来て、驚いた。
「私のためにこんなに頑張ってくれたのが嬉しいの。だから、本当にありがとう」
そのままぺこりと頭を下げる小鳥。それがどうも居心地が悪くて、なんとなく会釈を返してしまう。
「いや、別に、お前のためじゃない。そうだ、鷹瀬だ。これは鷹瀬のためにやったんだ」
「あはは。何そのツンデレ。ここまで来て、その言い訳は苦しすぎない?」
「とにかくお礼なんて要らないってことだ」
話をまとめる。そろそろこういうのは終わりにしたい所だ。面と向かって感謝されるなんて、久しぶりすぎてむず痒いからな。
「じゃあこれ以上は言わない。心の中に留めておくだけでいいよ。……でも、実はもう一つお見舞いに来た理由があるの」
「へぇ、何?」
来た理由にはどうやら別解があるみたいだ。そもそも第一の理由も分かっていない俺には、到底別解も分かるはずがないが。
だがそれ以降、小鳥は突如静かになってしまう。ただ小学生の卒業式のように背筋を伸ばし椅子に座り、手は膝の上。その手は少し震えている。
「えっーと……そ、その……私と……私と、その……」
やっと言葉が出たと思えば、ちぐはぐで聞きづらいものだった。でも何が言いたいかは、はっきりと分かってしまった。
その証拠に顔は真っ赤に染まってしまっている。今にでもオーバーヒートして倒れてしまいそうなくらいに。けど肝心な言葉が口から出ていってくれないみたいだ。
本当によく分かった。俺もそうだから。
「……なあ、俺と付き合わない?」
「え?」
「いや、実はだな、俺も伝えたいことがあったんだよ、うん」
「え、いや、その……」
小鳥があたあたと焦っている。おそらく俺の言っていることもよく理解できていないだろう。
俺の言い分はどう聞いても言い訳っぽい。でもこの際、そんなのは関係ない。小鳥が一番言いたくて、そして一番言って欲しかった言葉はこれに違いないのだ。
だから答えは割と早く出てきてくれた。
「は、はい、よろしくお願いします……」
なぜか敬語。しかも利口そうに座って、恭しくお辞儀してるのがどうもツボだ。俺は「くくく」と笑いを押さえられない。
「あ! なんで笑うの!」
「いや、なんか真面目だなあって」
「そ、そんなことないよ~。もう最悪!」
ポカポカと俺の肩を叩いてくる。適当にそれをあしらう。小鳥はずっと笑顔だった。多分、俺も似たようなものに違いない。
全てが満たされていた。同時に長らく自分の底の方でうねっていた暗い何かが取り除かれた感覚もしていた。やはり想いというのは互いに成就してこそ、初めて意味を成すものだ。
小鳥と出会ってどのくらい経っただろう? 小鳥が「響ちゃん」呼びにしてからどのくらい経っただろう? 小鳥が俺を好きになってどのくらい経っただろう? 俺が小鳥を助けてどのくらい経っただろう? 俺が小鳥を好きになってどのくらい経っただろう?
本当にここまで来るのが長かった。寄り道もした。ようやく一周目スタートライン。
それおかげで今はその高揚感を強く噛み締められる。
鷹瀬との"日常"は駄目になってしまった。けど次はそれを糧にして、小鳥との"日常"を一緒に作り上げよう。俺は密かにそんな決意を新たにした。
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