22. 追憶ドリーム
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20XX/7/16
「ねぇ春宮君、あたしと付き合わない?」
放課後、屋上に一陣の風が吹き、鷹瀬さんの肩まで伸ばした髪を揺らす。夕暮れに照らされ、朱に染まった顔には笑顔を浮ばせていた。
派手な鷹瀬さんなら、この手のものには耐性がありそうなのに、恥ずかしそうに笑った感じがうぶで、おそらくこんな表情を見れる人間はそうそういないだろうと当てをつける。
「ああ、うん。いいよ。これからよろしく」
「……詳しいことは訊かないの? 理由とか」
「こういうのに詳しい何かは要らなくないか?」
それっぽい理由を付けたが、実際はただ浮かれているだけだ。
春宮響太郎という男は別にモテる訳ではない。コミュ症ではないため、女子とのコミュニケーションには特に困ったこともないが。しかし率先して場を盛り上げたり、軽妙なトークで和ませる技量までは持ち合わせていない。
そんな俺がクラス、いや学年でもトップクラスで可愛いと、もっぱら評判の鷹瀬カンナさんに告白されるなんて、これ以上ない誉れ。凡庸な男子が浮かれないはずがな。
「よし。じゃあ、これからデートね」
「え」
いきなりか。とにかく鷹瀬さんと付き合うことになって、すぐに学んだ教訓。それは彼女は結構気まぐれだということだ。
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20XX/8/4
「見て見て! イルカ! イルカだよ!」
付き合い始めてから少し経ち、夏休み。本当に「夏休み」という制度は誰が考えたのだろう。その方に全力でお礼を言いたい。ありがとうございます。
おかげでほぼ毎日、鷹瀬とデートだ。いつもなら鷹瀬の買い物についていく感じなのだが、今日は趣向を凝らして水族館に来ていた。
「おお~。イルカだ」
「でしょ! イルカ!」
鷹瀬が柄にもなく、はしゃいでいる。それがまた自分の中の鷹瀬像を刷新するようで、見ていて面白い。もちろん言動の節々に教室で見せるような唯我独尊な一面も見え隠れするが、こういう可愛い一面があるのもまた事実だ。
多分、俺は未だかつてないほどの多幸感に包まれている。可愛い彼女がいて、その彼女とは会う度に意外な一面が発見できる。本当に飽きることがない。
願わくばこの"日常"が永遠に続けばいいとさえ思った。
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20XX/9/27
「でさでさ体育の時に千尋がさ~……って言ったんだよね。あ、あと鎌谷先生の授業ってさあ……」
夏休みの余韻が完全に抜けきった時分となり、ほとんど秋といっていい季節になった。
俺と鷹瀬は学校近くのカフェに来ていた。学校からのアクセスの良さと、それでいて飲み物やらサイドメニューの価格はリーズナブルということもあり、放課後の店内はだいたい学生で混み合っている。
俺は窓側に通された席で、鷹瀬の話に相槌を挟みながら、外の風景を眺めていた。遠くに見える山並みには木々の緑の中に、既にポツポツと紅く色づいた所が見受けられる。こうして飲むコーヒーもいいもんだ。
するとつんと鼻をつつかれる。
「何?」
「話聞いてた?」
「細江と化学の鎌谷先生の話だろ? 聞いてたさ」
「じゃあ、ここで問題です! 千尋が体育の時、最後に言った言葉は何でしょう?」
「あー、それは……」
突然のクイズに思わず口ごもってしまう。
全く聞いていなかった訳ではない。けど風景を眺望していたのも事実で、話の詳細までは覚えていない。
ちらりと鷹瀬を見る。こういう、話を聞いてなかった時の鷹瀬は怖いのだ。
「はあ、仕方ないな。響太郎って結構、マイペースだよね」
「それはおま……あんま言われたことないな」
「いや、マイペースだよ、うん」
決めつけたように腕を組みながら、鷹瀬は何度か頷く。
俺がマイペースというなら、鷹瀬の方がよりマイペースだと思うが。もちろんマイペースを自分を突き通すという、いい意味で捉えた場合だが。
鷹瀬は一旦話すのをやめ、飲み物に口をつけている。俺もコーヒーに口をつける。いつもと同じブラックだ。けれど今日はとても砂糖が欲しい気分だった。
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20XX/11/9
「あれ、小鳥じゃん。散歩?」
鷹瀬とのデートの日。以前待ち合わせした時にほんの少し遅れてしまったことがあったのだが、その時は一日中機嫌が悪かった。なので早めに家を出るように心掛けていたが……、まさか幼なじみの卯坂小鳥と鉢合わせするとは。
「あっ、響ちゃん……」
「響ちゃんはやめてくれ」
「あ、うん。ごめん」
「……小鳥、どうした?」
「えっ、何が?」
「響ちゃん」呼びになってもう十数年になる。小学生までは何とも思わなかったが、中学生になり思春期も相まって流石に恥ずかしくなった。それからその呼び名を出した時は抗議を入れているが、一向にやめる気配はない。
そんな小鳥が「響ちゃん」呼びを謝る? 反省とか心変わりを推測する前に小鳥が異常であることを疑った方が賢明というものだ。
見れば幾分か顔色も悪い。元々の肌の白さを通り越して、むしろ青白くなってしまっている。
「実は……その……た、たす」
小鳥はちらりとこちらを向く。視線は俺の顔ではなく、胴に向いている。デート用の一張羅の服に。
「……いいや、何でもない。デート、楽しんできてね」
出会ってから、十数年間で一度も見たことのない小鳥の笑顔。その唇が小刻みに震えていた。
「くっそ……。来い!」
「えっ、ちょっ!」
俺は小鳥の手を掴んで駆け出す。おそらく小鳥は『助けて』と言いたかったに違いない。それを放っておけるほど冷血漢でもないのだ。
行く当てというと……、とりあえず俺の家しかないだろうな。確か母親が夜勤明けだったはずだ。それなら一応の保護はできる。
鷹瀬とのデートは……今はそんなことを考える時ではない。小鳥の方が先決。家に着いたら、中止のメールをするなりしよう。
*
20XX/11/13
「女といたんだってね」
今日の授業が全て終わり、俺は屋上に呼び出されていた。呼び出した張本人の鷹瀬カンナは俺が着いてすぐに、そう話を切り出す。
「……何のことだ?」
「とぼけないで。友達から聞いたから。あんたが女の手を掴んで走ってたって。浮気?」
「ああ……」
頭がくらっとした。まさかあれを見られたとは。
数日前、俺は確かに小鳥を自分の家に連れ込んだ。字面だけ聞けば、犯罪臭がぷんぷん漂って来そうだが、実際はストーカー被害に遭っていた小鳥を守っただけだ。
だが彼女に見られてまずい状況なのは間違いない。
「それには深い理由があってだな……」
「ふうん」
俺の言い訳じみた言葉に、鷹瀬は既に興味を失っているように見感じた。爪をちらと見ながら、
「で、その深い理由ってのは?」
「ああ、それはな……」
俺は胸を撫で下ろす。一応理由は聞いてくれるみたいだ。機会が与えられるなら、デートの日に何をしていたか全て話そう。
ここは法廷だ。誠心誠意を持って真実を明かせば、それなりの判決は下るはずだ。無罪とはいかなくても、執行猶予くらいは……。
そこで俺は言葉に詰まっしまう。
「……何? 急に黙って」
「いや……」
俺はあることに気づいてしまった。この行為は自己保身のために、小鳥を切り捨てようとするものではないか? アクティブな鷹瀬なら俺が連れていた女子に詰め寄るくらいのことはするのではないか?
ただでさえ小鳥はストーカー被害に遭って、辛い渦中にいるはずだ。その証拠に今週に入ってから、学校に行けなくなった。そんな小鳥を鷹瀬に売ることなど、俺にはできない。
「まあ、理由なんてどうでもいいけどね。でも言い訳しようとする態度を見ると、女と一緒にいたからデートをドタキャンしたのはホントっぽいね」
ここで自分が大きな失態を犯したことに気づく。しまった。俺はあのままシラを切り続けねばならなかったのだ。
鷹瀬は他人の言うことはすぐには信用しない。その言葉を信じる証明は俺の自供でしかありえなかった。だから失策。
「いや、それはだな……」
「はあ……本当に言い訳ばっかだね」
俺に見せていた笑顔は何だったのかと問い質したいほど、冷徹な表情をしていた。
「そもそもあんたはあたしが何で怒ってるか、分かってない時点で終わってる」
やっと鷹瀬はこちらを向く。その目は酷く冷たく、見ているだけで震え上がりそうなものだった。そしてその視線は俺の目を真っ直ぐと射止めている。
怒ってる理由は俺が女子を連れていた、もしくはデートをドタキャンしたことかと思ったが、そうではないらしい。彼女が分かってないと言うなら間違いないのだろう。
では一体怒りの理由は何なのか。それを考え始めたが、すぐに鷹瀬が言葉を紡ぐ。
「最後に何か言うことは?」
最後、か。既に判決は決まってしまったようだ。執行猶予なしの有罪。
今ほど鷹瀬の果断さ、そして自分が正しいと思っている女王気質を呪わないことはない。付き合っていた頃は長所だと認めていたのに。
ここまで来たら、俺が言えることといえば
「……何もない」
「あっそ」
それだけ言うと、そこからは一切、俺を見ないで屋上を出ていこうとする。
俺は動けなかった。ただ"日常"がこんなにあっさり崩れることに愕然としていた。これからは全くの他人になるのだ、俺たちは。
俺も鷹瀬を見ていない。けど最後に振り返るのが分かった。そして掛けられた言葉は酷く冷たかった。
「あんた、地獄に堕ちろよ」
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