21. 断罪アクト
「……さあ開・演・だ」
屋上のドアが開かれる音がした瞬間、そう小さく呟いた。
ターゲットの鎌谷先生がゆっくりと屋上に入ってくる。そして俺らを見るや否や、
「……ああ、やっぱりここにいたか」
そんな安堵したような声を出す。恐らく昴から俺たちが屋上にいるという情報を聞いて、ここまで来たが、確信できる材料はなかったのだろう。しかし実際そこにいた。それだけで気が緩んだに違いない。
ちなみに昴には事前に作戦を伝え、屋上にいる情報を鎌谷先生に流すように頼んでおいた。
「何があったかは知らんが、とりあえず今は授業に戻れ。悩みがあるなら、俺がちゃんと後で聞いてやる」
あくまでも優しい口調で俺たちに語りかける。後でしっかりと相談を聞くと約束するあたりに、気配りがよく利いている。
その態度に思わず惑わされそうになる。けどこいつはれっきとしたストーカー行為を行っている。俺もこの目で見た。父も言っていたはずだ。「誰もが犯罪を犯す性質を持っている」と。まさかこの人が、なんて見かけに騙されてはいけない。
迷うな。言え。自分を捨て去れ。
「先生には関係ないでしょ」
俺がその一言を放った瞬間、鎌谷先生の表情が不可解そうに歪む。
こうなるのを望んでやっているが、実際にそうなると中々、心に来るものがある。
というのはこれが全て本心じゃない演技だからだ。しかし俺と鷹瀬と小鳥が望む解決には絶対に必要なこと。避けては通れないし、生半可なことでは演技だと見破られるだろう。やるなら徹底的に"ヒール"を演じろ。
「関係ないとはどういうことだ」
「いや、これは俺と鷹瀬の話なんで。先生が気にしなくっていいっすよ」
そこで俺は媚びへつらうように、へらへらとした笑いを浮かべる。何か一物があるかのように。
鎌谷先生は誘導されてるとも知らず、何かを感じ取ったかのようにぴくりと右頬が動く。
「気にするな、と言われて気になるのが人間だ。鷹瀬、春宮に何かされたか?」
「いや! 何もしてないですよ! とにかく先生は早く授業にお戻りになった方が……」
敢えて鷹瀬への質問を遮って、俺がぱっと答えてしまう。なるべく焦りを感じさせるため、かなり早口だ。それに疚しいこともあるように言葉を紡いだ。
それを機に先生がいよいよ俺を本格的に疑い始めた。俺に向けられている目は、もはや授業をサボった問題児に対するそれではない。先生はため息混じりに一言。
「いや、俺は鷹瀬にな……」
「な、何もないよな、鷹瀬」
素早く先生の言葉を遮る。都合の悪いことがあるかのように。
俺は確認の意を込めて、鷹瀬の二の腕をがっと強く掴む。鷹瀬が露骨に嫌悪感を顔中に出し、ぶんぶんと手を振って、逃げようとする。
「は、離して!」
「いや、おいっ、鷹瀬!」
「先生! 助けてください!」
そこで放たれたように鎌谷先生は俺と鷹瀬の間に割って入る。鷹瀬の方を庇うようにして先生が立っている。まあこの行動はおそらく、鷹瀬に良いところを見せたいとかいう、下卑た下心からなんだろうが。
その証拠に鎌谷先生が澄ました声で鷹瀬に確認する。
「鷹瀬、大丈夫か?」
「は、はい」
「もう一回訊く。春宮に何された」
冷静な先生の言葉を最後に、全ての音が消える。屋上に吹く風だけが鼓膜を揺らすようだ。この凪いだ時間は次の鷹瀬の言葉を待っている。
ここからが勝負だぞ、鷹瀬。やがて意を決したように、ゆっくりと鷹瀬が口を開く。
「わ、別れたのに、春宮君が復縁しようって、しつこいんです!」
鷹瀬の悲痛な叫び。それに鎌谷先生は大きく目を見開く。鷹瀬の位置からは死角だろうが、俺にはよく見えた。鎌谷先生の表情はギクリという音が聞こえるようだった。
だろうね。今までそういう行動を鷹瀬や小鳥にしてきた鎌谷先生には心当たりがあるに違いない。鎌谷先生のストーカー行為はそもそも、そういうもつれがエスカレートしたものだ。俺の行動と先生の行動には重なり合う所があるだろう。
俺の場合は根拠のない出任せではあるが。まあ、せいぜい容疑者を演じるさ。
「いやいや、全くそんなことしてないですよ、先生。ただ別れるのを考え直してほしいとだけ……」
「嘘ばっかり! だったらしつこく追い回してきたり、校門で待ち伏せしたりしないでよ!」
「はあ!? そんなことしてねぇよ。何かと勘違いしてんじゃねぇの?」
「まあまあ……」
そこで鎌谷先生はやっと仲裁をする。しかしさっきの俺と鷹瀬の間に割って入ったとは思えないほど、弱々しいものだった。しかも冬だというのに、額に少し汗をかいている。
ここまで来ると面白い見世物だ。きっと彼には俺が自分の合わせ鏡にしか思えないだろう。特にしつこく追い回すなんて、自分の行為を非難されてるように感じるに違いない。
もしここで俺を断罪すれば、そのまま自分にもその罪は当てはまる。しかし俺を肯定することもできない。世間一般に俺がやったとされることは悪で、教師という体面がある以上、倫理観を曲げてまでの許容は難しい。
八方塞がり。鷹瀬を助けるために俺を非難することもできず、俺を肯定すると執着している鷹瀬の期待を裏切る。そんな難局に立たされた先生に鷹瀬が声を掛ける。
「先生はどっちの味方ですか!」
「そ、それは……」
口ごもる先生に俺と鷹瀬は注視する。この選択は先生にとっては、相当重要なものに違いない。
一人の人間としての自分を優先するか、教師として弱き生徒を助けるか。善悪の面からいけば、鷹瀬の味方であるのは間違いないはずなのだが、そうも簡単にいかなそうなのが実情だ。
「先生……?」
小首を傾げ、すがるような弱々しい声を出す。演技とはいえ、こんなに庇護欲をそそられるような声を鷹瀬が出せるのには驚いた。そういうのは彼女の専売特許だろうに……。まあ、とにかくこいつは男を籠絡する術をホントにいくつ持ってるんだ。
さすがの先生も困り果ててしまったようで、ポリポリと頭を掻いている。その隙を俺が突く。
「ほらな、鷹瀬。先生、困ってんじゃねぇかよ。やっぱ俺らだけで片を付けるべきなんだよ」
「はあ? あんたの非常識な行動に言葉も出ないんでしょ」
「だからそんなことしてねぇんだって」
俺は苛ついたように頭をガリガリと掻く。それが合図だった。
鎌谷先生の欲望と体裁の両天秤は上手く揺らした。今は自身の行為の罪悪感に苛まれているに違いない。そうでないなら、鎌谷先生は人間じゃないと諦めよう。
もしまだ人間の心が残っているなら、ここで決断させなければならない。つまりストーカー行為を自ら辞める選択を。
そのために俺を断罪しろ、鎌谷。それは自分の行為を悪だと自覚させるものだ。罪悪感があれば、それを継続するのは難しい。つまりストーカー行為を自ら辞めることに繋がる。分かりやすくいうなら『人の振り見て我が振り直せ』というやつだ。俺の作戦の狙いは全てここにある。
いよいよクライマックスだ。さあ、自分の手で自分の悪行をやめさせろ。
「てか鷹瀬、ベタベタ先生に触るのやめろ」
「はあ? してないけど」
「思っきしやってんじゃん。早く離れろ、キモいんだよ」
「だってこうもしないも、春宮君また暴力振るうじゃん」
「また……?」
ポツリと鷹瀬の言葉を繰り返す鎌谷先生。再びその顔色が変わる。復縁強制、付きまとい、暴力。いよいよ俺、ひいては鎌谷自身を優先する余裕はなくなったはずだ。
ここで俺を非難しなければもはや人間じゃない。エゴにまみれた化け物だ。
「またってお前……。一回もやってないだろ。……本当にしてませんからね、先生」
「ほら! そうやって先生に良いところ見せようとする! そのズルいとこ、ぜんっぜんっ、変わってない!」
「お前なあ!」
俺は怒りが爆発したように鷹瀬に掴みかかる。鎌谷先生が止めに入るかと思い期待したが、逆に俺の剣幕にビビって避けてしまう。……まだエゴは捨てきれてないか。
鎌谷先生が割って入らせるため、そのまま俺と鷹瀬が取っ組み合う。もちろん相手は女子なので、演技だとバレないくらいに手は抜いているが。
「何よ! 思い通りにいかないから、また暴力振るうの!?」
「振るってねぇよ。その出任せ、撤回しろ!」
「振るってるじゃん! 今!」
「掴んでるだけだ! お前がやめればやめる」
「やっぱこの場に及んでも言い訳するのね! あんた!」
繰り返すが、これも全て演技である。なんならどんなセリフが言うかや立ち振舞いを示した台本もある。
しかしこんな大声出すのはいつぶりだろう。もしかしたら人生初かもしれない。口では攻撃的でも、なるべく掴み合う演技は緩めに。それを心がけて鷹瀬のブレザーから見えるブラウスの襟を掴む。
それにしても俺の方の首が痛いな……。鷹瀬が襟を掴んではいるが、当然手加減してるよね? 下手したら絶叫しちゃいそうなんだけど……。早く先生、仲裁に入って!
「いっつもあんたはそう! 結局、自分が大事なんだ!」
あれ……? おかしいな。鷹瀬にこんなセリフはなかったはずだが……。臨場感を持たすためのアドリブか?
「ホントに自分勝手で! あたしの気持ちなんてまるで考えてなくて! 『正しくて、効率いいことだけしてればいいでしょ?』っていつも澄ましてて! そういう所がムカつくんだよ!」
鷹瀬が本心を曝け出すかのような慟哭を叫んだ瞬間、ぐるりと俺の視界が反転する。空が下に、屋上が上に。鷹瀬の表情だけははっきりと見え、口を大きく開き、何か言っている。奇妙な世界だ。何が起きたんだろう?
間もなくしてゴツンと大きな音が鳴り響く。それが自分の頭から鳴った音だと分かるまでには多少の時間がかかった。やがて全身にくる痛みでやっと鷹瀬に投げられたことに気づく。おそらく得意技の大外刈りが決まったのだろう。そういえばこいつ、柔道得意だったな……。
でも今するかね……。話が違うじゃないか。あまりにも唐突で受け身も間に合わず、地面に叩きつけられたんだが……。
ああ……これは、ヤバい。意識がフェードアウトしていく。本当なら計画の行方とかそっちの方が気になるのだろうが、今は何故投げられたんだ、という疑問だけがぐるぐると頭の中を巡っていた。
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