20. 次元ラスト
教室全体には弛緩した空気が流れている。金曜日。テスト終わり。また今回のテストは二学期期末試験なので、これが終われば冬休み、クリスマス、正月とイベント目白押しである。高校生くらいなら、嫌でもこの時期は浮き足立つだろう。
そのせいか鎌谷先生の担当する化学の授業を真面目に聞こうとしてる人は見当たらない。誰もが居眠りしてるか、近くの人とお喋りをするか、一人で内職に励むかのどれかを選択している。
いや……誰もが、ではないか。俺だけは真面目に化学の教科書とノートを開き、鎌谷先生が言った大事そうな言葉を所々メモしている。別に自分だって普段は真面目な訳じゃないんだが……今日は、計画を実行する予定の今日だけは、しっかりと聞かないといけない気がしたんだ。
あまり気にしたことはなかったが、改めて真面目に鎌谷先生の授業を受けると、結構分かりやすいと思った。
映像などそんなご大層なものは使わないし、生徒同士でディスカッションさせたりもしない。目新しいものはない、板書中心のスタンダードな授業スタイルだが、軽妙で興味深い話を織り交ぜ、全然飽きはしない。今日誰も話を聞いてないのは、あくまで気の緩みからだ。
しかし鎌谷先生の上手い授業を聞けば聞くほど、なんで? という疑問の色が強くなる。教師として不適応な所がある訳ではない。生徒からの信頼が厚くないこともない。私生活だって順調そうだ。
なのになんでストーカーなんか。そう思ったと同時に、チャイムが鳴る。
「よし、じゃあ二時間目はこれまでな。七時間目は寝るなよ」
鎌谷先生はそう授業を締めて、教室を出ていく。今寝ていたやつは最後の釘を差す一言にびくっとしている。……こういう塩梅も上手いのか。
それは置いといて、今日実行移すのはこの弛んだ雰囲気と今日の化学の授業が二時間あるという所にある。理由は追々かな……。
そうだ。その計画のために絶対必要なやつが一人いる。そいつに確認のため、声をかけておく。
「おい、昴。起きろ」
「うがっ。……ああ、悪い。寝てたよ」
「七時間目は寝るなよ」
「分かってるさ。むしろそのために、今寝てたんだよ」
涎を拭きながら、さも当然といった風に言葉を返す千葉昴。このストーカー解決の間違いなく、キーマンなんだが……不安だなあ。
しかもこの発言、鎌谷先生が聞いたら、どう思うだろうなー。少なくとも今、起きたということは、鎌谷先生の忠告はまるで聞いていないのは間違いない。
先日のテストで赤点回避して少しは見直したんだが、これは学年末テストは一夜漬けコースっぽいな。
まあ、確認は一応取れたので、自分の席に戻る。その直前。一つの女子グループが目の前を通る。どこへ行くのだろうか。周りなど気にせずに、けたたましい笑い声を鳴り響かせている。自分たちはここにいると存在証明するかのように。
正に住む世界の違う人間。そしてそのグループの先頭の鷹瀬カンナとは、次元すらも違っていたのかもしれない。
そんなことをふと思っていると、どうしてか彼女がこちらに近づいてくる。そしてすぐに通り過ぎる。取り巻きの騒がしい声だけが残る。けど鷹瀬が小声で言った一言ははっきりと聞こえた。
「よろしくね」
声は本当に小さく、そこに包含する感情は窺いしれない。けどやってやらないとな。そんな感情は沸々と沸き上がって来て、再び覚悟を決め直す。
*
授業は恙無く進み、六時間目が終わる。これからが勝負だ、とばかりに席を立つ。ちょうど昴に声を掛けられる。
「おっ、響太郎。行くのかい?」
「ああ。後は頼んだ」
横目でちらりと鷹瀬の席を見る。つまらなそうに頬杖をついている。その彼女に近づき、その手を掴む。なるべく目立つように。
「来い」
「えっ、えっ?」
がたっと椅子が動く音がする。困惑したような声を出しているが、構わず鷹瀬を連れてずんずんと教室を出ていく。
それを見て何事かと周りの連中は声をひそめて、様子を窺っている。けど制止する者は誰もいない。恐らく触らぬ神に祟りなし、とでも思っているのだろう。取り巻きの女子くらいは制止するかとも思ったが、それもない。安い友情で助かった。
やがて俺と鷹瀬は教室を出て、もはやお馴染みとなった屋上へ辿り着く。
「さて……」
そう一呼吸置いて、掴んでいた手をパッと放す。
「悪いな。急に掴んで」
「結構痛かったんですけど。演技なんだから手加減出来なかった?」
「本当に思わせるために、臨場感出すのは重要だろ? ただでさえ嘘なんだから」
一仕事終わらせたかのように、俺と鷹瀬は屋上の柵に寄りかかる。まだ一仕事残ってはいるが。
今鷹瀬の言った通り、今までの動きは全て台本のある演技であり、作戦だ。俺が鷹瀬の腕を掴んだのも、鷹瀬が困惑の声を上げたのも、屋上まで来たのも。
詳しい作戦の狙いは後だが、少し開示するなら、演技のクラスメイトをその気にさせる、と言うのが一番良い表現か。
屋上に強い風が吹き抜ける。前……といっても二日前だが、その時来たときには寒さはまるで感じなかったのに、今では制服程度じゃ凌げない寒さだ。そんな所が嫌でもいよいよ年の瀬、十二月に入ったことを自覚させられる。
隣を見ると、タイツも履かず生足を惜し気もなく披露している鷹瀬は、俺より寒そうに体を擦っていた。
「うー。超寒い」
「じゃあなんで生足なんだよ」
「あんたに見せてんじゃない。キモい」
キモいと言われてしまった。この二週間程、何回聞いたんだろ……。
女子の永遠の謎を男子代表として解明せんとしたが、あえなく話を逸らされてしまった。ホントなんなんでしょうね、その、女子の生足にかける熱意は。こっちとしては、その熱意だけが寒さを越してるようにしか思えない。
「てか、いつまで待てばいいの?」
「根性無さすぎだろ……。老人が『今時の若いモンは』っていうのも分かるわ」
「はあ? そんな手垢のついた意見なんて聞いてないんですけど」
「ひっでぇ。……待つのは鎌谷先生が来るまでだよ」
「あと何分?」
ああ、メンドくさくなってきた……。生来のせっかちなのか、つまらなくなると時間を気にするクセは付き合ってた頃から何も変わらない。
「知らねぇよ。鎌谷先生が動いたって連絡来たら、だよ」
「誰が連絡するの?」
「昴だな」
「ちっ、あのマスゴミか」
その名前を口にした瞬間、一気に不機嫌になり、目の鋭さがいっそう増す。……おい、マジで千葉昴、鷹瀬に何したんだよ。鷹瀬がいくら激情家だといえ、こんなに急に雰囲気変えるの珍しいぞ。
てかこんな状況で悪態つけるのもすげぇな。意外と大物なのかもしれない。
そこで会話が途切れる。なんとなくそれも気まずい感じがして、話の穂を継ぐ。
「そういやストーカー行為ってまだ続いてるのか?」
あ、やってしまった。その一言が出た瞬間、そう直感する。話の継続を優先して、内容を精査しきれていなかった。慌てて訂正する。
「あ、いや。答えたくないなら、答えなくても……」
「まだあるよ。ストーカー行為もあるし、学校でもしつこく話しかけてくる。テスト期間の時も」
「……そうか」
まだ行為は続けられているのか……、そう思うと息が詰まった。加えてもしかしたら俺は、大きな思い違いをしているかもしれないと思った。
俺の鷹瀬や小鳥に対する人助けは結局、他人事なのだ。失敗しても直接失敗に被害が加わることはないから。
でも彼女らは違う。ここで失敗すれば、苦しみは続くのだ。しかも今度は終わりが見えないという絶望も共に。バチンと両手で頬を叩く。
「……よし!」
「えっ、何? 怖いんですけど」
鷹瀬はこちらに恐怖の入り交じった視線を向けてくる。別にいいだろ……。お前らのために覚悟を決めたんだ。この作戦がどう転んでも、浮くなら浮く、沈むなら沈む一蓮托生でいる覚悟を。
その時、ちょうど制服のポケットに入ったスマホがぶるる、と震える。昴からのメールだった。
『鎌谷先生、そっち行ったよ』
伝えてくれたことへの感謝の返事をして、スマホを再びポケットへ。そして目を閉じ、腕を組んでいる鷹瀬へ一言。
「鎌谷先生、来るらしいぞ。そろそろ準備だ」
「…………うん」
鷹瀬の憂いを帯びた横顔。屋上を吹き抜ける風が髪をしなやかに揺らし、頭上に流れ来た雲が表情を翳らせる。開いた目には鈍い光が宿っているように見えた。
俺はその時「ああ、これで"最後"なのだ」と自覚する。今まで別れたといえども、何だかんだでここまで来てしまった。互いに他人だと思っていても、完全に他人に成りきれずにいた。けどこの問題が解決すれば、俺と彼女を繋ぎ止めるものは何も無くなる。
途切れて、離れて、隔絶して、ほら、何の関係性もない二匹の人間の誕生だ。次元がそもそも違うのだから、再び出会うこともない。
寂しい、とは思わない。ただモラトリアムが延長しただけだ。間違っても今の距離感が、新しい関係を構築してると勘違いしてはならない。
ただ思えらくは……「惜しいな」という感情。何がそう思わせるのかはよく分からないし、何故そんなことを思ったのかも分からない。けど確かにそんな感情が自分の中で渦巻く。
まあ、ただ「これで"最後"」という認識が自分の心をセンチメンタルにさせているだけかもしれないが。こんなことを考えても、仕方ないのに。人間の関係性なんていつだって、残酷なほど不可逆なんだから。
思索の波に巻き込まれそうになった時、ギィと屋上の重い扉が音を立てる。鎌谷先生が来たようだ。
ポツリと俺は呟く。
「……さあ開演だ」
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