12. 希望ジャッジメント

「ストーカーがあたしに接近してきたのは、付き合っていた彼氏と別れてからでした」


  その鷹瀬の一言に背中にぞくりとした悪寒ようなものが走る。つまり『付き合っていた彼氏』というのは俺のこと、だよな……?

  しかし目下の問題はそれが俺ということを父親に特定されてはいけないというものだ。絶対面倒くさいから。


「ほう。話の腰を折って悪いが、そのストーカーとは面識はあったかい?」

「ありました。ていうか……誰か知らないんですか」


  なんで父親が知らないんだ、と責めるように俺の方をちらりと見る。今なら誰か分かる。そして鷹瀬のストーカーは小鳥のストーカーとおそらく同一人物であることも。けど少し前に遡るならば


「俺と父親は正体を分かってないぞ」


  ということなのだ。そしてその言葉は言外に小鳥は知っている、と示している。

  鷹瀬はその事実にすぐに気づいたらしく、小鳥を睨みつけている。これは蛇に睨まれた蛙だな。蛙の方は下を向いてしまっている。

  だが鷹瀬は苛烈なやつであるため、手加減をするはずがなく、こう言い放つ。


「卯坂さんが何考えてるかは知らないけど、あたしは助けてほしいから、名前言うね」


  処置なしといった風に小鳥は「はあ……」とため息を吐いている。今は状況が状況だ。ここに来て我が儘は突き通せないと思ったのだろう。しかも相手は鷹瀬だし。

  まさか小鳥も今まで嘘を吐いてまで隠していた事実を、こんなに簡単に日のもとに晒すとは思っていなかっただろう。俺は嘘が早くにバレたのは結果として良かったと思うが、小鳥はどうだろう。まあ、内心穏やかではあるまい。

  ため息を了承と見たか、鷹瀬はその名前を口にする。


「鎌谷という男です。うちの高校の教師で、あたしと春宮君のクラスの担任です」

「へぇ……。それ本当かい?」


  ここで親父は驚いたような顔をする。本心か演技かは分からない。


「本当だぞ。俺も見た」

「わ、私も本当は見てました。私をストーカーしてたのは鎌谷先生でした」


  やっぱりか。俺は小鳥の言葉を聞いてそう思う。それはやっぱり嘘を吐いてたのか、と思うのと、やっぱり鷹瀬と小鳥へのストーキングは同じ人物か、という思いからだった。


「そうか、卯坂さんもか……。ちなみに歳は? あと結婚してる?」

「詳しくは知りませんが、三十前半だったと思います。結婚はしてなくて独身です」

「あの……歳は三十四です」


  怯えながらも、正確な情報を出してくれる小鳥。


「ふうん、そうか。相手は下手したら青少年保護育成条例違反だが。まあ、これは後でいいや。とりあえず話の続きを」

「はい。前のカレシは同い年だったので、次のカレシは歳上がいいなーって思って、始めはあたしの方から鎌谷に接近していったんですけど……」

「おっふ……」


  なんだこれは……。俺に対する所業が鬼畜すぎやしないか。誰も鷹瀬の強かな恋愛思考なんて聞きたくないっすよ……。

  鷹瀬と俺はそこそこ学内で有名なカップルだったので、小鳥はその結末も知っているようで「御愁傷様」という風に両手を合わせている。


「実際関わってみると、ホント嫉妬深いってゆうか〜 なんかいいおじさんなのに余裕がなくて、重い? って感じで〜」

「ここは放課後のス○バじゃねぇんだよ……」

「で、もういいや、って思って近づくのは止めたんですけど……。鎌谷がストーカーするようになったのは、その後からですね」

「それ全部、お前が悪くねぇか……?」


  どう考えても、鷹瀬に非があるとしか思えねぇ。本当に女子は自分の都合で取っ替え引っ替えするから残酷だよなぁ。鎌谷先生も鷹瀬の接近を好意と勘違いしたのかもしれない。同じ男として、本当に同情する。

  しかし鎌谷先生とは気が合いそうだ。『鷹瀬カンナ被害者の会』を設立したい気分。


「響太郎、被害者だけが悪いなんてことがあっていい訳がないんだよ」

「そんなもんかね」

「まあ、このケースはちょっとアレだが……」


  親父も苦笑を浮かべている。今回は流石にストーカーにも同情する所はあるのかもしれない。


「まあ、とりあえず……その鎌谷という男はどんな印象なんだい、響太郎」

「俺ェ? 関係なくね?」

「いや、こういうのは客観的な意見を言える第三者がいいんだ」

「なるほど」


  鷹瀬や小鳥は被害者だ。いやがおうにも悪い意見しか出てこないだろう。

  俺はふと考える。いつもの鎌谷先生か……。


「そうだな……。基本的に面倒くさがりだけど、やるべきことはしっかりやる先生って感じかな」

「悪いイメージはない?」

「嫌いな所はあるけど、生徒が教師に持つ感情なんてそんなもんじゃね?」

「確かに自分が学生の時もそうだったな」


  うんうんと親父も同意する。教師なんていつの時代もそうだろう。好きでもなく、嫌いでもない。むしろ嫌い寄り。でもそれは何か特別な理由があるわけでもなく、ただ人間というのは自分の人生に口を出されたくないだけなのだ。

  しかし今の会話では、いつもの鎌谷で特に悪い所は見当たらなかった。


「つまり怪しい所はないってことか?」

「いや、そうでもない。こういうタイプはキレた時やばい」

「ふーん。つまり怪しいってことか」

「いや、そうでもない。周りの印象通り、そんなことするやつじゃないかもしれない」

「は? 何が言いた……」


  言いたいんだ。そう続けようとした。しかし親父のじろりと睨めつけたような視線に気圧される。


「つまり誰でも犯罪を犯す性質を持ってるんだよ」


  ごくりと誰からともなく喉が鳴る音が漏れ出る。

  俺は突如として、笑顔の仮面が剥がれてどす黒い憎悪が見え隠れする豹変した人間のイメージが浮かび上がる。

  性善説とか性悪説なんていうものが馬鹿馬鹿しく感じる。結局、世の中には善人も悪人もいないのだ。ただ薄暗い何かを持った有象無象がそこにいるだけ。


「まあ、その本性を現した人を捕まえ、更正させるのが我々の仕事なんだけどね。そのためには……」


  ぴっ、とピースを作るようにして、鷹瀬と小鳥を指差す。


「私が君たちは鎌谷をどうしたいのか知らないといけない」

「どうしたい……とは?」


  鷹瀬が親父の発言の一部を切り取って訊く。


「何でもいい。逮捕してほしいでも、ストーキングを辞めさせたいでも、近寄ってほしくないでも。我々はそのために証拠を集めるだけだ」

「あたしは逮捕してほしいです」

「すげぇ、即答だよ……」

「そりゃあ徹底的に叩かないとダメでしょ、あんなクズは」


  思わず俺は感心したような声を上げてしまう。こんな所が鷹瀬が鷹瀬たる所以でもあるのだが。

  果断で気分屋。前までは俺がストーカーをクズと言ったら、思い切り抗議してたのに、今は普通にクズ呼ばわりしている。その変わり身の早さが清々しかった。

  対して小鳥というと……。


「私、私は……」


  中々、結論が出ないようだ。急に犯人を逮捕とか言われたら、怖じ気づくのはある意味当然であるが、それを理解できない鷹瀬はきっ、と鋭い目線を小鳥に突きつける。

  その視線を受けてびくびくしている小鳥が居たたまれなくなって、俺は助け船を出していた。


「別にゆっくりでいいぞ。夜は長いからな」

「……うん!」


  そこから小鳥は腕を組んで、本格的に考え始める。意図しない形で嘘がバレることになったが、そっちの方が気分に楽になったのかもしれない。

  逆に鷹瀬は眉をひそめる。切れ目も相まって、怒っているようにも見える。まあ、鷹瀬は感情の揺れ動きが多いからな。こういう時は触れぬが吉だ。

  だが機嫌が悪くなるだけじゃ飽きたらないのか、はあと不景気そうなため息も吐く。一体、何なんだ。そう思うが、我慢我慢。機嫌が悪い時に質問して、何か良くなった試しがないからな。

  ようやく小鳥は口を開く。


「あの、私は、鎌谷先生がこんなことしなくなれば、それだけで十分です……」


  口が綻ぶ。小鳥はやはり小鳥だった。罪を憎んで、人を憎まず。一般的には甘い考えなのかもしれないが、俺は小鳥の考えに慣れているので、そんなに悪い印象はなく、むしろ好印象だ。

  けど上述の通り、それに納得できない人種は少なからずいる。このメンツの中ではやはり自分と異なる意見にはピラニアの如く食い付くことに定評がある鷹瀬だった。


「はあ? 何そ……」

「そうか。分かったよ」


  鷹瀬の抗議を遮る親父。小鳥が怯えないよう、細やかな配慮が利いている。


「とりあえず鷹瀬さん、鎌谷を逮捕したいなら明日にでも被害届を出すことをオススメするよ。逮捕なら警察に任せるのがいいからね」

「お父さんも警察なのでは? だから協力を……」

「いや、私はね……ここまで偉そうに話してきたが、ストーカー犯罪は専門じゃないんだ。だからここで出せるのはあくまで個人レベルの意見だ。


  餅は餅屋。この手のやつはストーカー犯罪を専門としてる警察官に相談するのが一番だよ」


「分かりました。考えておきます」


  こくりと鷹瀬が頷く。それを見て、親父は笑いかけてこう言う。


「とにかく、私は君たち二人の要望に全力で応える。だから困ったら、いつでも相談してくれ。自分に言うのがなんだったら、響太郎伝えでもいい」


  そうまとめて、話を終わらせる。

  別にまだ解決した訳でもないのに、鷹瀬と小鳥はほっとした表情を浮かべる。これは秩序を維持する者ができる芸当なのだろうか。

  でも本当に彼女らを安心させうるのは、結局のところ、願いを満願成就させるしかないのだ。

 

  直感的に自分はそう思ってしまったのだ。だからどうすれば彼女らを助けられるか、微妙な安堵感が漂うリビングを眺めながら、ただその一点のみを考えていた。

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