11. 親父ハプニング

  鷹瀬を迎え入れるため、家のドアを開ける。たが思考はまだふわふわとしたままだ。どうしてうちの高校の教師がストーカーなんて……。そんな行き場のない思考が頭の中に蔓延る。

  だがすぐにそんな思考は止まることになる。


「おお、帰ったか、響太郎」

「おー……、ただいま……」


  家に帰って、早速父と会ってしまう。こ、心の準備がまだ……。鷹瀬を隠すように突っ立ったままの俺を不審に思ったのか、鷹瀬が俺の背中から「どうしたの」と家の中を眺めているのに気づく。

  ああ、なんてタイミングの悪い! 鷹瀬、少しは察して隠れろよ! それになんで家にいるのは父なんだ! 母なら理解を示したかもしれないのに!


「ん? 響太郎を後ろに何か憑いてるぞ」

「憑いてるってなんだよ……」

「いや、女の霊が見えるから。いかん、疲れてるのかもしれん。さすがにもう年か」


  そう言って、父親は目元をきゅっと指で押さえる。対して鷹瀬はポカンとしている。まあ、春宮家を知らない人からしたら、何のコントが始まったのかと思うだろう。だが残念。これが日常なのだ。はあ……。


「別にそんなジョークはいらないから」

「じゃあその子は人間か。それでそちらのお嬢さんは?」

「えっーとこの人は鷹瀬カンナ。俺の同級生で、ストーカー被害に遭ってたから連れてきた」

「ストーカー被害……」


  一気に目の色が変わる。そしてじっと品定めするように、鷹瀬を見据える。その感じだけは刑事らしかった。


「そうか、大変だったね。とりあえずお嬢さん、ここではなんだ。リビングに上がりなさい」

「あっ、じゃあ、お邪魔しまーす……」


  遠慮した声を出す鷹瀬がリビングに通される。しかしこうして下手に出る鷹瀬も珍妙だな。

  リビングまで通す間、俺は父親に訊く。なんでここにいるんだ、と非難する風に。


「母さんは?」

「夜勤だ。なんでお前、知らないんだ」

「普通は知らねぇよ……」


  そりゃあ俺だって、たまに夜勤くらいなら覚えておくさ。けど母は月に何度も夜勤だし、父親も似たようなものだ。いちいち覚えておける訳もない。てか諦めた。しかも子供の頃からそうなら、家に親がいなくてもどうにかなるものだ。


「そうだ。小鳥は?」


  あくまで耳打ちするように小さい声で訊く。できることなら鷹瀬には知らせたくないし。


「んあ? ああ、卯坂のお嬢さんか。二階にいるよ。呼ぶか?」

「いや、いるんだったらいい」

「まあ、そう言わずに。証人は多いに越したことはない。おーい! 卯坂さん! 降りておいで!」

「何してんだぁぁぁ! 親父ィィィ!」


  遠くから「はーい」という声が微かに聞こえる。ああ……なんで起きてるんだよ……。

  とてとてと階段が下りる音が聞こえる。終わった。何がって? 学校生活全てが。


「あ、響ちゃん、帰って来て……え」


  小鳥が固まる。そりゃあ見事に。おそらく心情的には「どうしてあの鷹瀬カンナがここに?」という感じだろう。性格も違うし、苦手意識はあるのかもしれない。

  鷹瀬の方を恐る恐る見る。鬼がいた。失礼、鬼の形相の女性がいた。そんな変わらないか。

  ぎろり、とこちらを見てくる。ともすれば胸ぐら掴まれそうな勢いだ。心情としては「何、別の女子連れ込んでるんだ」といったところだろう。

  しかも小鳥を無視するようお触れを出したこいつから言わせてみれば、鬼の首取ったような気持ちだろう。


「お前……」


  鷹瀬がポツリと呟く。その一切遠慮のない言葉に思わず、空を見上げ瞑目する。怖ぇ、怖すぎる。死が目の前にある。


「どうしたんだー? 早くリビングに来なさい」


  ああ、もう! ホントに空気読めねぇな! うちの親父は!


「後で……後で説明する、いや、します鷹瀬さん」


  ポンと鷹瀬に肩を叩かれる。「絶対ね」と静かに言った言葉が余計に恐怖を煽る。

  だがここは矛を収めてくれるようで、父親に促されリビングのL字型のソファに座る。その隣には微妙な表情で小鳥が、父親はL字の曲がった所に座る。俺は別室のダイニングキッチンの椅子を持ってきて、父親に向かい合うように腰かける。

  まず父親がゆっくりと口を開く。


「よし、とりあえず響太郎、お茶淹れてこい。四人分な」

「はあ? いや早くストーカーの話を……」

「お客様が来てるんだ、お茶を出すのは礼儀だろ」


  正論であることは間違いないんだが、あんなに厳かに言うことないじゃないか。思わず構えてしまった。

  だが正論であることには変わりない。俺は渋々、キッチンへ行き、お茶を淹れようとする。けれど茶葉がありそうな棚をゴソゴソと探していると、重要なことに気づく。


「茶葉ねぇし……」


  適当なこと言いやがって……。考えればそもそも、家にお客さんがあんま来ないから、そんな大層なものがあるわけないのだ。基本、家ではペットボトルのお茶を箱買いするし。

  仕方ない。コーヒーを淹れるか。家族揃ってカフェイン中毒なので、インスタントコーヒーだけは多いのだ。あれ、でもお茶にもカフェインは……、まあいっか。


  湯を沸かしている間、リビングにいる鷹瀬のことを考える。今の状況をあいつはどう思っているのだろう。少し頭が回れば、俺の隠し事は小鳥を匿っていることだと気づくだろう。そして鷹瀬は意外と思慮深いのだ。

  計らずしも俺と鷹瀬の隠し事はトレードされた。でも鷹瀬がそれで満足かというと、そんなことはないんだろうなぁ……。

  だからあいつは説明を求めたのだ。もちろん俺も誤解は解きたいから、喋るのは喋るのたが……少しでも口ごもれば、そこを特に突っ込んで訊いてくるのだろう。

  後々の説明の義務に軽い憂鬱を覚えていると、湯が沸き上がる。言われた通り、四杯のコーヒーを淹れ、お盆に載せてリビングまで持っていく。


「お茶がなかったからコーヒーで……」


  そんなことを言いながら、リビングへ入っていく。だがすぐにその場に違和感を感じる。

  小鳥は愛想笑いが顔に張り付いたまま固まっていて、鷹瀬は苦々しそうな表情を浮かべ、敵視したように親父を睨んでいる。対して親父は能天気そうに微笑んでいる。

  直感する。……親父、何かやりやがったな。あまり何をしたか訊きたくないが、訊かないと前に進めなさそうではある。思い切って尋ねる。


「親父、何した」

「何って……鷹瀬さんとお前の関係性を訊いたんだが駄目か?」


  愕然とする。一番駄目な質問をこんなにクリティカルに、かつスピーディーに突いてくるとは思わなかった。鷹瀬の表情にも納得だ。

  とにかく元恋人関係はバレない方が良さそうだ。


「同級生だよ、ホントにただの同級生」

「狙ってるなら正直に言ってもいいんだぞ」

「クソ親父が…………」


  かえすがえすも最低なことしか言わねぇな、この男は。なんでこんなに簡単に地雷を踏み抜けるんだ。これもう地雷処理が天職だろ……。

  てか狙ってるどころか、もう終わってるんだよなあ。そういう意味では、父親の想像の一歩先を行っている。やべぇ、全然優越感なくて笑えてくる。

  鷹瀬はというと仏頂面で黙ったまま。よく分かっていらっしゃる。沈黙は金なり。早くも父親のあしらい方を覚えたようだ。


「まあ、前座はさておき……」

「さておきじゃねぇ。前座でダウン寸前だよ」

「でも舌は回しやすくなっただろ?」


  舌を回させる、あるいは口を滑らせやすくするために、あえて答えやすい質問も用意するのは会話する上で重要な技術だが、父親のこういう所だけは警察らしいのかもしれない。結局、その目的を喋ってしまうのはどうかと思うけど。


「じゃあここからが本題だ。まず鷹瀬さん、さっきの状況を教えてくれるかな?」


  真っ直ぐと鷹瀬を見据える父。その眼差しは優しい。それはまるで被害者を眺める目だった。


「さっきの状況だけじゃ、多分不十分だと思いますけど」

「なら時間の許す限り、好きに喋ってくれ。それを聞くのが私の義務だ」


  鷹瀬がちらとこちらを見てくる。なんだこの変わり身の速さは、といったところだろう。

  まあ、そうだよな。先ほどまで地雷を踏み抜きまくっていた父親はまるで別人のようだしな。俺はそれを知っているから、鷹瀬に声をかけてやる。


「親父は信頼はできないけど、信用はできるぞ」

「酷いなぁ、響太郎は」


  ははは、と快活に笑う親父。ジョークだと思っているらしいが、これは結構マジで言ってるんだよなぁ……。

  それでも鷹瀬は安心したようで、ゆっくりと話を切り出す。


「ストーカーがあたしに接近してきたのは、付き合っていた彼氏と別れてからでした」

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