10. 無知エスケープ

  ファミレスからの帰り道。すっかり暗くなっており、外灯がポツポツと点っている。

  腕時計を見ると、だいたい二十二時前。いつもなら昴の勉強にもっと付き合うのだが、今日は細江が早く帰ったので、早めに解放された。その代わり、昴は明日も勉強会ということになったが、俺には関係ないことだ。

  春宮家の門限は両親が警察官でありながら、なぜか緩く二十三時。一度、それにも遅れたことがあったが、親からは「巡回の警察官には捕まらないようにしろよ」と言われたが、「それをあんたらが言う?」と思ったものだ。その時は、公私を分けているんだなあ、と都合よく解釈した。


  なので時間は何も心配する必要はない。心置きなく家に帰ればいい。だが別のことが頭の中を逡巡していた。

  鷹瀬カンナは卯坂小鳥のストーカーと関わりがある――。

  それどころか鷹瀬の態度を見るに、おそらくそいつに惚れている。とてもそれが厄介だと感じた。

  本当なら純粋な親切心から「そいつはやめておいた方がいい」と鷹瀬に言いたい。だが十中八九、いや確実に「何? 妬いてんの? キモッ」と言われるはずだ。

  その鷹瀬の冷めた表情を想像するだけできつい。きつすぎる。おそらくメンタルは粉々に砕け散るし、鷹瀬は鷹瀬で逆に意地になって、そのストーカーと付き合おうとするだろう。

  そして何よりも吹っ切れてるようで、元カノに干渉する自分自身が一番、気持ち悪いように思えた。

  俺に「地獄に堕ちろよ」と暴言を吐いたから、ストーカーに騙されようと知ったこっちゃないと思えば、それまでだが、あまりにそれはそれで夢見心地が悪い。




  そんな色んなことを考えると、足取りも重くなる。そう遠くないファミレスから家までの距離も、いつもより長いように感じた。

  だからこれは本当に偶然の偶然。干渉できたのは享楽主義の神だけだったに違いない。

  曲がり角、思考が深まりすぎたせいか、誰かとぶつかってしまう。


「っと……、あ、すいま……って鷹瀬かよ」

「ああ、うん……」


  目鼻立ちがしっかりしていて、人に威圧感を与える切れ目が外灯に照らされていた。間違えるはずがない。鷹瀬カンナだった。

  うちの高校の制服を着ている。どこか買い物にでも行ってたのだろうか。

  いつもならここで嫌味の一つでも言いそうな所だが、今日は心ここにあらずなのか、鷹瀬はキョロキョロと周りを見渡している。その表情には疲れが混じってるように見えた。

  先ほど嫌な真実に辿り着いてしまったことから、思わず「どうした?」と訊いてしまう。言ってから気づく。これは鷹瀬から「ウザイ」とか言われるパターンのやつだ。きつい。

  どんな暴言が来ても、耐えられるようにぐっ、と身構える。だが鷹瀬は変わらず、周囲を見ているだけ。いよいよ鷹瀬を不安に思った所で、ガッと腕を掴まれる。


「来てっ!」


  訳も分からず鷹瀬が走りだし、それに引っ張られるようについていく。


「ど、どうした!?」


  先ほどとは同じ言葉でも違う、上擦った声が出る。だがそんな俺の疑問はお構い無しに、鷹瀬はずんずんと進む。息が上がっていた。

  急に鷹瀬が止まる。一言呟いたのが聞こえた。


「撒いた……かな?」


  意味が分からない。気づいたら訊いていた。


「何をだよ」

「ストーカー」


  どくんと全身の血管が波打ったような気がした。今、その単語はあまりにもデジャヴだ。この偶然に俺は慌てたような声が出る。


「そ、それはどんな?」

「なんで他人のストーカーに追い回されなきゃいけないのよ」


  つまり自分目当てのストーカーだということだ。そこで嫌な予感が過る。それは思考の大いなる飛躍と言ってもいい。


「もしかしてそのストーカーって、前話してた……」


  ガバッとこちらに首を向ける。目を大きく見開いた鷹瀬の表情が正解だと伝えていた。


「……なんで分かんのよ」

「俺だって置物みたいに生きてる訳じゃない」

「あ、そう」


  厳密に言えば、いち早く、卯坂のストーカーと鷹瀬への情報提供者を結びつけたのは昴であり、今のストーカーをそれに繋げたのが俺ではあるが。


「とにかくどうすんだよ、これから」

「家に帰る」


  毅然として、鷹瀬は言い放つ。そりゃそうですよね。だが一つだけ思い当たることがあった。それは小鳥の同じことだ。


「家の場所、バレたらまずくないか?」

「は? なんで?」

「これからも付きまといがあったら、そいつ家来るだろ。それって危ないんじゃ……」

「? 無意味すぎるでしょ、それ」

「え、なんで?」

「こっちがなんでって訊きたいわよ」


  さっきから話が噛み合っていないが、まあいい。鷹瀬がこのまま帰ると主張してるのだし、こうなったら梃子でも動かないだろう。

  俺が家までついていっても良かったが、鷹瀬が嫌がるだろうし、何よりそれを見たストーカーが逆上すると色々と困る。

  ここは薄情ではあるが、普通にこの場を去ろうと思ったが、俺は帰れないことに気づく。鷹瀬が俺の手首をぎゅっと掴んでいるのだ。


「鷹瀬、手、手」

「あ、悪いわね」


  何でもないように、鷹瀬が手を離す。離されて気づく。鷹瀬の手は小さく震えていた。それに表情には、えもいわれぬ不安感が見てとれた。


「……ったく、来い!」

「えっ、えっ」


  今度は逆に俺が鷹瀬の手首を掴んで、走り出す。連れていくのは俺の家。てかそれしか思い付かなかった。

  理由は本当になんとなく。ただこのまま一人で帰すのは心配だった。一人で帰ったら、鷹瀬はこの出来事を心の奥にしまってしまいそうだから。

  自分が大丈夫と思ったものでも、ちょっとした傷から腐敗は始まって、やがて取り返しのつかないような穴が心に開くことだってあるのだ。

  少しは抵抗するかと思ったが、鷹瀬は案外従順で俺の家までは来た。

  だが『春宮』と書かれた表札を見ると、少し怯んだ表情をする。自分が何をしているかに気づいたらしい。それと共に掴んでいた手が振りほどかれる。


「は、入るの?」

「お前がどうしても入りたくないなら、それでもいいぞ。無理やり連れ込んだら、それこそ俺が犯罪者だ」


  いつもならここできっぱりと拒否しそうな鷹瀬だが、今日はちらちらと俺を見るくるだけで結論は出ない。


「あのな。勘違いしそうだから言っておくが、俺は弱ってる女子を家に連れ込んで、どうこうしようは思わない」

「そんなことは思ってない。あんたはヘタレだから」


  その発言に頬が緩む。別に自分がマゾスティックな訳じゃなくて。こっちの暴言吐いてる方が鷹瀬らしいのだ。……やっぱ調教されてんのかもしれん。

  表情もいつものきっ、とした強情さを感じるものに戻っている。

  鷹瀬はそれだけ言うと、家の玄関に歩み寄る。

  いつもの調子には戻ってるように思えるが、平気かというとまた別の話のようだ。また質問してくる。


「そうだ。親はあたしを家に入れて大丈夫なの?」

「大丈夫。他に保護してる子がいるくらいだから」

「それ、大丈夫な事案?」

「事案とか言っちゃてる時点で疑いMAXだろ……」


  まあ、確かに今の状況は異常だと思う。もちろん、それを許したうちの両親は異常だし、受け入れてる俺と小鳥も異常なのだが。


「てか気にしなくていいぞ。うちの両親、警察官だからこういうのには慣れてるし。それに変わり者だから、受け入れてくれると思う」

「ふうん、そう」


  安心したようで、ようやく入る素振りを見せる。その時に一言呟いたのが聞こえた。


 「そんなこと、知らなかったな」


  知らなかった、か……。俺もだよ。そんなことを言いたくなる。

  鷹瀬があんなに弱々しい一面があるとは知らなかった。もちろんこんな状況で強くいれる人は少ないのだが、いつでも鷹瀬だけは気高くいるものだと勘違いしていた。

  別れて他人になってから、そんな一面を発見する。つくづく俺たちは分かり合えていなかったのだと、本当に今更ながら思う。


「と、その前に……」

「どこ行くの?」

「ちょっとな。あ、そうだ。親に遅れる、って連絡しといた方がいいぞ」


  俺は鷹瀬を放置して、すたすたと敷地外を出ていく。

  小鳥と同じ轍は踏まない。おそらくストーカーは俺たちを見失っても、そこらへんをうろちょろしてるに違いない。その姿を見れば、鷹瀬のひいては、小鳥の隠している真実に辿り着けるかもしれない。

  そう思い、家の周りをうろうろする。ここらには何年も住んでいる。怪しいやつが隠れられそうな場所くらいなら分かる。


  いた。そう探し回らないうちにそれらしい人物の後ろ姿が見える。慌てて刑事さながら、近くの電信柱に隠れる。

  男は中肉中背で、服装は白いワイシャツに黒のスラックス。いかにも特徴がない風貌だった。

  となると顔で覚えるしかないか。男がこちらを向いた。多分、気づかれてる訳ではない。見えた。


  見た。


  俺はそのまま音を消して、その場をそそくさと立ち去る。俺がこんな所にいることをストーカーに見られたらまずい。

  そうしてやっと理解する。さっきの鷹瀬の「無意味すぎる」という発言の理由が。確かにこいつなら、鷹瀬の家の場所なんて分かってて当然だ。

  なんてことはない。ストーカーの正体は俺も鷹瀬も小鳥も、なんなら昴も細江もよく知る人物だった。

  歩いていても、ふわふわする。心情が動きに表れてしまっているのだろう。

  ……どうしてそこにいるんだよ、うちのクラスの担任が。

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