13. 罪咎フール

  各々が俺が先に出したコーヒーを飲んでいる。俺も口にするが、既に冷めてしまっていて、美味しくはない。

  ストーカーについて、親父と鷹瀬と小鳥が一通り話し終わった後は弛緩した空気が流れる。まだ情報が限られている中、具体的なアクションを取るのは難しく、親父としても様子見の段階なのだろう。

  全員のコーヒーカップの底が見えた時、親父が口を開く。


「鷹瀬さん、これからどうするんだい?」

「帰りたいです。でも泊まった方がいいんですかね?」


  鷹瀬はリビングの壁掛け時計をちらりと見る。俺もそれに釣られて見ると、短針は12の少し前を差していた。かなり深い時間だ。


「いや、帰りたいならそれでいいよ。送ってあげよう」

「えっ、そんな! 別に……」


  大丈夫です。手をブンブンと振りながら、そう続けようとしたのだろう。でも気づいたのだ。自分が思ったより大丈夫じゃないことに。

  手をゆっくり下ろすと、恭しく頭を下げる。


「あの……やっぱりお願いします……」

「ははは。分かったよ」


  親父は車のキーを、鷹瀬は持っていた学生鞄を取り上げる。


「響太郎、ついてきなさい」

「ええ……」

「卯坂さん、お留守番できるね?」

「はい! 任せてください」

「まだ俺、行くなんて言ってませんけど……」


  無駄だと思いながらも抗議する。だがそれは鷹瀬の鋭い目付きで制されてしまう。


「全て説明するんじゃなかったっけ?」

「そうでしたね、はい……」


  ため息をつきながら家を出る。車の助手席に乗り込もうとするが、鷹瀬に襟首を掴まれて後部座席にぶちこまれ、自身は俺の隣に座る。ふぇ……バイオレンスゥ……。

  親父が車のエンジンをかける。後ろを向き、鷹瀬に訊く。


「鷹瀬さん、家の場所を教えてもらっていいかな」

「あ……じゃあ指示します」

「頼んだ」


  鷹瀬の指示を受けながら、車を出す親父。俺はというと、鷹瀬の家には行ったことがないので、指示もできず手持ちぶさたを極めていた。

  車窓をぼっーと眺めていると、やがて外の景色がピタリと止まる。


「あ、一旦ここで降ろしてください」


  そんな鷹瀬の声が聞こえると同時に、腕を掴まれ、車から引きずり出される。


「は……ちょっ……」


  困惑した声を出しても、鷹瀬は止まらない。気づいたら公園に連れられていた。

  今日は天気が悪いのか、月明かりが雲に隠されていて暗く、公園は木に囲まれてるせいで、どこか鬱屈とした印象を覚える。

  だが公園内にはブランコや滑り台、砂場、あとパンダかクマかよく分からない動物の乗り物などの遊具があり、日中はしっかり使われているだろうという想像はつく。

  鷹瀬は滑り台を支える棒に寄りかかる。そこで俺はようやく口を開く。


「一体どういうことだよ……」

「『説明』」

「あー……なるほど」

「あんたの父親がいたら、話しづらいでしょ」

「それはそうだ」


  やっと鷹瀬がここに連れてきた理由が分かった気がする。小鳥に関する諸々を今、ここで話せということだ。

  まあ、親父がいなかったら、話せないこともあるだろし、その気配りには感謝だ。


「じゃあ何を訊きたい?」

「あんたの知ってること全部」

「ええ……強欲だなあ……」

「じゃあまず、卯坂小鳥があんたの家にいる理由」


  話を全く聞いておらず、ガンガン話を進めている。さっきの親父に敬語を使う、しおらしいお前はどこに行った……。


「それはあれだよ。ストーカーから守るために保護してんだよ」

「なんであんたの家なの?」

「それは両親が警察官だから……」

「違う。警察官ってだけで、そんな簡単に他人を家に連れ込む?」


  それはもっともな反駁だった。となると知られたくアレを伝えないといけないのか。


「はあ……。俺と小鳥は幼なじみで、両親同士も仲良いから、小鳥の希望で受け入れることになったんだよ」

「……あんた、バカじゃないの?」

「いてっ」


  鷹瀬が俺のふくらはぎに一発蹴りを入れてくる。もちろん軽くだが。


「なんだよ」

「あんた……何も思わないの?」

「だからなんだよ。てか受け入れるの決めたのは俺じゃなくて、暢気なうちの両親だからな」

「それ受け入れてる時点であんたも暢気だ、バカ」


  俺の二度に渡る質問には答えず、鷹瀬は頭を抱えている。だんだんこの自己チューに腹が立ってくる。


「バカってなんだよ。さっきから」

「それはあんたが分からないと」


  どこかで聞いたような含みのある一言。どこまで教える気はないのだと分かり、もういいやと匙を投げる。


「それで? 次は何、知りたいんだよ」

「あんた、私と付き合ってた時、デートドタキャンしたじゃん?」

「……ああ、したよ」

「なんで?」


  一番して欲しくなかった質問が突きつけられる。しかもストレートに。俺は思わず口ごもる。なんて嘘を吐こうか考えていたのだ。結果としてそれが命取りだった。


「噂ではあんた、卯坂小鳥と一緒にいたらしいじゃん。それってもしかして鎌谷から……」

「…………違う。単純に行くのが面倒くさかったんだよ」


  咄嗟に否定する。なんでこうもこいつは鋭くて、真実に辿り着いてしまうのだ。


「違くない。確認取ったから」


  俯いて外れていた視線をばっ、と鷹瀬に向ける。確認? 誰から。鷹瀬はというと「どうしてそんなつまんない嘘吐くかな」とぶつぶつと呟いている。


「昴からか?」

「ああ、千葉? 聞くわけないじゃん。あたし、あいつ嫌いだし」


  くくっ、と場違いに小さく笑ってしまう。これを聞いたら、あいつはどのくらいショックを受けるだろう。


「てかさ、否定することないじゃん。場合によってはあんたを許そうって思ってんのよ。あんたと卯坂、ハブれって言ったのも撤回するし」

「それは俺のせいじゃないだろ……」

「推定無罪は有罪なの。分かる?」


  一つも分からねぇ。こいつの脳内裁判はどうなってるんだ。


「とりあえずあの日、なんでドタキャンしたか言うまで、許さないし、ハブれっていうのも撤回しない」

「…………」


  俺は黙ってしまう。こいつの真意を測りかねているのだ。

  俺と鷹瀬が別れたのも、俺と小鳥が学校で無視されるのも、全部あの鎌谷から、デートドタキャンしてまで小鳥を助けたためだ。

  その判断は間違ってないと今でも思うし、何をしでかしたのも分かってる。その上で今、自分の身に降りかかる鷹瀬からの罰も受け入れている。

  なのにその罰を『許す』? 『撤回』? 全部、今更だ。そしてそれ以上に、真意を測りかねる原因は鷹瀬の性格にある。


「……お前はそんなこと言うやつじゃない」


  鷹瀬は出し抜かれた表情になる。だがその言葉の先を止めることはできない。


「いつでも自分が正しいと思ってて、自分の価値観だけで物事を判断して、それがどう転んでも決して過去は振り返らない。本当に女王みたいなやつだよ、お前は。なのに今更、『許す』? 『撤回する』? 俺には真実を引き出すための方便にしか聞こえないな」


  思いの丈を出しきった。そう思った瞬間、鷹瀬がつかつかと自分に近づいて、腕を振り上げる。

  あ、殴られる。直感的に思い、目を瞑る。けれど思っていた衝撃は来なかった。ゆっくりと目を開く。

  そこには鷹瀬の顔があった。端正でありながらも、派手な化粧を施していかにも男子に人気がありそうな顔が。

  だが今は怒ったように眉をひそめながらも、泣き出しそうに口を曲がらせた酷い顔をしている。そしてありったけの気持ちをぶつける。


「あんたはバカだ! 勝手な幻想をあたしに押し付けんな!」


  鷹瀬はそんな威勢のいい言葉を放って、公園を出ていってしまう。背中を向けて出ていったため、表情は分かりようがなかった。

  残されたのは俺と厳しい言葉と様々なものへの嫌悪感だった。それでも一度、車に戻らないといけない。そこまでの道すがら、空に向かって呟きが漏れる。


「殴ってくれた方が、ましだったよ」


  悪いことをしたという自覚があるだけに、まだ断罪してくれた方が良かった。

  裁判官不在の法廷があるとすれば、咎人はきっとこんな気持ちだろう。誰かに罰が決められる訳ではなく、ただ自省によってのみ償いとなる。これから俺はどうすればいいんだ、と途方に暮れてしまう。

  車に戻っても、俺と鷹瀬が話すことはなかった。鷹瀬は淡々と父親に指示を出し、俺は背けるようにして車窓からの景色に没頭しようとする。

  時間の感覚がなくなってきた頃、車が止まる。どうやら着いたらしい。鷹瀬が親父にお礼を言って車を降りる。その直前。


「響太郎」

「あ?」

「あんた、やっぱり地獄堕ちればいいよ」


  背中に氷が貫入したのかと思った。付き合っていた頃の名前呼びに、俺の心を深く抉った別れの言葉。あの頃の苦い何かがこみ上げて来る。

  やっぱりこの言葉だけは嫌だな。ただ呆然と鷹瀬が家に入る後ろ姿を眺めていた。

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