8. 友情クレーム
毎週金曜日は図書当番の日である。来週月曜日からテストだというのに、そんなことはお構い無しに、当然の如くあるのが図書当番だ。
学校図書館の中にはそこそこ人が入っている。いつもなら多くても数人だが、今週はテスト準備週間なので、集中できる環境で、じっくり勉強したいのか、割と多い。珍しいことだ。
だがそれより珍しいことは、いつもならぼーっと椅子に座りながら、図書当番をしている俺が勉強していること。
そしてなにより、あの細江千尋が小説以外の本を読んでいることだ。……まあ、その本のタイトルは「特選英単語帳」なので細江もテストに追われているのだろう。
「……そういえばさ」
急にボソリと細江が呟き、パタンと英単語帳を閉じる。図書館ということを配慮して、声は小さい。
「昴、ずっと機嫌悪いんだけど」
「へぇ、そっか」
「何か知ってる?」
じろりと俺の方を見てくる。その眼圧に冷や汗が出てくる。
「いや、知らない。あと一つの欠課で留年だし、気がつまってるんじゃ?」
「昴はそのくらいでは勉強しない」
「それは彼女から見て、どうなんだよ……」
「ま、そこが良いところでもあるから、個人の自由なんじゃない」
やはりサバサバ。彼氏が同じ年で学年一つ下なんて、どう考えてもめんどくさそうなのに、そのことを深刻に考えてる様子はない。信頼といえば聞こえはいいが、諦念もあるのかもしれない。
「昴はテストだからといって、機嫌悪くなったりはしないのよ」
「ふうん」
「つまりどう考えても、機嫌悪いのは春宮くんのせいなの。わかる?」
ジリジリと熱い何かを感じる。女子ってこんなに怖かったっけ。しかも口調が淡白な所が更に恐怖を煽る。鷹瀬とは違い、本当に何を考えてるのか、察しがつかない。
「……はあ」
「ため息はいらないから。なんで昴、機嫌悪いの?」
「分かった。分かった。言うから! とりあえずその冷徹な視線はやめてくれ」
ふふっ、と笑い、椅子に座り直す細江。やっぱここのカップルは油断ならねぇ。
俺は渋々、月曜日にあったことを話す。
「まあ、端的にいえば、言い争いしたんだよ」
「へえええぇ。それだけ?」
「いえ、ほぼ喧嘩みたいなもんでした……」
丁寧口調になる。俺と対話してるのは敏腕警察官でしょうか……。これは自白かな? 尋問よろしく、細江が訊いてくる。
「どんな内容で?」
「それだけは言えない。黙秘権を行使する」
「それ言わなかったら、話進まないでしょうが」
うっ、と言葉に詰まる。その通りなのだ。けどこの内容は当事者以外では昴しか知らない。いや、語弊があるな。一人、俺の関与しない誰かが知っている。
それでもこれ以上、誰かに言うつもりはなかった。
「まあ、この際内容は、どうでもいいや。とにかく喧嘩中なら早く仲直りしてよ」
「いや、でもなあ……さすがに気まずい」
その喧嘩らしきことをしたのは、月曜日の朝。つまり何の進展もないまま週末になってしまった。お互い頑固なのは承知だが、ここまで長く続くとは思わなかった。
ここまで意固地になると、もう梃子でも動きそうにない。それでいて片方がいなくても困らないから、謝らなくても、あんまり生活に支障を来さないのだ。
細江は不満そうに口を尖らせる。
「うわっ。男ってめんどくさー。こっちの方が気まずいんだから、早くプライド捨ててよ」
「それ、昴に言えよ」
「やだ。めんどくさい女だと思われたら、どうしてくれるの」
俺にめんどくさい女と思われるのはいいのか、と思ったが口にはしない。そもそも比較対象としては不十分だろうし。
「どうせ自分は悪くないとか思ってるんでしょ。でもさ、もうここまで来たら、おんなじじゃない?」
「そんなことはない。自分にも非はあるのは分かる。ただ……」
「ただ?」
「俺も悪いが、俺だけが悪い訳じゃない」
「はあ……、ダメだ。中坊どころか、小学生の考えだよ」
処置なしという風に首を振り、大げさにため息を吐く細江。先週、俺の恋愛観を中坊の考えと評したが、今週は小学生ですか……。
だがそれは昴も同じことだろう、と言いかけた時、細江がスマホを操作していることに気づいた。
「どうした、急に」
「昴に連絡してる」
「は!? それはどういう……」
「はい」
そう言って、細江は自分のスマホを差し出してくる。画面には昴とのトーク内容が写し出されていた。
『昴、緊急事態。図書室まで来て』
『すぐ行く』
冷や汗がぶわっ、と出る。緊急事態なんていう嘘吐いて、なんてことをしてくれたんだ!
耳打ちするように細江に訊く。
「おい、細江。昴と何すりゃいいんだ」
「知らない。頑張れ」
「おまっ……!」
頭を抱える。約一週間、寝かせておいた問題だぞ。そう簡単に解決するはずがない。だがそれを細江は見抜いたのか、こんなことを言う。
「意外と無理に顔合わせた方が、上手くいくかもよ」
「ぐっ……」
まあ、正論かもしれない。ここ一週間はずっとお互いを避けていたので、そういう場を用意してくれるのはありがたい。けどタイミングというものが……。
だが俺があたふたとしている間に、ガラガラと学校図書館の扉が開く。入ってきたのは、やはり千葉昴であった。急いで来たのか、額に汗をかいている。そんな早く来なくていいよ……。
迷うことなく、昴は細江を近づいてくる。その一瞬、俺を見たがすぐに目を逸らす。
「千尋っ。緊急事態って何」
「え……? そんなのないけど……」
「え?」
「え?」
二人共、頭上にはてなを浮かばせそうな勢いだ。けど呼び出した細江がこの反応なのは確信犯なんだよなあ。
俺は何を見せられているのか、とため息を吐く。細江の緊急事態なんて昴を呼び出す口実に過ぎない。それに昴も気づいたのか、こちらをじっ、と見てくる。
……これは俺から言い出すしかないのだろうか。さすがに彼女の前で謝らせるのは、恥をかかせるようで酷だろう。
「その……昴、月曜日は……」
「「悪かった」」
頭を下げると同時に放った謝罪の言葉は、昴と見事にハモる。驚いて昴の顔を見ると、ニカッと笑っている。
「僕も意地を張りすぎた。自分も悪いのに、彼女の前で相手に謝らせるなんていう、恥ずかしい真似はしないさ」
「……そうか」
なるほど、逆な訳か。自分にも非があるのに、相手に謝らせるのは、それこそ不誠実。そう言いたい訳か。
だがそこには男の意地もあるのだろう。自分からは謝れないという。だから先でも、後でもない同時の謝罪を選んだということか。
隣で細江が腕を組んで、うんうんと頷いている。どうやらこのやり方は細江にお気に召したらしい。
「それで昴と春宮くんはどうして喧嘩してたの」
昴は唇に人差し指を当てる。
「秘密。男同士のね」
「なにそれぇ」
くすくすと細江が笑う。それを見て、胸を撫で下ろす。
昴が上手くかわしてくれたおかげで、それ以上、突っ込んで訊いてくるつもりはないらしい。非常にありがたい。
「まあ、とにかくあの時は、きつく言いすぎた。悪い」
「いやいや、僕も話聞いただけなのに、余計に首突っ込みすぎたよ。悪いのはお互い様さ」
これは仲直り、ということでいいのだろうか。
昴はあまりしつこいタイプではないので、謝罪となると大体、ケロッとしている。喧嘩してる時は面倒だけど。
まあ、今回に限っては……長引きすぎたか。どちらも譲らない性格で拗れることはよくある。高校に入ってから、何度こんなどうしようもない雰囲気になったことか。
いつもなら非がある方が、渋々謝る感じなのだが、今回はどちらに非があるともいえず、なんならどちらも正当な主張をしたように、思う。
となると、どちらから言い出せないのは常であり、そう考えると細江が無理やり会わせたのは正解なのかもしれない。
別に友情が大事だとは思わない。けれど近くに昴がいるなら心強く、憂いが無くなった今、不思議と心は清々としていた。
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