7. 隠事トレード

『いますぐ新館の屋上に来なさい』


  俺の元カノ、鷹瀬カンナからの手紙にはただ一言そう書いてあった。殴り書きのせいでまるで果たし状のように感じる。

  あー。行かないとダメなのかなー。いますぐって今日だよなー。昨日靴箱に入ってたのに気づかなかったとかじゃないかなー。

  そんなことを考えながらも足は新館の屋上までの階段をゆっくりと進んでいる。行きたくはない。だが行かなかった時どうなるか。……タダじゃ済まんだろうな。そんな思いだけで死の行進を続ける。

  そして遂に屋上へ入る扉の前に着く。屋上は基本的に立ち入り禁止のはずだが、なぜか学校側は鍵もかけず常に開けている状態なのだ。

  ギィと鉄の金具が擦れる音を立てながら扉を開く。そこには鷹瀬カンナが仁王立ちで一人でいた。


「一人か?」

「そうよ。悪い?」

「いや、全然」


  むしろ助かったという感じだ。下手したら鷹瀬率いる女子集団(凶悪)がいて、リンチを食らうかもしれないと思っていた。本当に最悪なパターンだけど。

  まあ、鷹瀬は女子グループの中核ではあるが、共感してくれる女子がいないと駄目という感じではない。むしろ一人でも果断に物事を行えるタイプだ。


「それよりなんだこの手紙は。始めラブレターかと思ったぞ」

「自意識過剰すぎでしょ、きもっ」

「大丈夫だ。今は果たし状としか思ってない」


  鷹瀬の暴言をいちいち真に受けてはいけない。これはこいつのいつも通りなのだ。スルーするに限る。


「ま、話したいことあるから呼んだんだけど。率直に言ってあんた、あたしになんか隠してることない?」

「……別にねぇよ。あっても言うかよ」

「てことはあるのね。ちなみに何?」

「あっても言わないと言ったはずだ」

「頑固ね」


  頑固か。それは間違いないが、言えないのは心当たりが多すぎるからだ。主に小鳥関連のことだが。

  例えば小鳥を自宅に匿ってるとか、小鳥がストーカー被害受けてるとか、小鳥を保護したばかりに鷹瀬とのデートをほったらかしたこととか。

  最後に限っては俺と同様、小鳥にも無視するよう鷹瀬の命令が全女子に下っているので、知ってるのかもしれないが。

  まあでもそんなことは一言に集約できる。つまるところ


「お前にはもう関係ない」


  ということなのだ。その一言で鷹瀬はムッとした顔になる。相変わらず、沸点は低い。


「はあ? あるんでしょ、言いなさいよ」

「いや、その正面突破は無理があるだろ」


  さっきから鷹瀬は『あんたには隠し事があるから言え』ということしか言っていない。搦め手もあったもんじゃない。まあ、そんな愚直なところは汲みやすく、楽ではあるが。


「てか、なんで隠し事があると思うんだよ。根拠はどこなんだ。直感?」

「それは……! ……っ」

「分かりやすすぎるよ、お前……」


  急に黙りこくる鷹瀬。この態度を見るに、誰か俺に関する情報を流したやつがいるということか。

  パッと顔が浮かんだのは昴だが、口止めした情報を鷹瀬に安売りするとは考えられない。昴が細江に口を滑らせた可能性もあるが、わざわざそれを鷹瀬に注進するとも考えづらい。

  となると俺の関知しない誰かか。……気味が悪いな。だが幸いか。鷹瀬にソースを聞き出せばいいだけの話だ。


「とりあえず、お前にそんな出任せ吹き込んだ糞野郎の名前を言え」

「はあ!? なんであんたがあの人のことを糞野郎って決めつけるのよ!」

「俺にもプライバシーはあるんだ。それをペラペラ喋るやつ、糞野郎じゃなくてなんなんだ」

「あ、あんたにバレて恥ずかしいことがあるからいけないんでしょ!」

「それも無理があるだろう、鷹瀬。犯罪起こすやつより犯罪起こされる方が悪いって考えだぞ」


  さすがに無茶苦茶すぎるし、小鳥を匿ってる上で、その理論は到底認める訳にはいかない。加害者より被害者の方が悪いなんてあってはならない。

  それにしても「あの人」ね。鷹瀬は同学年、または年下を誰彼構わず「あんた」と呼ぶ。てことはソースは年上か。


「あのね。言っておくけど、隠し事があったからって今更、注意しようとは思わないわよ。それこそあたしに関係ないし」

「じゃあなんで呼んだんだよ。お前からの呼び出しなんて、暴力系以外に思い付かん」

「失敬な。無差別に誰かをボコボコにしたりしないわよ。理由がない限り」

「理由があったら、ボコボコにするんだな……」

「とにかく! あたしは誤解を解こうと思ったのよ」

「……なるほど」


  やっと鷹瀬の行動に合点がいった気がする。そうだ。鷹瀬は俺との破局は既に吹っ切れているのだ。それを今更、掘り返すのは鷹瀬らしくない。それよりは誤解を解く方が潔くて、鷹瀬らしい。だが。


「俺から何か喋ることはない」

「だーかーらー、頑固すぎ。ちょっとくらいいいじゃん」

「お前はちょっとじゃ済まない。最低でも取引だ。そっちがどこからのソースかを言えば、こっちも教えてやる」

「そ、れは……うっ……そんなの、ありえないし……」


  顔を赤らめ、身をよじる鷹瀬。その様子は俺の中にある鷹瀬のイメージとは合致しない。

  ……ああ、なるほど。分かってしまった。さっきからの反応も合わせると、つまりこういうことだ。


「お前、その糞野郎のこと好きなのか?」

「だから糞野郎って言わないでよ!」

「ホント男見る目ねぇな……」


  クラス、いや学年でも可愛いと評判の鷹瀬だが、こいつに告られる人間はどこか人間的にまずい所があるらしい。俺がその一例だ。


「そういや、前に誰とも付き合ってないって言ってなかったか?」

「それ言ったやつ、マジで誰なのよ」

「なるほど。情報のソースを無理やり言わされるのは、こんなに嫌な気分なのか」

「春宮」


  名字呼びでぎろりと睨まれる。うわあ、怒ってる、怒ってる。


「まあ、その情報ソースは言えない。そいつも噂を耳にしたって感じだしな」

「どうせ千葉でしょ、あんたに出任せ流すやつ。ちっ、あんの野郎め……」


  違うんだが……。まあ、いい。昴だし。彼女がデマを流したツケは彼氏に払ってもらおう。なんにせよ、昴と勘違いしたのは助かった。細江はソースバレに怯えてたし。


「とにかくその情報、流したやつに言っとけ。付き合ってないって」

「はいはい」


  俺は両手を挙げる。まあ、情報流したやつは付き合ってないって、直接、鷹瀬から聞いてるんですけどね……。

  だがこれではっきりした。その糞野郎を好きではあるが、まだ付き合ってない。そんなところだろう。


「てか、もう帰っていいか? テス勉したい」

「はあ? まだあんたの隠し事、聞いてないんですけど」

「俺もお前も、何も言うつもりないなら、これ以上は無意味だろ」


  俺に隠し事があると、ちらつかせたやつの名前を聞き出せないのは痛いが、それを言わせた場合、俺も隠し事を言う取引になっているので、諦めるしかないだろう。

  話を切り上げようと、扉に向かって歩き出す。

  そのまま帰ってしまえば良かったものを、そこでどうしてか、鷹瀬の方を振り返り、表情を見てしまう。ぎょっとした。

  目を伏せ、今までに見たことがないような、悲しそうな表情をしていたからだ。


「あんたも意地なんて張らなきゃいいのに……。分かってる? 返答次第じゃ、あんたも卯坂も許そうと思ってるのよ」


  鷹瀬はそう言って、呆気に取られた俺を追い抜き、先に屋上から出ていってしまう。

  そのまま俺はフリーズする。追い付いて、その言葉の真意を問い質そうとは思えなかった。代わりに、くそっ、と悪態付いてその場の床に寝そべる。


  鷹瀬は良くも悪くも、湿っぽいやつではないだろうと思ってた。なんといっても、あいつの行動原理は怒りだから。だがあの表情を見ると、そのイメージは誤解だったのだと分かる。

  てっきりあいつは俺がデートをすっぽかしたことを許していないのだと思っていた。それなら何の反論の余地もない。デートは連絡もせずに、ドタキャンしたし、その間は小鳥の側にいた。俺を裏切り者というなら、俺はその汚名を受け入れる。

  小鳥の側にいたのはストーカー被害の傷を癒すためだ。断じて小鳥と遊ぼうとした訳ではない。もし鷹瀬がそのことを分かっているなら……、あんな悲しそうな顔になるかもしれない。だって全部、誤解だったのだから。


  じゃあなんでいつもの決めつけた風に、そう言ってこない?

  小鳥のことといい、鷹瀬のことといい、昴のことといい、俺の隠し事を知ってるやつといい、人間関係だけでも、とにかく厄介事が多い。


  分からないことばっかりだ。空に向かい、深いため息を吐いた。

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