6. 不可解スクールデイズ
加法定理、二倍角の公式、半角の公式、サイン、コサイン、タンジェント……。
学生たるもの、学業が本分だ。高校時代にしか経験しえないものはあるにせよ、それは二の次。"学生"と名乗る以上、学びに生きなければならない。
とまあ、そんなことを思うのは我が高校がテスト週間だからだ。生徒だれもが勉学に努める。そんな時期。
更にうちの高校は曲がりなりにも進学校を名乗っているため、試験はそこそこに難しい。普通なら朝の時間は勉強するのだ、普通なら。
「やあ、響太郎。朝から勉強なんて珍しいね」
「お前はいつも通りノー勉か。少しは俺みたいに珍しくなった方がいいぞ、昴」
「いやー、どうも今回はやる気が出なくて」
「今回だけじゃないだろう……。お前、頑張れよ。細江と一緒に学年上がりたいだろ」
昴の表情が少し歪む。こいつにしては珍しい。クリーンヒットしたらしい。
うちの学校の試験自体は勉強さえすれば点は取れる。だが取れなかった時が殊更、厳しいのだ。赤点は五十点で、それを下回ったら追試。そこで再び赤点を下回れば欠課となり、三つ以上で留年。
俺は勉強の甲斐あって欠課ゼロで二学期末まで来たが、昴は既に欠課二つ。黄色信号である。
「まあそれは置いといて……」
「おい」
「卯坂さんのことなんだけど」
「……どうした?」
「表情が変わったね」
そうして昴は教室の外を指す。一旦、出ろということらしい。いつか忘れたが昴は「どこにでも地獄耳はいるから秘匿したいなら細心の注意を」と言っていた。これもそれの一環なのだろう。
二年生の教室がある二階の空き教室で、適当に机の上に腰かける。そんな中、昴が切り出す。
「さて、そういえば今日も卯坂さん休みなんだね」
「そうだ。朝ごはんは普通に食べてたから、元気ではあるがな。あとお見送りもしてくれたし」
「字面だけだと新婚生活みたいだな……。それより卯坂さん、テストは大丈夫かな? 欠課するとまずいんじゃ」
「それはお前自身の心配をした方がいいぞ」
昴は言わずもがなだが、小鳥も相当危ないかもしれない。先の通りうちのテストはそこそこ厳しい。不登校では当然テストも受けれないので一発で留年になる可能性が高い。
「今のはほんのジョークだよ。言いづらいことを濁すためのね」
「………」
「ねぇ、彼女嘘吐いてない?」
やっぱバレたか。こいつなら気付いてもおかしくないとは思っていた。ただ一つあるなら俺は小鳥が嘘を吐いていることが分かるだけで、その中身は分からないということだ。
「……ふぅ……なんで分かった?」
「いや都合が良すぎないかと思ってね。顔も体格も分からない。ストーキングされてることだけ分かってる。そんな中で自分を守ってくれって言うのは、さすがに」
「なるほど」
確かに理に敵っている。実のところ、自分はそれには気がつかなかった。
「逆にどうして響太郎は分かったんだい?」
「根拠はないんだが……小鳥、子供の時から嘘吐くの下手なんだよ。だから態度で」
「……驚いた。幼なじみは馬鹿にできないね」
感心したような声を上げる。
「それで小鳥が嘘吐いてるのが分かって満足か? そろそろ朝勉させてくれ」
「まさか。僕は忠告しに来たんだよ」
「忠告?」
嫌な響きだ。ストーカーは下手すると重大な犯罪に繋がる恐れがあるので、尚更そう思わせる。
「……なんだよ」
「どうして嘘を暴かないんだい? あの態度は卯坂さん、実は犯人に気付いるんじゃないかと思うけど」
「かもな」
「『かもな』って響太郎は呑気すぎるよ。嘘吐いてるの分かってるならどうにか聞き出すべきじゃないのか? 犯人が分かれば警察も協力してくれるんだろ?」
「嘘を吐いてまで隠したいことがあるんだろ。それを吐き出させるのは酷じゃないか」
俺はあえて食えない態度を取る。見るからに昴の表情が険しくなっている。だがこいつには俺の心中も分かって欲しい所だ。
「この忠告がでしゃばりなのは分かってる。でも言わなきゃならないんだ。手遅れになる前に」
「忠告、手遅れ、か。ちょっと仰々しいな」
「響太郎!」
「……はあ。じゃあ聞くが、お前は小鳥がどれだけ怯えて俺に助けを求めたか知ってるのか? あいつが不登校なのは安全のためじゃない。家を出るのも怖いからだ。そんなあいつに俺が更に辛くなること言えるかよ」
気付いたら声音は重いものになっていた。声だけは警官の親譲りで低く重いのでこういう時は必要以上に深刻なものが出てしまう。
昴の言葉は間違っていない。正論も正論。安全を取るなら俺はこいつの意見を支持する。だが正論には感情がない。
俺はこの目で小鳥が怯えてる姿を見た。保護した当初はご飯もほとんど食べず一日中、部屋に閉じこもっていた。最近はそれと比べると明るさを取り戻したように見えるが、ストーカーの話をすると明らかに口数が少なくなり、やがて自分の部屋に引きこもってしまう。
そんな小鳥に俺が重ねて辛いことはできない。せめて小鳥が自分でストーカーの話をするようになるまで心の回復を待つべき、と俺は思っている。
昴も圧倒されてしまったようで小さく呟く。
「……それでも嘘を暴くのが優しさだと思うけどね」
分かっている。だからかなり悩んでるし、今の言葉は想像以上にグサリと来た。
俺と昴がしばし睨み合う。なんだかんだどっちも我が強いので、こうなるともう引かない、というのは経験則だ。
「おーい。空き教室でなにしてんだ、春宮、千葉。もうすぐ朝のSH始まるぞー」
剣呑な雰囲気を遮るように能天気な声がかかる。ちらと声の主を見ると、俺たちのクラスの担任だった。
どちらかともなくため息が漏れる。完全に毒気が抜かれてしまった。それはもしかしたら天啓だったかもしれないが。そこで昴が一言。
「……一旦、休戦だね」
その放課後。朝にひとしきり昴と小鳥の嘘について語り合ったためか疲れがピークに来ていた。お互い頑固だから、今日中に謝罪することもないのがまた心労の一つだ。
それに加え、試験勉強疲れもあるし、なんなら日直を担任に押し付けられたのだ。出席番号順に回せばいいのに、気まぐれに目についた生徒にやらせるから敵わん。
なんといっても心労の一番は小鳥の嘘だ。暴かないといけないことは分かる。でも暴いていいものなのかとも思う。
かなり疲れている。帰って一度仮眠を取ってから勉強するかと計画を立てながら、自分の靴箱を開ける。
すると、カコンといって何か落ちてくる。
「……なんだこれ」
落ちたものを拾い上げる。それは真っ白な便箋だった。……まさかラブレターというものではないか、これは。
天を仰ぐ。こんな経験は初めてだ。鷹瀬の時は直接呼ばれて告られたし、あんまりこういう古風というかおしとやかなものは今までなかった。
だが不可解なことが一つある。俺はクラスの女王・鷹瀬のお触れのせいで絶賛ハブられ中なのだ。特に女子に関してはそれが顕著で完全に無視を食らっている。まあ、俺が嫌いというより鷹瀬が怖い故に無視する辺りが救いだとは思っているが。
となるとこの差出人はそのお触れを知らない先輩ないし後輩か、もしくはそういうものに興味がない、ある意味厭世的な人だろうか。
そんなことを邪推するほど、ラブレターというものに高揚感があったからこそ送り主の名前を見たとき、落差でげんなりせざるを得なかった。
『鷹瀬カンナ』
と止め、跳ねがダイナミックな字でその忌々しい名が書かれていた。間違いない、本人の字だ。
気が進まないながらも便箋を開ける。なぜ手紙にしたかは分からないが、こうして靴箱に入れるということは何かしら伝えたいことがあるということだろう。
ちらと一瞥する。うえ、と思わず唸り声を上げてしまう。そこには愛想も糞もない一言が殴り書きで書かれていた。
『いますぐ新館の屋上に来なさい』
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