第4話

 そんな感じで日々は進み、お嬢様の執事になってから一年が過ぎた。

 そんなある日の夜、クラリッサが俺の部屋を訪ねてきた。


「お嬢様が私をお呼び、ですか?」


 こんな時間に? と首を傾げる。

 既に夕食は終わり、そろそろ就寝時間である。お嬢様の部屋に呼び出されること自体は珍しくないが、こんな時間に呼び出されるのは初めてだ。

 なにかの間違いではと聞き返すが、クラリッサはもう一度同じことを口にした。


「シオンさん、貴方にいまから寝室に来て欲しいとのことです」


 もしかして、またマッサージの要望だろうか?

 最近、それはいくらなんでもダメなんじゃないかと思うようなお願いされることがあって、断るのに苦労している。このあいだなんて、お風呂で背中を流せと言われて全力で逃げた。

 今回もそうだ。

 夜に寝室に呼び出すなんて、わりと問題だと思う。


「……私が出向いて構わないのですか?」

「それがお嬢様のお望みですから」


 貴族令嬢であることを考えると完全にアウトな気がするのだが、クラリッサは側仕え筆頭という位置づけだ。そんな彼女の言葉には重みがある。

 彼女が良いと言うのなら、それがまかり通るということだ。


「かしこまりました。ではいまからうかがいます」

「はい。それと……私は同行いたしません。貴方が一人で向かうことになりますが……くれぐれも、自分がなぜお嬢様の執事に選ばれたのか、その理由を忘れないように」

「も、もちろんです」


 お嬢様に不埒なことをするなという意味だろう。だが俺は、彼女が異性との醜聞が原因で破滅するという未来を知っている。そんな原因を自ら作るわけにはいかない。



 とまぁそんなわけで、俺はお嬢様の部屋へとやってきたのだが――


「お、お嬢様、その恰好は一体?」

「これはネグリジェといって、最近貴族令嬢の間で流行している寝間着です」

「そ、そうですか。とてもお似合いですよ」


 いや、もちろんネグリジェは知っている。

 この世界で見るのは初めてだが、元の世界では普通に存在する寝間着だ。


 だが問題なのはそこじゃない。

 問題なのは、どうして十五歳の美少女が、寝室に執事と二人っきりの状況で、下着が透けるような薄手のネグリジェを身に着けているのか、ということである。


「……シオン、あなたは言いましたね。わたくしの重荷を半分背負ってくれる、と。あの言葉に嘘偽りはありませんか?」

「はい、それはもちろんです」


 俺が胸に手を当てて臣下の礼を取ると、リディアお嬢様は顔を真っ赤に染めた。


「では、――わ、わた、わたくしの……」

「はい」

「わたくしの愛人になりなさい!」

「はい。……はい?」


 え? いま、愛人になれと言われた気がするんだが……気のせいかな? いや、気のせいだよな。公爵家のお嬢様が執事を愛人にしようとするはずがない。


「申し訳ありませんが、聞き取れなかったのでもう一度言ってくださいますか?」

「なぁっ!? わ、わたくしにもう一度言えというのですか!?」


 お嬢様が泣きそうな顔をする。

 この反応は……いや、でも、まさか……


「お嬢様、お願いします。もう一度だけ、お聞かせください」

「~~~っ」


 お嬢様は耳まで真っ赤に染めて、それから――


「わ、わたくしの愛人になりなさいと言ったのです。二度も言わせないでください……ばか」


 と、上目遣いで睨みつけてきた。

 可愛すぎる……が、え? マジで? どういうこと?


「あ、あの、大変申し訳ないのですが、愛人とはどういう意味でしょうか?」

「そこから説明しろというのですか!? 分かってて聞いているでしょう!」


 お嬢様が涙目になった。どうやら、聞き間違いでも意味の取り違いでもないらしい……………………って、いやいや、ないらしい、じゃねぇよ。


 リディアお嬢様は将来、男との不貞を疑われて破滅する。なのに、俺がお嬢様の不貞の相手になってどうするんだよ。確実に俺とお嬢様が破滅しちゃうだろ。


「えっと……その、さすがにそれはまずいと思うのですが」

「私の重荷を半分背負ってくれると言いましたよね?」

「――うぐっ」

「シオンは、わたくしに嘘を吐いたのですか?」

「い、いや、そんなことはないのですが……えっと、そう。お嬢様は将来、王子の婚約者となられるお方。そのような不義理を働くわけにはまいりません」

「そのような綺麗事は聞きたくありませんっ!」


 身も蓋もねぇ。

 もし許されるのなら、俺だってお嬢様と恋仲になりたいと思っている。恋仲じゃなくて愛人だったとしても、それでもかまわないと思うくらい、俺はこの一年でお嬢様に惹かれている。


 だけど、お嬢様は王子と婚約する予定だし、他の男との噂は破滅フラグとなる。それを知っていて、彼女の愛人になる、なんて言えるはずがない。


 そもそも貴族社会――というか、この世界において令嬢の浮気は許されない。基本的に男が家を継ぎ、女性はその家に嫁いで跡継ぎを産むことを求められるからだ。


 つまり女性の浮気は、産まれた子供が当主の血を引いているのか? という問題に及ぶ。ゆえに男性の浮気は見逃されても、女性の浮気は見逃されない。

 これが、悪役令嬢のリディアがつまらないデマで破滅した原因である。


 だから、彼女が愛人を作るなんて許されない……って、ちょっと待て。原作のリディアお嬢様はたしか、子供は天使が運んでくると信じるくらいの乙女だった。

 もしかして、愛人の意味をちゃんと理解してないんじゃないか?


「お嬢様、大変ぶしつけな質問ですが、愛人がなにをするかご存じですか?」

「シ、シオン、またそんなことを聞いて、分かってて聞いているでしょう!?」

「いえ、すれ違いを起こさないよう、念のためにどうかお願いします」

「……わ、分かりました。耳を寄せなさい」


 言われた通りに耳を寄せる。

 リディアお嬢様が俺の耳に唇を寄せ――


「シオンがわたくしの愛人になったら、えっと……その、ですね? シオンとわたくしが一緒のベッドに寝て、それからわたくしが――」


 お嬢様が俺の耳に唇を寄せ、少し照れたような囁き声で囁く。

 その内容は誤解のしようのない性行為について。年下のお嬢様が耳元でエッチなことを口にする、そのシチュエーションは物凄い破壊力だった。


「……どうですか? ちゃんと理解しているでしょう?」

「え、ええ、そうですね」


 この世界では結婚も出来る年齢とはいえ、元の世界ならまだ中学三年生。原作ゲームでは無知だったのに、まさかあんなに具体的なイメージを持ってるとは思わなかった。

 というか、以外と積極的というか……おませさんだ。


「ですがお嬢様、そこまで分かっているのなら分かるでしょう? お嬢様の立場で、万が一子供が出来たりしたらどうするのですか?」

「もうっ。わたくしを馬鹿にしているのですか? 子供は愛し合った二人が心から望んで初めて、天使様が運んできてくださるのです。そのような心配は必要ありません」


 ……あ、あれ?

 こっちでも原作通り、子供の作り方を知らないのか? でも、あそこまで具体的な性行為について知ってるのに、なんで子供の作り方を知らないんだ?

 意味が分からない……というか、どうやって説得すれば良いんだ?


 いや、説得もなにも、クラリッサにも散々釘を刺されたじゃないか。

 あれってたぶん、このことを予想してたってことだろ。ここでお嬢様の言葉に流されたら、ゲーム開始を待たずに。クラリッサに破滅させられる。

 俺は咳払いを一つ、正面からお嬢様の手を握った。


「お嬢様。お嬢様はまだ幼くていらっしゃいます。婚約の話を聞かされて自暴自棄になるのは分かりますが、そのような不貞を働くわけにはまいりません」

「自暴自棄などではありません。わたくしは――」


 その先を言わせるわけにはいかない。

 俺は人差し指でお嬢様の唇を押さえて首を横に振った。


「なぜ、ですか?」

「私がお嬢様を心から大切に思っているからです」

「……わたくしのことを?」


 不安げに問い掛けてくる。

 俺は彼女の目を見て、しっかりと頷き返した。


「お嬢様の重荷を半分背負うという言葉に嘘偽りはございません。愛人になることが本当にお嬢様の幸せに繋がるのなら、私は喜んで愛人になります」

「本当、ですか?」

「はい。ですが、お嬢様の愛人になることが本当にお嬢様のためになるのか、私にはその判断が出来ません。ですからどうか、考える時間をください」

「……分かりました、今日のところは我慢します」


 お嬢様の了承を得て、俺は部屋を退出した。



 ひとまずは切り抜けた。

 だけど、出来たのはわずかな時間稼ぎだけだ。このあいだになんとか対策を――最悪はクラリッサに相談して、お嬢様を諭してもらおう。

 なんて考えていたのだが……翌朝、俺はクラリッサに呼び出しを受けた、逃げたい。


 いや、まぁ……そうだよな。

 クラリッサにあれだけ釘を刺されていたんだ。手を出さなかったとはいえ、条件次第では愛人になるようなことも言っちゃったし、かなり調子の良いこともいってしまった。

 クラリッサの耳に入っていれば、彼女の不況を買っている可能性は高い。

 いや、でも、実は他の件という可能性も……


「シオンくん、どうして呼ばれたか分かっているますね?」

「リディアお嬢様の件、でしょうか?」

「ええ、そうです」

「昨夜の件、でしょうか?」

「ええ。なにか、言いたいことはありますか?」


 半眼で睨まれてしまう。

 もう、どこにも逃げ場は残っていなかった。


「……えっと……その、お嬢様はなんと?」

「貴方を愛人にしたいと誘ったら逃げられた、と」

「うぐっ」


 言い訳の余地すら残っていなかった。


「……調子に乗ってすみませんでした。どうやって断るのが角が立たないかと必死に考えた結果、ちょっと中途半端になってしまったんです」

「はい? あなたはなにを言っているのですか?」

「え、ですから、断り方が中途半端だった、という話では?」

「違います。なぜ断ったのか、という話です」

「……え?」

「え? ではありません。自分の立場を考えるようにと念を押したではありませんか」


 なにを言われているのか理解できない。言われた言葉をなんど反芻しても、それが示している答えは一つしか思い浮かばなかった。


「ええっと……それではまるで、お嬢様の申し出を断ったことを責められているようですが」

「聞こえるもなにも、その通りです」


 お、おかしいな。俺が変なのか?

 貴族令嬢、それも将来王妃となるはずの公爵令嬢に愛人(執事)を容認するとか、どう考えても首が物理的に飛ぶ案件のはずなんだが……?


「えっと……その、つかぬことを聞きますが、愛人というのは、その……プラトニックな関係のことを言っているのでしょうか?」

「男女の営みを含むに決まっているではありませんか」

「で、ですか……」


 いや、やっぱりおかしいって。

 おかしいよな? え、おかしくない??


「たしかにお嬢様はまだ十五歳ですから、一方的に貴方がおもちゃ――いえ、ペットになるようなこともあるかもしれませんが、そこは諦めてください。覚悟の上でしょう?」


 言い直した方が酷い。

 というか、そんな覚悟はした覚えないよ……

 いや、執事になるときに覚悟がどうとか言われて頷いたけど……え、これのこと? そんなの、完全に予想外なんだけど。


「質問を重ねて申し訳ありませんが、大変混乱をしておりまして。私にお教えいただきたいのですが……その、万が一にも子供が出来たら大変なのでは?」


 なにを聞いているのやらであるが、俺も混乱しているので許して欲しい。


「なにを心配しているかと思えば、そのような心配は必要ありません」

「もしや、完璧な避妊方法が……?」

「避妊? あなたの言う避妊がなにか分かりませんが、子供は愛し合った二人が心から望んで初めて天使が授けてくださるのですよ?」

「……ん? んんんっ?」


 クラリッサまでなにを言っちゃってるんだ?

 もしかして、リディアお嬢様が天使とか信じてたのは、クラリッサが原因なのか?


「恐れ入りますが、それは子供用のおとぎ話では?」

「なにを言っているのですか、事実ですよ。男女が愛し合ってから十ヶ月ほど経った頃、男のもとに舞い降りた天使が赤子を授けてくださるのです。見たことありませんか?」

「……ないです。というか、クラリッサさんはあるんですか?」

「もちろん、何度かあります」

「あるの!?」

「むしろ、貴方はどうしてないんですか?」

「え、いや、その……あはは」


 やばい。これは本当に、この世界では常識っぽい。

 そっか……赤ちゃんは天使が運んでくるんだ。……運んでくるんだ?

 予想もしていなかった事実である。

 でも、子作りに性行為は必要なんだよな? 受精卵を天使が一度持ち帰って、何処かで育てて運んでくるんだろうか……?

 詳細を想像したら物凄くシュールだ。


 ここは異世界だからと言えばそれまでだけど、原作ゲームでは乙女なリディアの誤解という設定だったから、原作ゲームの世界でも、子供の作り方は元の世界と同じだったはずだ。

 ということは、この世界はゲームと違う設定になっているってことか?


 ……あれ? ちょっと待てよ。

 さっきクラリッサが、子供は男性の元に運ばれてくるって言ったよな?

 と言うことは……まさかっ!


「あの、一つ聞きたいのですが、女性が愛人を持つことは、わりと良くある話ですか?」

「……まあ、そうですね。大きな声では言えませんが、珍しくはありませんね」

「では、男性が愛人を持つのはどうですか?」

「それも無くはないですが、女性よりは少ないですね。跡継ぎの問題がありますから」


 ――やっぱりだ!

 原作ゲームにおける貴族社会の設定では男の浮気には緩く、女の浮気には厳しかった。女の浮気の場合、跡継ぎが当主の血を引いているかという問題に発展するからだ。


 だがこの世界、子供は男性の元に届けられる。

 ということはつまり、男性が子供を産むのと同じことで、女性が浮気をしても跡継ぎが本当に当主の血を引いているのかという心配をする必要がない。

 ゆえに、この世界では女性が浮気するよりも、男性が浮気をする方が問題になりやすい。元の世界と比べて、価値観がひっくり返っている――というわけだ。


 原作ゲームと同じで家を継ぐのは男性のようなので、必ずしも逆転世界というわけではないかもしれないが、価値観はだいぶ変わっている。

 乙女ゲームの世界は世界でも、男女の価値観が逆転した乙女ゲームの世界といえるだろう。


 つまり、俺がこの世界に来たとき貞操の危機を迎えたのも偶然じゃない。この世界では、女性よりも男性の方が貞操観念が強いというわけだ。


 なので、お嬢様が俺にマッサージを所望していたのも、元の世界でたとえれば、貴族のボンボンが、不純な理由でメイドにマッサージをお願いするような感覚、と。


 ……あぁぁぁあぁぁっ、やらかした。

 お嬢様にマッサージをするのは嫌じゃないかと問われて、嫌じゃない、むしろ自分で構わないのかといった趣旨の答えを返してしまっている。


 それどころか、責務さえ果たしたら、後は好きに生きれば良いと言った。それは彼女にとって、政略結婚を果たせば、後は男遊びでもなんでもすれば良いと言われたも同然だ。

 で、俺は見事に、いくらでも遊びに付き合うと言ってしまった。


 やらかしてる、思いっきりやらかしてるよ俺。

 ……って、あれ? ちょっと待てよ。


「クラリッサさん。ようするに私は、お嬢様の愛人になることを望まれているのですね?」

「はい、その通りです」


 おぉぉぉ……っ。

 ということは、ということは、だ!

 家庭教師という地位を使って、お嬢様を自分好みの女の子に育てて、あんなことやこんなこともし放題。将来は王子との婚約も破棄になるわけだし、俺の完全勝利じゃね?


「ただし、決して愛人だと言うことがバレないようにしなくてはいけませんよ」

「……え?」


 浮かれていた俺に、クラリッサが冷や水を浴びせた。


「ええっと……どういう意味でしょう? お嬢様が愛人を持つことは問題ないのですよね?」

「ある程度は、という話です。ある程度は目こぼしがあるというだけで、決して推奨された行為ではありません。特に王家にバレるのは好ましくありません」

「で、ですよねぇ」


 うん、冷静に考えてみたら当然だ。

 元の世界よりは、女性の浮気に緩くなっていると言うだけで、すべてが逆転しているわけじゃない。王太子殿下――ゆくゆくは国王の奥さんが浮気なんて、外聞が悪すぎる。


 ……って、あれ?

 もしかしなくても、俺が愛人になったらお嬢様が破滅する原因になるのでは?


 そう、だよな。

 元の世界では、一方的に男に抱きつかれただけで破滅したのだ。いくら貞操観念が逆転しているとは言え、実際に愛人がいるなんてことが発覚したら……うん、破滅するね。


 クラリッサはバレなければ問題ないという認識のようだが、リディアお嬢様が闇堕ちした後は、お嬢様を破滅させるために様々な者が動きだす。

 隠し通すのは非常に難しいだろう。


「す、すみません、やはり私は、お嬢様の愛人になるのを辞退したいと思うのですが」

「今更そんなことを言って――消されたいのですか?」

「……イエ、マサカ、ソンナ」


 うん、思いっきり事前に確認されたもんな。

 いまにして思えば、お嬢様と顔合わせするまで家名すら教えてもらえなかったのもそれが理由だろう。俺が断ったとき、リディアお嬢様の醜聞にならないようにしたのだ。

 そこまで対策を徹底している以上、ここで拒絶したら本当に口封じされる。


 つまり、愛人になるのを断って俺だけ口封じに消されるか、愛人になった末に、そのことが王子にバレて、お嬢様共々破滅させられるかの二つに一つ……?

 え、待って、どっちにしても俺の人生詰んでるよ、どうしてこうなった!?

 

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