第3話
こうしてリディアお嬢様に仕えることになった俺はさっそく彼女のお世話を始める。
といっても、着替えやらなんやかんやは同性のメイドがするので、俺がお世話するのはもっぱら、紅茶を入れるとか買い物のお供とか、そういったお仕事がほとんどだ。
だが、さすが未来の悪役令嬢。
彼女は現在十四歳で俺より一つ年下だった。ゲームで悪役令嬢としてその猛威を振るうまでは二年ほどあるのだが、既に悪役令嬢としての片鱗を見せている。
要するに、わがままな要望が多いのだ。
たとえば――
「リディアお嬢様、ミルクティーをお持ちいたしました」
「なにを言っているの? わたくしが頼んだのはストレートティーよ」
「失礼いたしました」
深々と頭を下げるが、もちろん俺は注文を聞き違えたりはしていない。
最初は間違ったのかと思った頃もあったが、そう思ってしっかりと確認するようになったにもかかわらず、彼女は俺の淹れた紅茶にこうしてケチを付ける。
おそらくは俺に対するイジワルだろう。
ただし――
「申し訳ありませんが、少々お待ちください。直ちに入れ直してまいります」
「いいえ、その必要はないわ。貴方が間違ったとはいえ、その紅茶には罪がないもの。ミルクティーを我慢して飲んであげるから、貴方は罰としてわたくしの肩を揉みなさい」
「かしこまりました。では……失礼いたします」
いまのところ、彼女のイジワルは可愛げのあるレベルだ。
俺はお嬢様に断りを入れて背後に回り込み、その肩に指を這わせた。決して彼女が痛がらないように優しく、その肩を揉みほぐしていく。
「――んっ。……はぁ、良い、感じです。腕の付け根や、首筋も揉みなさい。あぁそれじゃダメ。もっとわたくしに身体を寄せなさい。離れていたら力が上手く入らないでしょう?」
お嬢様に身体を寄せるなどとんでもない――と思ったのだが、側に控えているクラリッサに視線を向けると静かに頷かれた。
言う通りにしろと言うことだと判断して身体を寄せる。
俺より小さい身体。
艶やかな髪は、俺がマッサージをしやすいように胸の方に送っている。俺のお腹の辺りに、座っている彼女の背中が触れ、温もりが服越しに伝わってくる。
「――んっ」
彼女の身体がピクリと跳ねた。
というか、マッサージで微妙に色っぽい声を出すのは勘弁して欲しい。
彼女は未来の悪役令嬢で多少わがままな性格とはいえ、外見は俺が一目惚れで乙女ゲームを買ってしまうほどには可愛い女の子なのだ。
俺に肩を揉まれて甘いと息を漏らすとか、どう反応していいか困る。
ぶっちゃけ、微妙にイケナイコトをしている気がする。クラリッサに怒られないか心配したのだが、側に控えている彼女が止める素振りはない。
とまぁそんな感じで、別の意味で俺が困るお嬢様のイジワルは続く。
そんなある日。
お嬢様は俺のマッサージを受けながら本を読んでいた。この世界の文字が読めるか不安だったのだが、後ろから覗き込んだ俺にも問題なくその本が読めた。
でもってお嬢様が読んでいるのは数学――というか、算数レベルの問題だった。彼女はさっきからずっと同じページを開いて唸っている。
「分からないところがあるのですか?」
「ええ、ここよ。だけど、平民の貴方には問題の答えどころか、問題を理解することもままならないのではなくって?」
「いいえ、文字は読めますし、問題も分かりますよ。その問題の答えは1/3です」
「……は? え……嘘? じゃあ、こっちは……?」
「そっちは267、単純な計算ですね」
「凄い……正解よ。なら、さっきの問題がどうして1/3になるか教えなさい」
「かしこまりました。その問題は――」
説明を終えると、お嬢様が振り返って俺を見上げた。
その瞳はいままでみたことがないほどキラキラと輝いていた。
「シオン、貴方、勉強が出来るだけじゃなくて、説明も上手なのね。他の分からないところも教えてもらっても良いかしら?」
「もちろん、お役に立てるのであれば喜んで」
それがターニングポイントだった。
この日より、お嬢様は各科目の勉強で俺を頼るようになった。それはクラリッサに取っても嬉しい誤算だったようで、俺はお嬢様の家庭教師を掛け持つように命令される。
もっとも、俺は数学や読み書きは出来ても、この世界の歴史や地理は分からない。最初は彼女の期待に応えられないこともあったのだが――
「貴方はわたくしの執事なのだから、わたくしの期待に応えられるようになりなさい」
そんな無茶な要求に応えるために、俺はこの世界の歴史や地理なんかを独自に勉強して、お嬢様の質問に答えられるようになっていった。
それから一ヶ月ほどが過ぎたある日。
いつものようにミルクティーを入れると、リディアお嬢様は素直にそれを口にした。今日はいつもと違う難癖のつけ方なのだろうかと身構えるがそれもない。
しかも、いつもありがとうというお礼付きである。
「お嬢様、何処か調子が悪いのですか?」
「どういう意味ですか! わたくしだって素直に感謝するときくらいあります」
「……そうですか」
というか『素直に感謝するときもある』って、難癖付けている自覚はあったんだな。
「それで、なにを悩んでおいでなのですか?」
「シオン、貴方、わたくしの話を聞いていなかったのですか?」
「もちろん、聞いております。ですが、お嬢様が意地っ張りなのはいまに始まったことではありませんから、分かりますよ」
俺がそういって笑うと、お嬢様はむぅっと唇を尖らせた。それから視線を落として紅茶を見つめると、実は――と口を開いた。
「お父様から将来の話をされたのです」
「将来……ですか?」
「ええ。いつかわたくしは、第一王子と婚約することになるだろう、と」
「それは――」
おめでとうございますというセリフは飲み込んだ。
作中ではヒロインに嫌がらせをしたりと、様々な悪事を働くほど第一王子との婚約に固執する彼女だが、第一王子との婚約を喜んでいるようには見えなかったからだ。
「……お嬢様はその婚約を望んでいないのですか?」
「そんなの――っ」
声を荒らげて、だけど彼女はその言葉をぐっと飲み込んだ。まるで、その先は決して口にしてはいけないと、自ら戒めているかのように唇を噛んでいる。
俺は彼女の背後へと回り込み、その肩を揉みほぐしていく。
「……ひゃんっ。ちょっと……んっ。シオン! なにをしているのですか?」
「よけいなことを聞いてしまったようなので、自主的に罰を受けています。ですが……いまここには私とお嬢様しかおりません。話くらいは……聞きますよ?」
信頼されているのかどうかは分からないが、最近は二人っきりなことも多い。
さわさわと肩から首筋を撫でつけて、優しく緊張を揉みほぐしていく。リディアお嬢様は甘い吐息を零すと、「そう、ですね……」と呟き、俺に合図を送った。
真面目な話をするという合図だと受け取り、マッサージを終えて彼女の正面へと移動する。
「ここだけの話に出来ると約束できますか?」
「それがお嬢様のお望みなら」
「望みます。だから聞いてください。わたくしは……政略結婚なんてしたくありません」
「政略結婚……ですか?」
「いま王太子候補になっているのは、第一王子と第二王子のお二方です。陛下は第一王子を推しているのですが、情勢は第二王子に傾いているそうです」
「そういうこと、ですか」
このままでは、第二王子を王太子に選ばざるを得なくなる。
だが、この国で大きな力を持つローズフィールド家の娘と第一王子が婚約すれば、その情勢は一気にひっくり返るだろう。それゆえの政略結婚、という訳だ。
「もちろん、わたくしだって分かっております。ローズフィールド公爵家の娘として生まれた以上、その責務は全うしなくてはいけません。たとえ、自分の感情を押し殺してでも」
彼女は公爵令嬢だ。
必死に働いて日々の糧を得ている平民と違い、豪華絢爛で優雅な生活を送っている。その代償として、彼女は生まれながらに多くの責務を抱えている。
ゆえに、親が決めた政略結婚を断るということも許されない。
その事実に思い至った俺は衝撃を受けていた。
悪役令嬢のリディアは、王子の婚約者という地位を守るために、あの手この手でヒロインに行き過ぎた嫌がらせをおこなっていた。
そこに愛と呼べる感情はなく、ただ身分に固執する醜い女性だと、そう思っていた。
だけど、もしかしたら彼女は、家のために自分の感情を押し殺してまで、自らに課せられた責務を全うしようとしていただけ、なのかもしれない。
……というか、第一王子を王太子殿下にするために望んでもいない婚約をさせられて、あげくはその王子がヒロインとの恋に落ちて自分との婚約を破棄しようとする。
そりゃ、悪事を働きたくなるのも当然……なのでは?
いや、そこで王子本人ではなく、ヒロインに嫌がらせをするのは間違っているので、彼女の性格が歪んでいることに間違いはないのだが……
もしかして、俺にあれこれイジワルをするのもストレスのはけ口だったのかもな。
いつか自分が望まぬ結婚をさせられる。そんな運命を知ってしまったら、普通の中学生ならグレたっておかしくはない。周囲にイジワルをするくらいは可愛いモノだろう。
しかし……困った。
お嬢様が王子をヒロインに奪われるのは二人の間に愛が足りないからだと思っていた。だが、そもそも二人の間には愛なんて存在していない可能性がある。
お嬢様は公爵令嬢の責務として、婚約者の地位を守ろうとしていただけで、王子は本当に好きになった相手と結ばれようとしただけ。
だとすれば王子とお嬢様が破局するのは必然だし、そうなるとお嬢様がヒロインに嫌がらせをする未来から逃れられない。自分のためではなく、家のためだから。
「……お嬢様。私では、お嬢様の婚約をどうにかすることはできません」
俺が慰めを放棄したのだと思ったのだろう。リディアお嬢様がピクリと身を震わせる。だから俺は彼女がなにか口にするより早く「ですが――」と続けた。
「お嬢様の重責を半分預かることくらいは可能ですよ」
「わたくしの重責を……?」
「ええ。私は貴方の執事、側にいると誓いましたから」
彼女が俺にイジワルをしていたのは、将来の不安から来るストレスのはけ口だった。
要するに俺に甘えていた。
そう考えると、途端に彼女が可愛く見えてくる。
「……シオン、本当ですか? 私の重責、本当に半分背負ってくれるのですか?」
「無論です。お嬢様の愚痴ならいつでも聞きますし、マッサージだって、他の遊びだって、いくらでも付き合います。責務だけ果たして、後は好きに生きれば良いじゃありませんか」
人生は結婚だけじゃない。
政略結婚をしつつ、社交界で自由に振る舞うことだって出来る。それに俺なら、前世の知識を生かして新しい遊びを考案することも出来るだろう。
「だから、これからは一人で抱え込まないでください――って、お嬢様!?」
俺はぎょっとする。
戸惑った顔をしていた彼女の瞳から、ハラハラと涙がこぼれ落ちたからだ。
「……ご、ごめんなさい。いままで、わたくしが一人で負うべき責務だと思ってて、誰かにそんな風に言ってもらうのは初めてで、だから、凄く、凄く嬉しくて……っ」
あぁ、この子はこんな重責をずっと一人で背負ってたんだ。
それを一人で抱えて、だからあんな風に心を歪めてしまった。
それが原作で触れられていた伏線の正体。
原作で伏せられたままのはずだ。こんな事実を原作で明かしたら、ヒロインの方が悪役になってしまう。少なくとも、プレイヤーが得られたざまぁの爽快感は消えるだろう。
だけど、俺にとっては知りたかった彼女の秘密だ。
リディアは見た目が可愛いだけの悪女じゃなかった。本当は健気で一所懸命、ただやり方が分からなくて、道を間違ってしまっただけの女の子。
だから――
「お嬢様。大丈夫ですよ。私が、ずっと貴方の側にいます」
「……ありがとう、シオン」
この愛らしくも不器用な女の子を必ず破滅から救おうと誓った。
その日を境にお嬢様はイジワルをしなくなり、素直に俺を頼る機会が増えていった。
同時に、罰という名目ではなく、ストレートに俺のマッサージを求めるようになる。美意識が高いのかなんなのか、マッサージの要求もどんどん増えていった。
たとえば――
「シオン、今日は手や肩だけじゃなくて、足も揉んでください」
「足……ですか?」
大丈夫なのかとクラリッサを見るが彼女はやはりなにも言わない。お嬢様もそれを当然といった様子で、ベッドサイドに座ってドレスのスカートをたくし上げた。
彼女の透けるように白いふくらはぎ、そして太ももが露わになっていく。
正直に言って刺激が強い――が、俺も未熟とはいえ執事として修行した身。煩悩を頭の片隅に押しやって、そのふくらはぎをふにふにとマッサージする。
お嬢様がピクリと身を震わせて小さな声を上げた。
痛かっただろうかとお嬢様の顔を見上げる。
だけど、続けなさいという無言の視線が返ってきた。俺は頷き、両足のふくらはぎを揉みほぐしていく。なんというか……すべすべでいつまでも触っていたくなる。
「ふふ、良い感じです。シオンはマッサージが上手なんですね」
「お褒めにあずかり光栄です」
ふくらはぎから少しずつ上へと揉む位置を上げてゆき、膝関節の裏辺りを揉みほぐす。そうして揉むことに集中していた俺は、お嬢様の表情が変わったことに気付かなかった。
「……シオン、どうしてそのようにマッサージが上手なのですか? もしかして、わたくし以外にも、このようなマッサージをしたことがあるのですか?」
無言で顔を上げると、お嬢様の目が笑っていなかった……って、え? なんでこんな唐突に闇堕ちしたみたいになってるんだ? 俺がなにかしたのか?
「……シオン、答えられないのですか?」
「いえ、えっと……姉に良くしていました」
「姉……それは義理の姉とか、ですか?」
「いいえ、実の姉ですよ。姉はとても優秀で、私はよく勉強を教えてもらっていたんです。その見返りにマッサージをさせられていた、という訳です」
「……そうですか」
ハイライトの消えていた瞳に光が戻った。
よく分からないが許されたらしい。
「ねぇ、シオン。わたくしにマッサージをするのは嫌じゃないですか?」
「まさか、そのようなことはありませんよ」
「……本当に?」
「ええ、本当です。むしろ、私がお嬢様に触れて良いのかと不安になることはありますが」
「安心しました。あ、シオンがわたくしに触れるのはまったく問題ありません。だから、もう少し上の方も揉んでくださいね」
問題ないらしい。どう考えても問題しかないのだが。
というか、足を揉んでいるだけなのにお嬢様の反応が妙に色っぽい。ぶっちゃけ、イケナイことをしている気になってくる。
俺は煩悩を押し殺しながら、無心でお嬢様の太ももを揉みほぐしていった。
――とまあ、そんな感じだったのが最初の頃。
次第にお嬢様の要求はエスカレートして、アロマオイルを手足に塗り込んでマッサージして欲しいとか、背中にもアロマオイルを塗り込んでマッサージして欲しいとか。
あげくは「わたくしがシオンにマッサージをしてあげます」とか。
なにやらだんだん過激というか、チョット妖しい方向に彼女のお願いが傾いていった。
もちろん、さすがにそれはまずいと、俺が実際に応じたのはアロマで手足をマッサージするまでである。お嬢様が服を脱ごうとしたときは全力でお止めした。
というか、アロマだけでも、お嬢様が嬌声をあげて理性を保つのが大変だったが……
いったんその話は置いといて、それと同時進行でお嬢様の勉強にも付き添った。
イジワルがなりをひそめ、代わりに可愛いわがままを言うようになったお嬢様だけど、勉強に関しては絶対に泣き言を言わない。
彼女は真面目に勉強を続けている。
健気で一生懸命な彼女に応えたくて、俺もついつい元の世界の知識を教えてしまう。どのような知識がお嬢様のためになるか試しているうちに、俺は魔術の発動に至った。
この世界には魔力素子がない。もしくは希薄のようで、大気中の魔力素子を構成に流し込んで起動するという工程が不可能だった。
そこで体内で生成された魔力のみで魔術を発動するように構成を書き換えた。その結果、小規模な魔術なら発動するようになったのだ。
で、驚くべきなのはここからだ。
俺がお嬢様の護身術の相手をしているときのことだ。
俺がこっそり魔術を使って身体能力を強化していると、お嬢様がそれに気付いたのだ。それも身体能力の向上という結果からではなく、魔術の構成を展開した空間の揺らぎに、だ。
つまりお嬢様は魔力の動きを把握できるということで――興味本位で教えてみたら、お嬢様はあっという間に初歩的な魔術を使えるようになってしまった。
「お嬢様、その魔術を使えるのは私達だけの秘密ですよ?」
「ふふっ、シオンとわたくしだけの秘密、ですね」
花のように笑う。
彼女は年相応に無邪気な可愛さを見せるようになった。
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