温泉鬼行:昼月


「うぉりゃッ」


 覆い被さるオスの身体を転がして、横へとどかす。オスの顔を見ると、血の泡をこぼしながら白目を剥いてぴくぴくしていた。まだ息があるのか。


 突き刺さる剣を引き抜き立ち上がると、メスがこちらに向かう動きを止めて目を見開いていた。


「ふんッ」


 その目の前で、オスの喉元へと剣を突き立てる。オスはもう一度ビクッと身体を震わせ、そこからは動かなかった。



「ゴアアァァァァァァ-!!!」


 メスの絶叫が尾根に響く。すまないな。まだ生きているからには、油断ができなかったんだ。


 メスのオーガが地面を蹴る。身体が線を引くと思えるほどの速さ。だが、踏み換えた足が一瞬遅れる。あれは、短剣を刺した方か。

 それもわずかに体勢を揺るがすのみ。そのままお構いなしに地面を蹴って、血まみれの拳が襲いかかってきた。


 そうだよ、許してくれなんて言わない。俺とお前はそんな関係じゃない。


 義足が地面を蹴り、拳が目前を通過する。降りかかる血を剣身で払う。隙を晒す片腕の無い身体、だが、狙うのはそこではない。続けて蹴り上げられる足を横っ飛びに転がって避けながら、その軸足へと剣を振り込んだ。


 お前から見れば、俺は縄張りを冒す侵入者。村から見れば、近すぎる脅威と貴重な塩場への侵略。だから依頼が出され、前を向こうと決めた俺がそれを受けた。そうして俺とお前は、今こうして向き合っている。


 片足立ちとなり防ぐ術のない足元への攻撃に、オーガは片足で地面を蹴って空中で縦回転して躱す。肩の傷から血が噴き出し、空中に円を描いた。


「せぇィッ!」


 立ち上がり様に地面を蹴って、オーガの着地点へと突っ込む。着地したオーガは衝撃を両足を縮めて吸収し、そのまま頭から突っ込んできた。


 おそらく、お互いが獲物とは認識していないだろう。それぞれの存在と未来をかけて、剣と拳を向け合う相手。それが俺とお前達との関係、そうだろ?


 突っ込んでくる頭に対し、足を止めて剣を下から振り上げる。その剣は、振り下ろされた腕によって弾かれた。


「くぁッ」


 無理矢理剣を弾いたオーガの腕から血が飛ぶ。そんな事はおかまいなしに突っ込んできたオーガの角が鎧をかすめ、肩当てが吹き飛んだ。

 

 窮地に陥ろうとも苛烈な攻撃に陰りは見えない。片腕を奪われ、相方を殺されてなおその目は常に前を見据え、退くなど眼中にもない。どこまでもまっすぐなヤツだ。

 

 肩が削られた衝撃に逆らわずに退き、オーガの背面、腰へと回転しながら剣を振り込む。


「ガアッ!」


 オーガは前に跳び、その剣を躱す。振り返ったオーガの目が、赤く燃える。


 なればこそ、倒すべき敵として敬意を払おう。お前があくまでも曲がらないとしても、俺も前を向くと決めた。ゆずる気は微塵もないッ!


 その目を真っ向から見つめ返し、剣はオーガへと襲いかかった。


「おおぉぉぉッ!」

「ゴアァァァッ!」

 

 互いに睨み合ったまま、剣と拳が交錯する。殴ろうとする腕を斬り付け、踏み換える足を斬り払う。剣が斬り込む度に血しぶきが舞った。


 メスのオーガは片腕を失っている。にもかかわらず攻防は互角。それはメスが捨て身で戦っているからだ。

 少々の傷はものともしない、その特攻に血が舞いオーガの身体が赤く染まる。だがその拳は、蹴りは、一撃当たれば全てをひっくり返す威力を持って襲いかかってきていた。


 このまま削り続ければ勝てるのか? おそらくそれはない。相手の治癒能力もわからない上に、こちらの疲労はすでに限界など越えている。そんな状態で長々と戦えば、ミスを犯すのはこちらだ。


 振り込んだ剣が同時に振るわれた拳とぶつかり、弾かれて距離が離れる。そこでお互いは動きを止めた。


 肩で息をしながらも、視線を外す事はない。尾根を渡る風が火照った身体に心地よく吹き抜ける。だが、身体を冷やすのはまだ早い。もう少しだけ耐えてくれよ、俺の身体!

  


 剣を下段に構え、一歩、歩を進める。オーガも同じく一歩踏み出した。


 そこから一歩づつ、ゆっくりと近づく互いの距離。それが間合いとなっても、どちらも動かない。


 近くから見上げるオーガは、大きい。片腕を失い、全身から血を流しながらも受ける圧力は以前と遜色がない。こちらを見下ろすオーガの目に、嘲りの色は見えない。ただ殺す。その圧倒的な意思だけが伝わってきた。


 息を吸って、吐く。オーガと、自分と。そのタイミングが一致した瞬間、互いに地面を蹴った。


 大きく踏み込まれるオーガの足。傷つき、片腕を失おうとも、その速さに陰りは見えない。踏み込みと共に腰を低く落とし、上半身の位置を下げて裏拳を水平に振るってきた。


「ちッ!」


 目線を併せてくるとは、これまでなかった動きだ。こちらも踏み込んだ足を、後ろへと蹴る。退がりざまに上半身をひねり、オーガの脇へと剣を振り込む。しかし腰の入っていない剣は、落ちてきた裏拳に軽々と叩き落とされた。そしてさらに踏み込んだ足の筋肉が隆起する。


 この距離、その動きはマズイ! 義足で地面を蹴ってさらに退がる。メスは低く落とした体勢から、横薙ぎに蹴りを払ってきた。


 かろうじて躱し、重心が流れる。オーガの振るわれた足が地面を踏み、蹴りを放った勢いのままつま先が翻る。足先のその動作は、足をひねり、腰を回し、そして全身をくるりと回転させた。そこから繰り出される後ろ回し蹴りは、周囲の空気までもを巻き込むような圧力を伴って襲い掛かる。


 躱す!? いや、間に合わない!


 片手を剣から放し、回ってくる蹴りへと伸ばす。受け止めるのではなく、自らも回転しながら受け流す。腕が蹴りに当たり、<ゴリッ>と腕の骨の砕ける感触が伝わる。凄まじい衝撃が腕を弾き飛ばし、身体の回転に急激な加速がかかった。


 その回転をそのままオーガへと向ける。片手に持った剣を、回転する身体ごとオーガへと叩き付けた。狙いもなにもあったもんじゃない。振り下ろされるその一撃を、オーガは受け止めようと腕をかざす。



 一度目は偶然だった。二度目でやっと気付いた。


 オスのオーガの装甲を貫いた突き。あれの正体は魔力操作だった。突く一点に意識が高まり、そこに集中する魔力の流れを確かに感じた。

 これまで剣に流れる魔力を意識して操作した事はない。できるとも思っていなかった。ただ剣の柄から魔力を送り込むだけだ。


 限界の戦いで高まった集中、常に全力で流し続けた魔力。それが剣先へと魔力を集めさせ、剣先の付与効果が高まったのだとしたら?


「おおぉぉぉぉぉッ!」


 全力で流す魔力をオーガの受ける刃へと集める。

 片側の剣身が輝きを増し、反対側の輝きが光を失う。

 受け止められるはずの刃が、オーガの装甲を斬り裂き、腕を落とす。


 本来は身体を何回転もさせたであろう勢いはそれでも止まらず、刃は首元から胴体へと喰い込んでいく。

 急激にかかるブレーキが剣を持つ片腕に高すぎる負荷をかけ、筋肉が悲鳴をあげる。それでも手放すわけにはいかないと、必死に剣にしがみつく。


 勢いがようやく止まった時、刃はオーガのみぞおち近くまで達しようとしていた。


 恐る恐る、オーガの顔をのぞき込む。燃えるようだった目は呆然と見開き、すでに輝きを失っていた。



 剣を握る手を放す。


 支えを失ったメスのオーガは、ゆっくりと後ろに倒れる。


 そして自分も。


 仰向けで地面に倒れ、荒い呼吸を繰り返す。回し蹴りを受け流した左手は、ズタボロで感覚がない。今はただ痺れて、熱い。


 地面から見上げる視界には、色づいた木々と雲の流れる青空。そして遙か先に昼月が浮かんでいた。


 月が見えていたなんて、全然気が付かなかった。周りが見えていなかったのか。


 欠けた昼月には、誰に気付かれるかなど関係ない。ただそこに在って大地を見下す。



 昼月を見上げたまま、背中から伝わる大地の感触に身を任せ、繰り返す息づかいと風をただ感じた。


 ああ、ちゃんと生きてる。


 今は、それだけでいいか。

 


 ゆっくりと目を閉じると、その頬を心地良い秋の風が吹き抜けていくのだった



 

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