温泉鬼行:蛍


 まだだ!


 たかがメインの血管を斬ったくらいで、こいつらが死ぬはずがない。


 人ならば失血死していてもおかしくない。だが、オーガにそんな常識を求めても無駄だ。とはいえ、足の付け根をざっくり斬られれば、そのまま立ち上がるのは無理なはず。オスのオーガは血の吹き出る付け根を手で押さえながら、地面をごろごろと転がった。

 その様子を動きを止めたメスが目で追う。その隙に、今度はしっかりと踏ん張りながら、義足を立てて立ち上がった。


 こちらが立ち上がったのに気付いたメスのオーガは、大きく後方へと後ずさった。そして倒れるオスとこちらを交互に見る。一瞬のためらいの後に、オスのところへと駆け寄ろうとした。


「させるかっ」


 近寄ろうとするメスを、剣を振るって牽制する。青く光る剣が目の前を通過すると、オーガは忌々しそうに足を止めた。


 目の前でオスが斬られたせいもあるのだろう。かなり剣を警戒している。さっきまでならそのまま弾き返していただろう。実際は装甲の切れ目を切り裂いただけで、切れ味は変わっていないのだが。


 ……待てよ? 切れ味は変わっていない……か。


 よし、やってみるか。


「光よ、ライト」


 日の光に照らされてぼんやり浮かぶ光球に、メスが警戒して再び距離を取った。それならそれで構わない。足を押さえながら、こちらを睨み付けるオスへと近寄った。


 上段へ剣を構えると、オスは傷を片手で押さえながらも片膝を立てて拳を固めた。その動作で、傷口から血が大きくこぼれる。

 メスを浅く斬った時とは手応えが違う。傷はかなり深いはずだ。


「ガラァァァッ!」


 そこへメスが突っ込んで来た。そうだよな、まだ息のあるオスを見捨てるわけにはいかないよな。


「せぇりゃッ」


 身体の向きを変え、上段に構えた剣をメスへと振り下ろす。剣を警戒したメスは足を止めて、剣を腕で弾く。頼りなく浮かんでいたライトの光球が消し飛び、弾かれた剣が横に流れた。


 流れる剣の重さを、ぐっとこらえる。いつもよりマインブレイカーが重いのは、流す魔力を止めているからだ。


「……!!!」


 声を出さず、歯を食いしばって剣を握る。弾かれた剣を、その反動で今度は防御の為に上がった腕の下へと振り込んだ。


 これまで幾度も剣を打ち込んで、その度に防御してきた腕がピクリと動き、そこで止まる。


 剣は装甲の薄い脇の下へと吸い込まれ、斬り上げた剣がそのまま上方へ向けてと振り切られた。

 

 メスの腕が肩から宙を飛ぶ。


「グルァァァー!」


 メスの悲鳴が上がり、後ろへよろめく。上方へ振り切った剣をそのまま振り下ろすが、メスはよろめきながらも地面を蹴って、後方へと転がり避けた。


 よし! 通った!


 メスの防御が遅れた理由、それは光だ。マインブレイカーは魔力を流すほどに青く輝く。この戦闘中、魔力は常に全力で流していた。防御する方にとっては、光りながら襲ってくる剣はわかりやすかっただろう。それが突然消えたらどうなるか? メスのオーガはほんの一瞬剣を見失った。この速度域ならその一瞬で十分。声を出さなかったのも、反応を遅らせる為だ。


 ライトの光球は魔力を止める瞬間を紛らわせる為の目くらましだ。必須ではなかったかもしれないが、マインブレイカーはただでさえミスリルの輝きが目立つ剣だ。保険としてだったが、効果はあったと思う。


 

「せらぁッ!」


 肩を手で押さえながらも、ヒザをついて立ち上がろうとするメスに向けて剣を振るう。片腕を斬ったくらいで勝った気にはなれない。メスがこちらを見つめる目は怒りに燃えていて、諦めた様子は微塵も見えない。


 地面にヒザをつき低くなった顔面に向けて、横薙ぎに剣を振るう。オーガは自ら頭を下げて、頭部の角で剣を受けた。

 <ギィン>っと剣が弾かれ、凄まじく硬い手応えに手が痺れる。あれは斬れそうにないな。


 上方へ弾かれた剣をギュッと握り直し、再度斬り付けようとした。


「ガァッ」


 その背後からオスが飛び込んでくる。それを横へと跳んで避けた。


 この後に及んで油断などするものか。オスが這いながらも近づいて来ていたのには気付いていた。片足で地面を蹴った突撃には、かつての勢いは見る影も無い。


 立ち上がったメスがオスの横に並ぶ。オスも手を突きながらも立ち上がった。血はまだ流れているが、出血はかなり止まってきている。とはいえ付け根を深く切り込まれた足は、そうは使えないだろう。


「グルァァァァ!」

「オラァァァァ!」


 期せずして咆哮と気勢が混じり合う。

 

 姿勢を低くし、片足で立つオスの足へと剣を振り込む。そうはさせないと、メスの蹴りが襲いかかってきた。


「せ、あッ!」


 飛び退き様に、蹴り上げた足に向けて切り返した剣を斬り上げる。メスは足の角度を変えて剣を受け流し、そこへオスの拳が振り下ろされる。


 トンッと、さらに退がって拳を躱す。上半身だけで振るった拳は、以前ほどの速さも力もない。それでも、もらってしまえば大ダメージは免れないだろう。


 退がったところへ、メスがさらに踏み込んでくる。蹴りか、と身構えたところにメスは傷口を押さえていた腕を放して裏拳を振るってきた。


 間合いは十分。上半身を逸らして拳を躱す。腕の無い脇ががら空きだ!


 反撃の剣を腕の無い脇腹へとめがけて振り込む。だがその視界に何かが飛んできて来て、<べちょり>と顔に当たり目に入った。

 

 なんだ!? 赤い、液体、血か!? 


「グァッ」


 塞がれた視界に、振り込んだ剣からの手応えが伝わってくる。硬い手応えだ。急所には入らなかったか。

 相打ちを覚悟で、自分の血で目潰しをかけてくるとは。


「くそッ」


 さらに一歩退がり、片手で血を拭う。うっすらと開けた視界に飛び込んできたのは、オスの足だった。


「ぐはッ」


 腕ごと蹴り飛ばされて、横回転に回りながら吹き飛ばされる。自由の利かない足を振り回して無理矢理蹴って来やがった!

 地面を転がって、腕を突くと激痛が襲ってきた。


「メー・レイ・モート・セイ ヒール」


 ちらりとみると、腕の角度がずれている。ちッ、折れているな。一回の回復では追いつかない。力の入らない足での蹴りでこれか。もう片方の手で目を拭うと、戻ってきた視界にこちらに突っ込んでくるメスが入った。


 ……ん!? 折れた片手と、目を拭った手、……剣は!? 剣はどこだ!?


「グルアァァ!」


 あった! メスが突っ込んでくるその後ろの地面に転がっている。腕が折れたくらいで剣を手放すとは不覚だ。王都の師範に知れたらボコボコにされるな。

 立ち上がって腰の短剣を引き抜き、迫ってくるメスに低く身構えた。


 剣を失ったこちらに対して、メスは容赦なく蹴りを放つ。


「くはッ」


 以前なら躱せなかったであろう速度。それを紙一重とはいえ間に合わせてくれたのは、他でもない、オーガとの戦闘そのものだろう。

 身体を横に開いて、蹴りを躱す。折れたままの腕を肩ごと蹴り出した足の下に潜らせ、片足立ちの相手へとすくい上げて押しつける。……が、びくともしない。


「グアッ」


 メスのオーガは、片足立ちのまま蹴り出した足を<グッ>と押しつけて潰しにかかってきた。


「ぬァッ」


 オーガと力比べをして勝てるはずがない。身体ごと抵抗しながらも、片手に握った短剣をヒザ裏へと突き立てた。


 解体に、副武器にと愛用している短剣は、特に何の付加もない普通の品だ。それでも冒険者として、ちゃんとした物を選んでいる。そこへオーガ自身の力が加わって<ズシュリ>と肉に喰い込んだ。


「ゴァッ」


 思わぬ痛撃に、メスは足を上げて後ろに倒れ込む。刺さった短剣を引き抜きざま転がるメスの横を駆け抜けた。


 目指すのは当然、剣のところだ。


 地面に転がる剣、だがその近くにはオスのオーガが足を引きずりながらも近づいていた。


 歩けるとか嘘だろ!? 回復したのか、それとも根性なのか?


「メー・レイ・モート・セイ ヒール!」


 駆けながらも回復ヒールをかけ、腕の骨折を治療する。骨のずれる激痛さえ、今は気付け程度にしか感じない。


 オスのオーガもこちらに気付いてペースを上げる。ちらりと後ろを見るが、メスはまだ立ち上がろうとするところだった。


 剣まであと少し、これなら間に合う!


 踏み出した義足のバネを解放して、大きく跳ぶ。そしてそのまま滑り込みスライディングで剣に手を伸ばした。そこに影がかかる。

 顔を上げると、空中に跳ぶオーガと目が合った。


 両手を前に突き出す体勢で跳んでくる。あの足で跳びやがった。


「くぉッ」


 手が剣を掴む。だがこのままでは潰される。


 落ちてくるオーガ。剣を構えるヒマなどない。ただオーガに向けて必死で剣を立てる。いつもなら一瞬の、魔力が剣を伝わる光さえもどかしい。

 ヒザ立ちの体勢のまま立ち上がる剣。そこへオーガは落下してきた。


 <ギャリ>っと剣先がオーガの装甲を滑る。広げられた手が目前に迫る。滑った剣先は、オーガの胸の装甲、みぞおちへと挟まり込んだ。


「いけぇェェェッ!!」


 このままオーガの圧力に潰されるか、剣が折れるか……もしくは貫くか。突き上げる剣にひたすら魔力と力を込める。マインブレイカーは強く輝きを放ち、その輝きが剣先へと集まる。


 あ、これ、さっきの。


 そう思ったのと、剣先にかかる重さが突き抜けたのはどちらが先だったか。


「ゴフッ」


 剣先はオーガの装甲を喰い破り、体内を貫いた剣はそのまま反対側へと突き抜ける。落下するオーガは力を失いながらも、身体の上に落ちてきた。


 下敷きになり、身動きが取れない。その頭を、オーガの手が<ガシッ>と掴んだ。


 コイツ、まだ動けるのか!


「い、い、加減、に、しろッ!!」


 下敷きのまま貫いた剣をぐっとひねると、のしかかるオーガの身体が<ビクッ>と痙攣する。



 そして頭を掴んだ手は、力なく地面へとしなだれ落ちた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る