温泉鬼行:夫婦
「グラァァァァ!!!」
傷だらけのメスをみたオスが雄叫びを上げる。
それに対し、来るなら来いと剣を中段に構えた。
すぐにでも突撃してきそうだったオスは、こちらの構えを見て先日の戦いを思い出したのか動きを止める。そしてじろりとこちらを睨みつけた。
「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション」
時間がもらえるならありがたい。息を整えながら、効果の切れかけていた守護の魔法をかけ直す。弱まっていた光が再び強く身体を包む。
結局、オスが来るまでにメスを仕留められなかった。
メスを仕留め切れなかったのは残念か? と聞かれれば残念ではある。だだ、それと同時にやっぱりか、という思いもある。尾根に響く戦闘音と、メスの雄叫び。来るのは時間の問題だろうとも思っていた。
「ガルァ!」
オスのオーガが吼える。今のきっとオーガ語で『ここまでよく耐えた。後は俺に任せておけ』って意味なんだろう。一休みする暇はなさそうだ。
身構えるオスのオーガの筋肉がはちきれんばかりに盛り上がる。そして、それは一瞬の後に土煙を残して解放された。
地面を蹴りつけ、高速で迫るオーガの体勢は
横っとびに躱し、次の一歩で前方へと踏み出す。
「ガウァッ!」
その視界に飛び込んできたのは、後を追って突撃してきたメスだった。前後で挟み込む気か!?
メスに対する警戒は怠っていない。オスの突撃が背後を取るための作戦だとは思わないが、ヒーローが現れて選手交代なんて事もないだろう。
迫るメスに対して、体勢を低く間合いを詰める。そこにメスがローキックを放ってきたが、そいつは予想通り。
身長の高いオーガは、こちらが低く姿勢を取ると足を使ってくる事が多い。タックルを仕掛けて来なかったのは、先ほどの突きを警戒したのか。
遠目の間合いから横に踏み込みつつ、軸足の足首に向けて逆振りで剣を振り込む。狙うのはアキレス腱。こっちの世界でそう呼ばれる事はないが、アキレス腱だ。
剣先がギリギリ届く距離。その一撃をメスは軽く足を上げて前方へ躱す。足を動かしてくれればそれでいい。当たらなくても問題はない。
その動作で位置が入れ替わり、互いにくるりと向き直る。その背後には立ち上がるオスが見えた。これでとりあえず挟まれなくて済みそうだ。
「ゴァ!」
そして近付いた間合いに、再び始まるメスとの高速での攻防。蹴りを避け、剣が弾かれる。だが、先ほどよりもあきらかに押されていた。理由はこちらに迫るオスだ。回り込まれないないように立ち位置を変えねばならないからだ。
攻防が速すぎて、足捌きに取られる一手が遅れになる。その隙に付け込まれていた。ただでさえ義足の身では足捌きは不得手だというのに。
じりじりと後退しながらも必死に攻防を続ける。額に浮かぶ汗が邪魔でしかたがない。だが、つらいのは自分だけではないはずだ。メスの首筋の傷からは今も血が流れ、流れ…… あれ? 流れてない!?
メスの首筋の傷は、今もしっかり残っている。だが、激しく動き回っても、それ以上血が流れ出る様子はなかった。手応えは浅かったとはいえ、首の傷からの流血がそれほどすぐに止まるのは不自然だ。血小板に角が生えてるなんて事は無いと思うが、なにか治癒能力、もしくはスキルでも持っている可能性だってある。
それが何かはわからないが、傷口は閉じていないので傷がすぐに治るほどの強力な能力ではなさそうだ。それでも、出血がすぐに止まるというのはそれだけで脅威だ。訂正しなければならない。つらいのは自分だけかもしれない。
ただでさえ手強いメスの背後にオスが到着する。とうとう二体を相手にしなきゃならない時がきたか。メスの背後から攻撃の機会をうかがうオス、そちらにチラリと視線を送り、にやりと笑って見せた。
別に笑いたかったわけではない。メスとの攻防が手一杯で、挑発できるのが口しか空いていなかっただけだ。
「ガロァッ」
それを見たオスがメスとの攻防に乱入してくる。そして横殴りで殴りかかってきた。その動きに、今まさに蹴りを放とうとしていたメスはバランスを崩して一歩退がる。
横から襲いかかる拳をかいくぐり、脇へと下から剣を振り込む。オスはその剣を受けずに跳び退き、その開いたスペースに、今度はメスが踏み込んで来る。
蹴り込んで来た足を、振り上げた剣を反転させてヒザ裏へと向けて斬り込む。メスは蹴りの途中から器用に身体を回転させて、足で剣を打ち払う。そこへ続けてオスが前蹴りで突っ込んで来る。
「っと!」
弾かれた剣をそのままにメスの側へ避けると、片足立ちだったメスとオスの蹴りが交錯して動きが止められた。
二体がかりの連続攻撃は息つく間もない。息つく間もないが、攻撃速度だけでいえばメス一体での連続攻撃とそうは変わらない。これなら十分にいける!
正面に二体並ぶオーガの圧は半端ではない。眼光だけで逃げだしたくなる。だが、こいつらは連携が上手くない。オーガは群れを作る魔物ではないので、慣れていないのかもしれない。
そうなれば、安全地帯は後ろよりもむしろ前。
「せぇぃッ!」
オスの肩をめがけて、上から剣を振り込む。腕で弾かれるが、逆らわずに弾かれた剣を防御した腕へと再度打ち込む。
近ければ近いほど、もう一匹は手を出せない。そもそもオーガの身体では、正面から二体が同時に相手をするには、人は的が小さすぎるのだ。
オスは退がりながらも、剣を嫌って腕を振り払った。そこへ今度はメスが手刀を突き刺して来る。
「ちッ」
手刀での攻撃は、力は無いが速さがある。剣を斜に構えてなんとか受け流した。休む間もないが、今はこれしかない。二匹と渡りあえているのは、正面から相手にしているおかげ。しかし、その作戦にも大きな穴がある。
一つは、手分けして横や後ろに回られるとあっという間に大ピンチに早変わりする点。
連携が得意な魔物なら、正面にこだわったりはしない。挑発したおかげか、今のところオーガは遮二無二に突っ込んでくるだけだが、下手にこちらが退がれば回り込もうとされるかもしれない。
もう一つ、それは疲労だ。
オスの豪腕が目前を通過する。その風圧だけで冷や汗が飛び散る。
二体での攻撃は、攻撃速度こそメス一体とそう変わらないが、一撃一撃が必殺の重さ。とはいえ、もともとの攻撃が重すぎて受けれないので実際には変わらない。むしろ組しやすいとさえ言えるかもしれない。それなのに現状を維持するだけで手一杯になっていた。
メスとの未体験の高速戦闘は、思った以上に体力を削っていた。マインブレイカーに流す魔力を維持するのも、いいかげんつらい。
それに対して相手は二体で交互に攻撃している。しかも到着したばかりのオスは元気一杯だ。ちまちまと小さい傷を付けられてもお構いなしに攻撃を振り回してくる。止血の早さも気になるし、このままではこちらだけ体力を削られてじり貧だ。
「うぉぉぉっ!」
声を振り絞り、自分に活を入れる。心が折れたらそれで終わる。それだけははっきりとわかった。
振り込む剣が、オーガの関節を、急所を狙う。オーガの拳が、蹴りが唸りをあげて紙一重を通過する。
攻撃も回避も、どちらかでもしくじれば命の保障はない。綱渡りの攻防がさらに体力を奪う。ともかく集中は切らせない。
そんな攻防の最中、振り込まれた剣を避けたメスが、たたらを踏んで正面から大きく横へずれた。一体ならば大きな隙になる動き。けれど、次に続くオスの攻撃が追撃を許さない。
そして横へずれたおかげで二体が干渉せずに、同時にこちらに攻撃できるスペースが生まれた。
「ゴアッ!」
正面と横から、二体が同時に襲いかかってくる。オスが蹴りを横に放ち、メスが殴り下ろして来た。そのままどちらかの攻撃を受けてしまえば
「くぁっ!」
オスの中段蹴りの下を受けずにかいくぐる。そのまま横っ飛びに転がり、義足を地面に立てて立ち上がった。
その義足がずるりと滑る。
「なっ」
たまたま足場が悪かったのか、疲れが足にきて踏ん張りが足りなかったのか。いずれにせよ、ヒザをついた隙をオーガが見逃すはずがない。
「ゴァッ」
オスのオーガが、こちらを向いて確かに笑った。挑発の仕返しだとでもいうつもりか!?
踏み換えた足が目の前に踏み込まれ、後ろの足が振り上がる。
だけど、そいつは喰らえば、の話だ!
「はぁぁぁぁッ!!」
こちらが見せた隙に攻撃が雑になりやがった! 踏み込んだ分、オーガの身体が近い。しかもそんなに踏み込んだら、今更止まれないだろ? ようやく隙を見せたな!
ヒザをついた身体ごと倒れ込むように剣を上から回し込む。狙うのは振り上がる足の付け根。
「ガウァァァー!」
今にも振り下ろされる足の付け根部分。硬い皮膚の切れ目に、狙い違わず剣身が割り込む。剣から肉に喰い込む確かな手応えが伝わってきた。
振り切ると同時に血が噴き出す。振り上げられた足が外側に流れる。
オスのオーガは踏み込んだ足をそのままに、その場へと崩れ落ちた。
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