温泉鬼行:女将



 こちらの動きが遅れた一瞬、それを救ったのは入り口に張った縄だった。


 そんなものに引っかかるかと、オーガはひょいっと縄を飛び越える。


 その一瞬足の踏み替えがこちらの動きを間に合わせてくれた。手元のロープをぐいっと引っ張ると、地面に隠しておいたもう一本が<ピン>と張られてオーガの足に引っかかる。


 片側だけを縛って、反対側を木に通した。見えている縄をおとりにした簡単なトラップだが、欠点は手に持った片方が固定されていない事だ。


「グルァ!」


 足に引っかかった縄をお構いなしに、オーガがさらに踏み込む。


「おわっ」


 オーガの力の前では、オスとメスの違いなど人にとっては誤差でしかない。引っ張られるロープに上半身がもっていかれる。そのまま力比べをしても引きずり倒されるのはこちらだ。すぐにロープを手放して、地面に突き刺した剣を手にした。


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション」


 こちらが剣を構えつつ、守護の魔法を唱える。その間にメスのオーガは足にひっかかったロープを掴んで投げ捨てた。

 足を引っかけて倒せはしなかったが、速度の乗った突撃を防ぐのには成功した。上出来とはいかないまでもまずまずといったところか。


 忌々しげにこちらを見るメスのオーガとにらみ合う。



 メスってのは良くない。メスに手を出されて怒らないオスはいない。そう相場が決まっている。戦闘が長引けばオスがやってくると思った方がいい。『向こうが先に手を出して来たんだ』などと言い訳して通じる相手でもない。


「ガルァッ!」


 こちらの鎧が光っても、メスのオーガはオスの様に警戒する事なく襲いかかってきた。オスよりも好戦的なのか?


 鋭い踏み込みから放たれたのはローキック。オスに比べ小柄とはいえ、2mをゆうに越える身体から放たれれば、全然”ロー”ではない。ムチのようにしなる足をまともに受ければ、いつぞやのゴブリンの二の舞だろう。


「ちッ!」


 こんなのは剣でも受けられない。後ろに飛び退き間合いを外す。振り切ったところを狙うべくヒザを曲げるが、そこに蹴りの風圧が襲って来た。

 顔面を通過する風が足を踏み止まらせ、顔を引き攣らせる。メスだから組しやすい、なんてことはこれっぽちもなさそうだ。


「ゴァッ!」


 蹴りを振り切ったオーガは、その足をそのまま着地させて裏拳を振り払ってくる。それを下からすくい上げるように剣を振るって受け流す。


 剣と腕がぶつかり、<ギャリッ>と音がして上方へ腕が逸れる。剣を振ったその視界の片隅には、反対側の足が襲いかかって来るのが見えていた。


 速い! とっさに蹴られる方向に跳ぶ! 

 しかし、オーガの速度はそれを上回っていた。足先が横っ飛びに跳んだ足へと当たった。


「ぐッ」


 横に跳んでいた足が蹴られて急激に方向が変わり、身体ごと縦回転へと移行する。

 視界がぐるっと回り、不自然についた勢いで足から着地。勢いを殺しきれず、縦にもう一回転してから地面を転がった。


「メー・レイ・モート……」


 すぐさま身体を起こすも、足が変な方向を向いている。ヒールを唱えようとしたところで、オーガの姿が空を跳んでいるのに気がついた。踏みつけスタンプか!


「・セイ ヒール!」


 <ズドン>と地響きがなり、地面を転がって間一髪で躱す。足が激痛を訴えるが、それどころではない。

 寝転がったまま、意地で手放さなかった剣をオーガの足首へと振り払った。オーガはそれを<ヒョイ>と後ろに跳んで躱す。


 もう一度ヒールをかけながらも、剣を突いて立ち上がった。


 そして切っ先を相手に向けると、メスのオーガはにやりと笑って舌なめずりをした。


 

 これは…… 短期決戦などできそうにないな。


 確かに、剣で受けた感触では、オスよりは力は強くない気はする。だが、攻撃の速さ、鋭さはむしろメスの方が上なんじゃないか?


 力なんて、もともとがオーバーキルなのに。それが多少弱くなってなんだというんだ。相手にした手応えは、メスの方がむしろ厄介に思える。


 しかも、鎧による光属性強化の及ばない下半身で受けたのはまずかった。足先の一撃で骨をもっていかれるとは。

 地面に激突した衝撃は守護の魔法が受けてくれたから、無意味では無かったが。


 守護の光が消えた状態で、オーガと向かい合う。骨を折られて回復で手一杯になってしまった。向かいあったこの状態では、呪文を唱えればすぐに襲いかかってくるだろう。


 じりっと後ろに退がりかけて、ぐっと義足を踏ん張って留まった。もともとオーガが手強いのはわかりきっていた。短期決戦などと甘い事は言わず、全力で戦わねば勝てるはずもないか。



 マインブレイカーに流す魔力を最大まで上げる。以前はこの状態を維持するだけで辛かった。それを長時間可能にしたのは、二年の間続けた素振り以外のなにものでもない。

 

 輝きを増したマインブレイカーを立てて八相に構える。これまでのオーガとの戦闘で、オーガは常に好戦的だった。

 ならば、こちらからの攻撃は捨てても構わない。駆け引きなどしなくても、向こうから突っ込んで来てくれるだろう。


 向かい合ったオーガは、両手を広げその大きな身体を低く構えた。


「ガッ!」


 短く吐き出すように息を吐き、そのまままっすぐに突進してきた。タックルか!?


 広げた両手からは、左右には逃がさない意思を感じる。後ろに退がっても、勢いのまま引き倒されてしまうだろう。剣の一撃をもらってでも、確実にこちらを捕まえるつもりか。


 横もダメ、後ろもダメなら残るは前だ!


「らァァァッ!」


 立てていた剣を寝かせて突きに転じる。真っ向から斬り付けても通用しないのは証明済だ。もうここにはゴブリンもいない。その突進力、利用させてもらうぞ!


 向かってくるオーガに対して、身体ごと突っ込むように剣を突き出す。剣先が輝きを増してオーガの正面へと向かう。狙うのは首元だ。


 オーガが迫り、切っ先が伸びる。怖ぇぇ! ……が、ここは度胸だ!


 だが、その切っ先を見てメスのオーガは目を見開き、広げた腕を畳んで腕の外側で受け流した。


 <ギャリリリリ>と剣が鳴り、必殺の突きは外側へと流れる。が、それは同時にオーガの側方が開けた事をも意味する。


 踏み込んだ足を蹴り出し、横っ飛びに突っ込んできたオーガを躱す。お互いが高速ですれ違い、腕を畳んだオーガも前方へと突っ込んで転がった。

 


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション!」


 すぐさま立ち上がり守護の魔法をかけると、オーガも立ち上がってこちらを見たところだった。


 オーガが横にじりっと動き、こちらもそれに合わせて向きを変える。そうやってお互いの呼吸を計りながらも考えていた。



 今のはなんだ? オーガが脅威に感じ、守りに転じたあの突き。確かに剣先が強く光った気がした。今までにそんな現象は見たこと無かった。


 八相に構えた剣を下段に下ろす。そして剣先を強く意識してみたが、変化は見られない。


「グルァッ!」


 だが、その動きにオーガは敏感に反応した。地面を蹴って間合いが詰まる。くそ! ちょっとは考えさせやがれ!


 オーガは先ほどの突きを警戒したのか、一気に突っ込んでは来なかった。間合いに入ると足を止め、拳を固めて殴りかかってくる。


「うおぉぉぉぉ!」

「ガルゥラァァ!」

 

 襲いかかる拳を、のけぞって躱す。

 そこを下から狙い撃つ反対の拳を剣で振り払う。

 剣が動いた隙を前蹴りが襲い、横に跳んで避ける。

 伸びた足を斬り下ろす剣がヒザで弾かれる。


 応酬される攻撃に、剣戟の音が尾根に鳴り響く。


 それは、自分でも未だ経験した事のない速さでの攻防だった。



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