温泉鬼行:差し水



 こちらの仕草を見たオーガの赤い目がギラリと光る。縮めたバネが反発するように、低く構えていた身体が弾けた。



 攻撃のタイミングを計っていたのはお互い様だったか!


 だが、この距離ならまだ迎え撃てる。放していた手で柄を握り、大上段に剣を振り構えた。

 

 土煙を残したただの一歩で半分の距離を詰められる。次の一歩でさらに加速して、オーガの姿がぶれた。

 だが見える、正面からの加速、それに上りでほんの少し速度が落ちたか。


「くっ!」


 見えたところで、その場に突っ立っていればゴブリンの二の舞だ。跳び退きながらも、上段に構えた剣を振り降ろした。


 <ガキッ>

 オーガの蹴り出した足と振り下ろしたマインブレイカーが激突して、肉体を斬ったとは思えない硬質な音が響く。

 その直後に<ブワッ>と蹴りの風圧が通過した。当たったら死ぬな、これは。


 剣が足に当たったのは、そこまで見えていたわけではない。ほとんどが勘だった。さっきゴブリンに突撃した際の初撃が右足の前蹴りだったから、同じ攻撃がくる可能性にかけていた。外れても牽制にはなる。


「グルァ!」


 足に剣を受けたオーガに動揺は見られない。それもそのはず、剣は体表を覆う硬質な皮膚に少し食い込んだだけで、傷らしい傷はつけられていないからだ。

 たっぷり魔力を込めたマインブレイカーの上段からの切り下ろしが、だ。勘弁してほしい。まるで丸太にでも斬りかかったような感触だ。


 殺意しか感じられないオーガと、至近距離で一瞬視線が交錯する。相手は上背があるので、今度はこちらが見上げる形だ。


 だけど、それは一瞬。次の間など置かず、オーガは蹴り出した足を次撃に備えて踏み込んだ。その足には、剣が喰い込んだままだ。

 動きに引っ張られて上体が持っていかれる。そのままでは体勢が崩れてしまうが、動きに逆らわず引っ張られるままに飛び込んだ。


 その頭上を、豪腕が唸りを上げて通過する。


 あっぶねぇ。相手の上背の高さに助けられた。飛び込んだ勢いのまま前転し、すぐさま膝をついて身体を起こした。

 その眼前にあるオーガの側面が、くるりと向きを変えつつ反対側の足が上がっているのが見えた。


 回し蹴りだと!?


 剣を斜に立てながら義足を蹴って、オーガの身体に接近する。


「ぐはッ」


 ガツンとした衝撃が剣を襲い、そのまま吹き飛ばされてゴロゴロと地面を転がる。


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション!」


 手をついて起き上がり様、すぐに一撃で吹き飛ばされた守護プロテクションをかけ直した。これだけで済んだのは、回し蹴りの回転の中心に近い位置で受けたからだ。蹴られた、というよりは巻き込まれた、に近い。


 それなのに一撃で守護の魔術が打ち消されるこの威力。まともに受ける選択肢は無いな。


 オーガは回し蹴りでくるりと回った後、吹き飛んで転がったこちらの位置を確認した。お互いの視線がぶつかり合い、一時の静けさが場を支配した。



 だが、静かなのは場だけだ。一息の攻防で心臓がバクバクいってうるさい。


 静かに息を吐いて、暴れる心臓を抑えつける。


 オーガも一連の攻撃で仕留められなかったのが意外だったのか、こちらを値踏みするかのように睨みつけてきた。

 それについては同感だが、そんな心の内を見せられはしない。気持ちだけでも負けないように、キッと睨み返した。


「ガァァッ!」

 

 睨み合いも束の間、オーガは一声吼えると、再び突撃してきた。


 蹴っても殴っても仕留めきれず業を煮やしたのか、今度は突撃から腕を突き出して、こちらを掴みにかかってくる。大きくごっつい手に鋭い爪。捕まれば潰されるか切り裂かれるか、どちらにせよ終わりだろう。


 ただし、それは捕まればの話。相手に指を差し出すなんてナメすぎだ! しかも掴みかかろうとする動作では先ほどのような速さはない。


「せぁっ!」

 

 剣から片手を放し、腰の短剣を抜き打ちで迫る手の平に向けて斬りかかった。手なんて関節の塊だ。内側まで硬い皮膚で覆われていたら動くはずがない。ここは攻撃力よりも、疾さを優先して短剣で迎え撃った。


 それなのに、手の平を狙われたオーガはとっさに手を握って手の甲で短剣を受けた。くそっ、反応が速すぎる!


 <カキン>と、軽い音を立てて短剣が弾かれる。人間で言えば、手の甲だって弱い所だ。だが短剣程度では、オーガの手の甲の皮膚をどうこうはできそうにもない。


 それでも、目の前には内側にたたまれたごっつい腕がある。これは戦果だ。


 すぐさま短剣から手を放しつつ、交差した片手で持っていたマインブレイカーを目の前の腕に向けて斬り上げた。


「うらぁぁぁーーー!!」


 立ち上がりつつも、踏ん張る義足への魔力を止める。しなやかさを失った義足は、斬撃の力を逃がす事なく剣の力を伝えた。並列思考が良い仕事をしてくれる。


 さらに放していた片方の手も添えて、巻き込むように切り上げる。


 その腕、よこしやがれ!!



 <ギャィン>と音がして、剣にかかる重さが消えた。背中越しに見えるオーガの腕は…… 健在だった。跳ね上げられてはいるものの、しっかりとくっついている。

 

 これで斬れないとか…… ほんと勘弁してくれ。



 だが、さすがに無傷とはいかなかったようで、腕の内側には切り傷がついて血が流れている。

 それに何より、目の前の腕は跳ね上げられて、胴体が無防備な姿を晒していた。このチャンス、逃してなるものか!


「せらぁッッッ!!」


 巻き込む様に振り切っていた剣を、その反動のままもう一度振り返す。胸板も、腹筋も硬そうで斬れる気はしない。しかしその硬い皮膚には切れ目がある。そうでなければ動けるはずがない。


 斬れないのなら突くのみだ! 狙いの正確さには定評がある。その隙間に切っ先を突き入れてやる!



 だが、その振り返した剣を突きに転じようとしたその時、オーガの見せた隙に人間でもない、オーガでもない者が間に割り込んできた。


「グギャギャー!」


 木の槍を身体ごとオーガに突き立てる緑色の肌。ホブゴブリン!? まだいたのか!


 魔力を全力で流したマインブレイカーでさえ通用しないのだ。木の槍など爪楊枝みたいな物だろう。それでも全力で突き立てるゴブリンの目からは、もはや正気の色は見えない。


 仲間を殺された怒りか、恐怖で錯乱でもしたか、それはわからない。

 いずれにせよ、突き出したマインブレイカーはもう止まらなかった。


「ギャッ」


 オーガに重なるホブゴブリンを貫いて、突きの速度が落ちる。狙いも逸れた切っ先は、オーガの硬い皮膚に阻まれて<ガチン>と音を立てた。



 突きを受け止めたオーガの口の両端が吊り上がる。こいつ、笑いやがった。


 そのまま攻撃してくるか、と身構えたが、オーガはホブゴブリンが倒れ込むより早く後ろに跳んだ。間合いが大きく広がる。そこで腕の傷を確認してぺろりと舐めた。唾でも付けときゃ治るとでも言いたいのか。


 それで満足したのか腕を降ろし、もう一度さらに大きく後ろに跳んだ。


 あ、これはマズイ動きだ。この遠すぎる間合い、戦う距離じゃない。退く気か?


「待て!」


 せっかく良いところまで戦えていたのに、ここで逃がす手はない。剣を担いで距離を詰めるが、オーガはそれを見てくるりと背を向けて走り出した。


 だめだ、速度が違い過ぎる。あっというまに遠ざかる背中は、義足でなくても追いつけないだろう。

 姿が見えなくなる前に、オーガはちらりとこちらを振り向いて、もう一度笑いやがった。


 追って来いとでもいうつもりなのだろうか。


 走る足をゆるめて、速度を落として立ち止まった。これ以上は深追いだろう。もう姿が見えないのを確認して、振り返って周囲を確認する。


 辺りにはもうゴブリンの姿もない。元通りの、風の音だけが騒めく静かな森が広がっていた。



「すまん、逃がした」


 隠れていた茂みに戻ると、ウルゾンもメットも逃げる事なくそのままの位置にいた。戦闘自体はあっという間だったし、逃げる間もなかったのだろう。


「あ、ああ。これからどうするんだ?」

「今日はもう引き返そう。このまま追えば、おそらく二体で待ち構えているはずだ。そこに突っ込むのは避けたい」


 その言葉に二人ともほっとした表情を見せた。もし、このまま追うにしても、これ以上二人に案内を頼みはしないだろう。それでもオーガを見た後では、二人きりでは帰りたくないのかもしれないな。


 湧き水からここまでは道などなかったので、場所がはっきりとはわからない。二人に先に行ってもらうと、ウルゾンのズボンがぐっしょり濡れていた。


 それを馬鹿になんてできない。オーガとにらみ合った時は、自分だってちびりそうだった。



 泉に置いてきた荷物を拾って、村へと戻る道を進む。誰も口を開かない。重い雰囲気を一行が包んでいた。やっぱりあそこで仕留めてほしかったんだろうなぁ。確かに逃がしたのは痛すぎる。


 いや、申し訳ないとは思うけど、あのホブゴブリンは予想できなかった。オーガに集中しすぎて周りが見えていなかった。それほどギリギリだったのだ。


 だけど、始めに思ったより全然戦えた。あのパワーとスピードを見た後では、あそこまで善戦できるとは正直思っていなかった。


 善戦できた理由、それはオーガが人の形をしていたからだ。どんな相手と戦う時でも、筋肉や関節の動きで次の動きを予測する。それが慣れ親しんだ人の形となれば、その予測はほんの数瞬でも早く、正確になる。

 あの速さでその数瞬の差は大きい。おかげで速さで上回られていても対応できた。


 そうなれば訓練してきた剣術も身体を動かしてくれる。一撃もらえば終わりというのなら、王都の師範の一撃だってそうだった。


 何本も何本も何本も骨を折りながらやった稽古は、3年経った今でも脳裏にも身体にも焼き付いている。思い出しても変な汗が出てくる。

 一人で剣を振るときも、常にイメージして身体に染み込ませてきたのだ。……あれが無駄にならなくて本当によかった。


 おかげで一対一ならなんとか戦えそうな雰囲気ではある。結局はギルドのランク付けは正確だったという事なのか。ちょっと癪だが。

 あとはなんとか二対一にならない策でもあれば、温泉……いや、依頼をあきらめずに済む可能性も出てきた。



 実際に見たオーガを思い出しながら、なにか作戦はないものかと頭を悩ませて山道を歩く。


 だからこそ気がつかなかった。二人の狩人が自分を見る目がどんなものだったのかを。



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