温泉鬼行:招待



「ギャッギャッギャ」

「ゲゲー!」


 賑やかなゴブリンの食事は続く。ゴブリンの食事風景をまじまじと見たのは初めてだ。


 解体の腕はなかなかのもので、内臓もちゃんと分けている。その中でも食べれそうな内臓は、ホブゴブリンが真っ先にかじっていた。生のままだが、ゴブリンが食中毒になる姿は想像できない。あいつらも野生の獣みたいなものだし、心配してやる義理もないが。


 血抜きもされていない肉を生のままかじりつき、口元を赤く染めながらもゴブリンたちは楽しそうだ。

 集落を形成するゴブリンは火を使うが、火を起こして肉を焼く様子は見られない。二匹のホブゴブリンが偉そうに座り、持ってこられた肉を食べている。小さいゴブリンは、骨の周りに残った肉にかじりついていた。上下関係厳しそうだなぁ。


 

 ……なんて事を考えてはみるが、特にゴブリンの生態についてそれほど興味があるわけではない。たたじっと眺めていて、ついつい観察してしまっただけだ。そんな考えが浮かんでしまうほどに、何も起こらない。


 広い山と森の中だ。このまま何も起こらないのだってありえるか……


 そんな考えが頭をよぎり始めた頃だった。騒ぎが不意にピタリと止んだ。ゴブリンたちが武器を持って立ち上がり、きょろきょろと周囲をうかがい始める。

 森の空気が徐々に張り詰めていくのがわかる。これは……来たかな。ようやくお出ましか。どこにいるかまだわからないが。


 ゴブリンが静まりかえった森に、風が木を揺らす音だけが騒めく。緊張が喉を乾かした。

 そのままじっと息を詰めていると、隣に潜むメットが黙って森の一点を指差した。


 その指の先、離れた距離からでもわかった。少し小高くなった崖の上からゴブリンたちを見下ろす真っ赤な目。額から突き出た角はねじれ、兜のように頭部を守っている。茶色がかった体表は、硬質化した皮膚が覆いまるで鎧だ。そしてその上からでもわかる、あきらかに発達した筋肉。


 あれがオーガか。


「グギャ……」


 ホブゴブリンがオーガを見つけて後ずさった。その気持ち、わかる。


 身体の大きさはオークよりも少し大きい程度。魔物としてはそれほど大きな部類には入らないだろう。それでも、周囲一帯を張り付かせる威圧感は、オークなどとは比べものにもならない。


 オーガはその場で拳を握り、天を仰いだ。


「ガアアアァァァーーーー!!!」


 怒りに満ちた雄叫びが上がり、ゴブリンたちが動きを止める。次の瞬間、オーガの姿がぶれた。


<ドッ>

 鈍い音がして、一匹のゴブリンが木に激突してへし折れる。木は揺れているが無事だ。へし折れたのはゴブリンのほうだ。


 遠目だからこそ、なんとか視認できた。オーガは両足で地面を蹴って、身体をロケットのように発射させたのだ。

 崖の上からわずかに数度地面に接地するだけの加速をして、瞬く間もなくゴブリンの元へ到着した。そしてその勢いのまま蹴り飛ばしたのだ。


 それから一息の間もなく、不運にも近くにいた一匹が今度は殴り飛ばされた。殴られたゴブリンは吹き飛び、地面で2度バウンドし、そこから糸の切れた人形のように力を失って転がっていく。



 なんて速さ、なんて力だ。あれと戦うの? 馬鹿なの?


 よし、帰ろう。温泉は惜しいが、責任は全てあれをCランクに分類したヤツが負うべきだ。


 『やっぱり馬鹿だよ、アジフは』ゼチスのあきれた顔が浮かんでくるが、余計なお世話だ。冒険者なんて似たり寄ったりだろうが!


 脳裏のゼチスに突っ込みを入れているうちに、杖を構えたゴブリンが宙に舞い上がった。飛行フライの魔術なら凄いのだが、蹴り上げられただけだ。


 打ちあがる仲間をゴブリンたちは呆然と目で追う。やがて落下に転じると共に視線は下がり、落ちてきたゴブリンは地面に<グチャ>と音を立てて衝突した。


「ギャギャギャ-!」

「グギャー!」

「ゲギャロー!」


 そのタイミングでゴブリンたちはようやく再起動し、散り散りになって逃げ出した。


「ガルゥラァ!」


 逃がさないとその後を追って、さらに一匹のゴブリンが踏み潰されて地面に血をぶちまけた。あまりに一方的な暴力でしかない。

 そしてそのままオーガが振り返ると、そこにはホブゴブリンが固まっていた。


 一歩、オーガがゆっくりと足を踏み入れると、ホブゴブリンが後ずさり、地面にへたり込んだ。そこから必死に地面を這って後ずさる。その様子をみっともないなんて言えるものか。


 だが、オーガがそのホブゴブリンに向かおうとした時、風を切って一本の矢が飛来した。オーガはそれを虫でも払うように軽く弾く。

 ギロリ、とオーガが矢の飛来した方向を見ると、ホブゴブリンのアーチャーが矢を放った体勢のままオーガの視線に動けないでいた。


 仲間を救おうと逃げずに踏みとどまり、危険を承知で矢を放ったのか。ホブゴブリンアーチャー、お前、勇者だよ。


 攻撃してきたアーチャーの方が危険度が高いと判断したのか、オーガはアーチャーの元へと駆ける。そして放った裏拳により、ホブゴブリンの勇者の首はちぎれて宙を飛んだ。


 ゆっくりと倒れるホブゴブリンを尻目に、オーガは身体の向きを変える。そして次に視線を向けたのは…… こちらだった。


 うわぁ、ばっちり目が合っちゃったよ。


 茂みに潜って隠れていたはずだった。それなりに距離もある。それなのに、どうやらお見通しだったようだ。睨みつける視線からは、逃がす気はこれっぽっちもないように見える。


 やるしかないのか…… 幸いにも見える限り、オーガの姿は一体しかない。このまま隠れていてもじり貧だ。時間を置いてあんなのがもう一体来たらたまらない。


 逃げるにしろ、戦うにしろ、この機会を逃す手はないか。 



 覚悟を決めて、茂みから音を立てて立ち上がった。この距離で見つかっては奇襲も何もあったもんじゃない。


「お、おい」

「隙を見て逃げてくれ」


 そう口にしたが、二人から返事は無い。わかるよ。下手に動いただけで死にそうな空気だからな。


 こちらが姿を見せると、オーガは逃げるゴブリンたちを無視してこちらに視線を固定した。どうやらご指名のようだ。


 距離を置いて一対一でにらみ合う態勢になった。できるだけ隠れていた茂みから距離をとらなければならない。地形はこちらの位置が上だ。さすがに先ほどのような爆発的な加速は、いくらかでも抑えられるだろう。


 開戦を遅らせるべく、刺激しないようにゆっくりと坂を下る。


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション」


 全身を光が包み、光属性を強化された鎧が光を放つ。さらにマインブレイカーに魔力を流せば、剣身も光を放ちもうピッカピカだ。日光が遮られた森に光る剣士。その強烈な違和感にオーガは警戒を強め、低く構えた。


 そうだよなぁ、これはないよなぁ。自分でも思う。普段の戦闘でプロテクションを軽々しく使えない理由がこれだ。確かに鎧によって強化されたプロテクションは強力だが、これでは目立ちすぎる。

 それに、もし誰かに見られたら恥ずかしい。今はそんな事をいっている場合ではないが。



 茂みから離れ、もうこれ以上近づくのは危険、そんな距離まで近づいてもオーガはまだ動かなかった。ヤツの脚力なら、二息もあれば届くだろう距離だ。


 強いくせに慎重なヤツだ。やりづらいったらありゃしない。光る物体に自分から突っ込みたくないのかもしれないが、こちらにしてみれば完全に届かない距離。いつ攻撃されるか相手に委ねてしまっている。かといってこれ以上近づけば、あの速さだ。完全に後手に回ってしまう。


 来ないのなら退いてくれればいいのだが、縄張りに入り込んだのがこちらである以上そう簡単に退いてくれるはずもない。仕方がない。やりたくもないが、ここは一つ挑発でもしてもみるか。



 地形はこちらの位置がやや上。オーガの背が高いとはいえ、まだこちらの方が高い。そこで足を止め剣を上段に担ぎ、片手を放す。


 その体勢のままオーガを見下ろし、来るならそっちから来てくれと、そっと、弱々しく、手招きをしてみた。



 ホントはかかって来てなどほしくない。

 だが、残念ながらその弱々しい挑発の効果はてきめんだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る