温泉鬼行:紅葉
「あの山と山の間、あそこから始まるのがジデルル谷だ」
背の低いがっしりとした男、メットが木々の間から見えるまだ距離のある山を指さした。ひげでも生えてればドワーフに見えなくもない姿だが、森を歩く動作は機敏だ。
指さされた山には、ぽつぽつと葉の色づいた木が見える。標高の高い場所では、冬に葉を落とす木もあるようだ。
紅葉、温泉、雰囲気出てきたじゃないか。
さすがに移動の疲れもあったので、ニンドル村で一日を休養に充てた後、その翌日から行動を開始した。
村を朝に出てからここまで歩いてきて、まだ昼までは間がある。体感では三時間ほど歩いただろうか。ジデルル谷まではもう少しありそうだし、馬も通れない山道はそれなりに遠い。だが、村がオーガ二体に襲われれば壊滅は必至だ。その脅威を考えればあまりにも近い距離感とも言える。
「この辺りから先は急に魔物が減る。おっかなくてこの半年は足を踏み入れてねぇ。先頭を代わってくれ」
「わかった。後ろから案内してくれ」
細身の男、ウルゾンが後ろに退がる。村長によれば弓の腕はいいそうだが、どうだろうか。レベルやステータスの恩恵があっても、レベルを上げる為にはそれなり以上に矢を射なければならない。その過程は体付きを見ればわかるものだ。
道中で後ろから見る限り、利き腕であろう右手がわずかに太い。けれどそれは村人として違和感のない範囲だ。筋肉の付き方は個人差があるとはいえ、その程度では頼りにはならないだろう。
先頭で歩く森の様子はいたって静かだった。鳥の声と風の音くらいしか聞こえない。
「兎が増えているな」
「鹿もだ。若い葉が残ってねぇ」
だが、狩人には森の変化がわかるらしい。オーガが縄張りを張っているので、他の魔物が近寄って来ない。そこに獣たちが入り込んだのか、増えたのか。
確かに、オーガも獣を狩るのだろう。だが、オーガ二体が食べる量が、減った魔物たちが狩る量を上回るとは思えない。
狩られる側からすれば、オーガがいても他の魔物がいない分安全なのかもしれない。オーガにとっても、縄張り内の獲物が増えるのはありがたいはずだ。不平等とはいえ、共生関係と言えるかもしれないな。
「この先に湧き水がある。そこで昼メシにしようぜ」
さらにしばらく進むと、メットが提案してきた。ちょっと早いがそれについては異論はなかった。この先どこで食事が取れるかわかったものではないからだ。
案内された先には、岩の割れ目から清水が湧き出ていた。手ですくい受けてごくりと飲む
―うまい
ほのかに甘みさえ感じてしまう。続けてごくごくと飲み干した。生活魔法で出す水と比べれば天と地ほどの差がある。
二人が水筒に水を汲む。生活魔法が使えるので、水筒は持ち歩いていない。あるのはコップだけだ。この時ばかりは二人がうらやましかった。
湧き水を三人で囲んで腰を下ろし、それぞれに携帯していた食料をかじる。オーガの縄張りで火を使うわけにはいかないので、持ってきた食料をそのまま食べるしかない。
「しけたメシだよなぁ」
「しかたねぇだろ。文句言うな」
二人はぶつくさ言っているが、今日の携帯食料はそう悪いものでもなかった。村で手に入れた干し芋と干した赤い果物だ。干し芋は完全に乾燥はしておらず、しっとりとした食感がある。それに果物の甘味もありがたい。
美味しい水と相まって満足できる食事だったが、村に住む二人からしてみれば食べ飽きているのかもしれない。
「しっ!」
口の中で干し芋をもぐもぐとやっていると、メットが口に指をあてた。
静かに、というこのゼスチャーはどこに行っても変わらないな。
仕草に場違いな感想を抱いていると、すぐに意味がわかった。遠くで<タタッ>っと音がしたのだ。
続けて<タタタッ>と音がする。何かの足音だ。それも複数の。多分……
「鹿だ。追われているな」
ウルゾンが森に目をこらしながら言う。遠目に見ても森にまぎれ、動く姿は見つけられない。
「どうする?」
「やりすごすしかないな」
二人とも緊張した面持ちでうなずいた。追っているのがオーガだとすれば、様子を見ない手はない。だが、安易に姿をさらすのは危険だ。ここは慎重に行動しなければならない。
三人ともが姿勢を低くし、茂みの隙間から音のする方向を見つめた。
「ピィーー!」
甲高い鳴き声がして、徐々に弱くなっていく。その鳴き声で一頭が仕留められたのだとわかった。しかし足音は止まらず、こちらに近づいてくる。
<ダダダッ>と足音が続き、灰色の鹿の群れが離れた場所を通過していくのが見えた。
「見たか?」
「見た。矢が刺さっていたな」
そう、確かに群れの中の一頭に矢が刺さっていた。オーガが弓を使うなんて聞いた事がない。矢自体も普通の大きさに見えた。
「オーガじゃないかも」
「見に行くか」
三人で顔を合わせてうなずき合う。ここでじっとしていても何も変わらない。荷物を湧き水の近くに置いて、武器を手に森の中へと入り込んだ。
姿勢を低くしたまま、木から木へ。茂みから茂みへと身を隠して、音のした方へと近づいて行く。
さすがに狩人だけあって、二人とも慣れたものだ。だが、身につけたハーフプレートメイルがときおりカチャカチャと音を立てる。エルフ製のこの鎧は、普通の金属鎧に比べれば格段に静かだ。それでも、静かな森に響く金属音は、わずかでも響くものだ。
「なんとかならねぇのか?」
「ならん」
メットが身体を寄せて小声で苦情を言うが、無理なものは無理だ。音が鳴る度に二人は顔をしかめた。そんな事言ったってしょうがないだろ。
「ギャギャ! ガラ!」
「グギャラー」
しかし、すぐにそんなわずかな音が気にならない騒ぎが聞こえてきた。この声は…… ゴブリンか? 先を行くウルゾンが指をさして方向を示す。這うように近づいてのぞき込むと、やはり何匹ものゴブリンが倒れた鹿を囲んでいた。
「グギャギャ-!」
ゴブリンたちは獲物を捕らえてご機嫌なようだ。こちらに気付く気配はまったくない。ナイフらしき道具で鹿の皮を剥ごうとしていた。
見えている数は……8匹か。一際身体の大きいのはホブゴブリンだ。二匹いて、そのうちの一匹は弓を持っている。ホブゴブリンのアーチャーか。めんどくさいな。
他にも弓を持ったのが一匹。杖を持っているのまでいやがる。めんどくささ倍増だ。
「どうする?」
「ちょうどいい。様子を見よう」
こそこそと耳を寄せ合って相談する。これはチャンスかもしれない。オーガに限らずだが、別の種類の魔物を従えるなんて話は聞いた事がない。このゴブリンの集団はおそらく他所から来た”流れ”だろう。集落を持たず移動して暮らす集団だ。
そうでなければオーガの縄張りに無用心に入り込むわけがない。獲物を追って入り込んでしまったのか、もしくは獲物の多さに誘われたか。
オーガの縄張りで賑やかに狩りをする様子は、こちらから見れば地雷原で踊りでも踊っている様にしか見えない。上手くすれば、オーガを呼び寄せる撒き餌になってくれるかもしれない。
ただし、もしゴブリン共に見つかれば、派手な戦闘になりそうだ。杖を持っているのはマジシャンだろう。魔法でも使われれば、今度はこちらが地雷原にご招待となる。
どちらにせよ、危険な状況に変わりはない。今は下手に動くのはよくないだろう。茂みに伏せたまま、じっと様子を見続けた。
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