遠路



 遠くに見える山はすっかり白く染まっている。


 つづら折りの峠を越え、渓流が白波を立てる谷をくぐった。


 いくつ目かの森を抜けると、湿原をさけて街道が曲がっているのが見えた。少しづつの登り坂が続くうちに気温が下がってきた気がする。湿原には季節に急かされるように青い花が咲いていた。


 最後の村を出発してから、今日が二日目……


「遠すぎだろ!!」


 湿原に声が響く。青い花がキレイ? 魔物に気付かれる? 知ったことか!


 一人で叫びたくもなる。デロスロを出てから、今日で一週間。馬で一週間かかるって話だったが、間もなく日が暮れようという時間になっても、村どころか人の気配の一つもありゃしない。


 はい、野宿。今日も野宿決定。


 最後の村まではまだよかった。所々に集落もあって、一晩の屋根を借りる事もできた。いくばくかのお金で夕飯を分けてもらい、お礼にと、これまでの冒険の話をすれば盛り上がってお酒が出たりもした。

 暖炉の火に揺られながら旅の話をし、子供たちは夜更かしを怒られながらも目を輝かせて聞き耳を立てる。

 朝になって出発する時には『帰りも寄ってねー!』と手を振られ、一人旅もいいもんだと思ったりもしていた。


 だが、


 誰にも会わないまま、自然の中をひたすら進んでまるっと二日。いい加減変化が欲しい頃合いに、変わったのは出現する魔物の種類ぐらい。

 途中に分かれ道の一つでもあれば『あれ? 道間違えたかな?』とか思えそうなものだが、ひたすら一本道が続くばかり。

 ニンドル村の目印と聞いた巨岩は、誰が見ても一目でわかるらしい。


 影も形もないんだが?


 なんだってこれほど離れた場所に住もうと思ったのか、着いたらまずそれを問いただしたい。

 愚痴の一つも言いたいところだが、聞いてくれるのはムルゼくらいなものだ。


「ブルッ」


 いや、聞き流すのは馬の得意技だったか。


「はぁ」


 ため息を一つついて、野営に適した場所を探した。街道から離れたくないところだが、湿原の近くは魔物が多く、夜を過ごすには向いていない。


 迫る日暮れに早足を進めると、湿原から離れた頃に、おあつらえ向きの広場があった。周囲の茂みの背は低く、よく見れば古いが火を焚いた形跡がある。どうやら野営場所として使われているようだ。


 ありがたいが、同時にまだ村までは距離がある証拠でもある。村が近ければ野営の必要はないからだ。

 枯れ枝を集めてたき火を起こし、湯を沸かす間にマインブレイカーを振るって周囲の伸びた茂みを切り払った。


 剣でやる必要はないのだが、ずっと馬の背に揺られていたので、身体をほぐしたかったのだ。刈り取った茂みは周囲に寄せておけば、即席の警戒網にもなる。


 視界を遮りそうな枝葉を打ち払った頃には、すっかりお湯が沸いていた。塩味のついた干し肉と乾燥野菜を放り込めば、簡単スープになる。割と味もしっかり出る。


 だが、食べ飽きた。


 道中に現れた、やたら背の低い槍を持ったコボルト亜種も、地面に穴を掘って待ち伏せていた大きな蜘蛛も、食べる気にはならなかった。


 黒パンをスープにつけてかじっていると、蜘蛛の足ならひょっとして食べれたんじゃないかと、妙な気分にさえなってくる。


 食事を終えると、焚き火を最小限まで小さくした。辺りを暗闇が包むが、一人なら暗視スキルがあるので明かりは必要ない。装備を緩める事もできず、抜き身のマインブレイカーを抱えて軽く目を閉じた。

 深く眠るわけにはいかないが、休まなければ疲れて動けなくなる。風に草木が揺られる音を聞きながら、近くの気配のみを探っていく。


 こんな夜が二日目ともなれば、疲れも溜まってくる。明日こそはたどり着くのだろうか? ぼんやりして分かれ道を見落としていないだろうか? 一人過ごす暗闇に不安な気持ちも押し寄せてくるが、道があるからにはどこかに続いているはずなのだ。信じて進むしかない。


 暗闇に身を潜めて呼吸を繰り返していると、背後でムルゼが身じろぎをした。直後に<カサリ>と刈り取って積み上げた茂みが音を立てる。隙間なく積み上げたおかげだ。


 座ったまま振り向くと、シャドウスパイダーぐらいの大きさの蜘蛛が今まさに茂みを越えようとしていた。身体にまとう毒々しい紫の模様はポイズンスパイダーかな? 蜘蛛系の亜種は種類が多くて区別が難しい。


 マインブレイカーの柄を掴んで魔力を流すと、剣身が薄く光りを放った。その光でこちらの警戒を感じ取ったのか、蜘蛛が動きを止める。そのまましばらく頭部に並んだ目と見つめ合った。


 くるならきやがれ、と思ったが、蜘蛛はあきらめたのか、引き返して暗闇の中へと消えていった。


 その姿を見て確信する。やっぱりあれを食べるとかないわ。再び目を閉じて、夜の闇に身を浸した。

 


 <ヒュオゥ>

 夜も半ばを過ぎた頃だろうか。それまでと違う風の音に目を開けた。風向きが変わり、勢いを増した風に焚き火が明滅している。やれやれこれは一雨来そうだ。


 背負い袋の口を閉じ、マントのフードを深く被った。そうしている間にも、<ポツリ>と雨粒が落ちてくる。


 雨粒が焚き火に落ちて<ジュッ>と、音を立てる。マントのフードを叩く雨音が耳に大きく響き、これでは魔物の気配など感じられない。相手からも見つかりにくいのでお互い様だが。


 雨宿りでもできる場所があればいいのだが、雨の夜に下手に動くべきではない。手を濡らさないようにマントの内側へと抱え込み、じっと雨が通り過ぎるのを待った。


 秋の雨は冷たく身に染みる。ムルゼも地面に座り込んで、雨を耐える様子だ。離れた湿原から、低く大きな鳴き声が聞こえてきた。フロッグ系の魔物だろうか。冷たい雨の中元気なことだ。

 こちらに来ないように祈りながら雨を耐え忍ぶ。朝までには上がってくれるといいのだが。

 

 祈りが通じたのかはわからない。それでも魔物が襲ってくることもなく、空が白む頃には雨は勢いを無くした。日が昇る頃には青空もちらほらと顔をのぞかせていた。


「さて、行くか」


 立ち上がると、マントを伝って水がしたたり落ちる。袋から黒パンを出して、ムルゼに馬具を装着した。


 地面が濡れてしまっているので、火を起こして朝食とはいかない。背にまたがると、ムルゼは身体を震わせる。雨で冷えたからかな、早く動きたいように見える。


「やッ」


 合図をして出発し、黒パンを口にくわえた。安心な事に、遅刻する予定もなければ、女の子とぶつかる曲がり角も無い。心置きなく硬いパンをかじれるというものだ。


 雨に濡れた街道は、轍がぬかるんで通り辛い。轍があるという事は、馬車の往来があるのだろう。だがこの二日……いや、三日目だが。馬車どころか人にすら会っていない。


 確かに魔物はそこそこ見るが、それだって異常というほどではない。スエルブルの周辺に比べれば少ないだろう。それなりの備えがあれば問題はないだろうし、普段からこの道を使っているなら備えがないはずがない。


 まさか街道にオーガが現れたりしないだろうな? ジデルル谷の場所は聞いていないが、相手は魔物。同じ場所でじっと待っているはずがない。ニンドル村まで現れないと思うのは早計か。


 警戒を一段階上げて、少しペースを落とした。


 ペースを落とされてやや不満気なムルゼをなだめつつ街道を進むと、昼前になろうかという頃に、前方の林から何かが街道へ飛び出して来るのが見えた。人型のシルエット、2mは越えるであろう大きさ。オーガか!?


 とっさに背中の剣に手を回し、ムルゼから飛び降りた。ぬかるんだ足元に義足を滑らし、バランスを崩す。ふんばりの利かない足元は義足と相性が悪い。


「ちっ」


 戦うに不利な状況に舌打ちが出る。手をついて転倒を回避し、顔を上げて相手を見据えた。相手もこちらを見つけて振り返る。突き出た腹、短い足、その姿は……


「フガッ」


 オークかよ!


 獲物を見つけたとばかりにこちらに走ってくるオーク。拍子抜けしてしまったが、相手は魔物、気は抜けない。それにせっかくのお肉だ。今日の昼食になってもらおう。


 棍棒も持たず殴りかかってきた手を斬り落とし、返す刃を低く足を斬り払った。足を失い前に倒れたオークの首へ背中から剣を突き立てると、ビクリと身体を震わせて動かなくなった。脅かしやがって。


 時間をかけず、食べるところだけを切り分けてあとは森のスライムにおまかせだ。運が悪ければ他の魔物のエサになってしまうかもしれないが、今は先を急ぎたい。



 日は既に中天に近いが、まだ村に近付いた様子はない。腹も空腹を訴えていたので、適当な広場で火を起こし、切り分けたオークを串に刺して焼いて食べる。

数日ぶりの新鮮な食材を食べ終えて、思った事はただ一つ。


「いや、遠すぎだろ!!」


 それだけだった。


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