犬(後)



「交代だ」

「ああ、もうそんなに経ったか」


 夜の見張りをしていると、デムが来て交代を告げた。たき火を眺め考え事をしているうちに、思ったより時間が過ぎていたようだ。


 馬車の横に立てた寝床に入る。テントほどしっかりした物ではなく、上に布を張っただけの簡単な物だ。

 装備の紐を緩めて荷物を枕に丁度いいポジションを探す。落ち着いた所でマントにくるまると、すぐに眠気がやってきた。 




「ワンワンワンッ!」


 夜の闇に犬の鳴き声が響く。目を開けて身体を起こすと、キトデルとデムが戦闘態勢に入る姿が見えた。明かりに照らされて夜の闇に浮かび上がっているのは……ゴブリンか。


 念の為に起き上がって、鎧を締め直す。


「光よ、ライト!」


 追加の明かりを浮かべると、周囲はさらに明るくなった。ゴブリンは2……いや3匹。


「アジフ、馬車を頼む」

「わかった」


 キトデルが前を向いたまま声をかけてきた。ま、援護は必要無いだろうな。


 言っている間にも、キトデルは殴りかかってきた棍棒を剣で弾き、そのまま足で蹴り飛ばした。一匹が蹴られた間に襲ってきた一匹を、戻した剣が切り裂いた。


 うん、危なげない。起きてきたゼチスとレレンの前で剣を構える。馬車の中からロロイさんが何事かと顔をのぞかせた。大丈夫だって。


 だが、その時、犬がゴブリンの側方に回り込んだ。なんのつもりかと思ったが、そのまま森の奥に向けて激しく吠えかかる。何かいる? だとしたら


「! 危ない!!」


 声をかけたところで言葉が通じるはずもない。


「キャゥンッ」


 森の奥から飛来した矢が犬を貫く。犬は一声鳴いて、パタリと倒れた。アーチャーもいたのか! 当たり所がマズイ。首元から身体を貫いている。だが、いまなら助かるかもしれない。


「アジフ! 動くな!」


 駆け寄ろうとしたところで、ゼチスから声がかかって足を止めた。その判断は正しい。ゴブリンアーチャーがいるなら、護衛対象から離れる訳にはいかない。だが……


 焦れながら犬を見る。もはやピクピクと身体を震わせるのみだ。


「レット・リント・メイ・ムー ファイアーボール!」


 デルの火球ファイアーボールが矢の飛んできた方向の森へと飛んだ。その明かりに照らされてゴブリンアーチャーの姿が闇の中に浮かび上がる。

 当てずっぽうで放たれた火球は当たらなかったが、その姿を確認したゼッチが走って、逃げ出したアーチャーを背後から仕留めた。キトデルの方もすでに片付いている。


「メー・レイ……」


 すぐに犬に駆け寄って回復しようとしたが、詠唱の途中で肩に手を置かれて止められた。振り返ると、レレンが首を振っていた。


「もう助からないわ」


 そう、小さな身体に突き刺さった矢はあきらかに致命傷だった。もはやヒールでは助からないだろう。すぐに苦しげだった痙攣が止まり、目からは光が消えて動かなくなった。


「くッ」


 頭を持ち上げて、目をそっと閉じてやる。


「なんでだ、せっかく……!」


 わかっていても言わずにはいられない。せっかく助けた命だったのに。こんな事をしてほしかった訳じゃない。ただ生き延びてほしかっただけなのに


「この子も、助けてもらったからこそ、危険を私たちに知らせたかったんでしょうね」


 わかってる! 群れの、仲間の役に立とうとする本能だったのかもしれない。わかってる、でも


「生きて、くれればそれでよかったのに……」


 言わずにはいられないんだ


「アジフ、すまなかった」

「いいや、ゼチスのせいじゃない」


 足りなかった。覚悟が。この世界に染まった? 犬を連れるのもいいかも? 全然だ。全然足りないじゃないか、命の重さに対する覚悟が。


「まだ小さいのに、立派に吠えてくれたわ。今はその気持ちに感謝しましょう」


 レレンはもう動かないその犬をそっと持ち上げた。そうするのが当然なのだと。


 レレンも、デムも、キトデルも、ゼチスも、まだ若いこの犬だってそうだ。幼い頃から魂に刻まれた、命に対する覚悟がある。


 それなのに、自分はどうだ。気まぐれに治療しただけなのか? 『後はお前次第』だって? この犬の、この覚悟を見てもう一度同じ事が言えるのか?


「く、そッ!!」


 のどの奥から絞り出る、声とも言えない音に乗せてもう一度地面を叩きつけた。乗せるのは悲しさではない。申し訳なくて、悔しくて、自分が情けなかった。


「だからよせって言ったんだよ。さぁ、埋めてやろうぜ」

「あ、ああ、すまない。俺に…… 埋めさせてくれないか」

「そう…… まかせるわ」


 短剣を地面に突き立てて穴を掘ると、レレンからその犬の遺体を抱き渡してもらった。穴の中に横たわる灰色と黒のまだらな毛並みは、薄汚れていてお世辞にもキレイとは言えない。


「なぁ、ゼチス」

「なんだ」

「俺、またコイツみたいなヤツがいたら治すよ」


 土に埋めた上に木を切り出して簡単な墓標にした。その前で手を組んで冥福を祈ってからゼチスと話す。

 ゼチスはあきれた顔を見せたが、馬鹿にした様子はなかった。


「そうか…… いいと思うぜ。馬鹿だとは思うけどな」


 いや、馬鹿だとは思っているらしい。


「コイツはただ死んだんじゃない。生きる覚悟と価値を示した。その死を無駄になんてさせない」

「その度にまた同じ想いをするかもしれないんだぜ?」

「それでも、生きたいと願う命が救えるなら、助ける意味はある。そうコイツに教わった気がするんだ」


 手を解いて立ち上がった。こんな想いをしたから、辛い事があったからまた似たような機会があっても助けない。それじゃコイツがあまりにも報われない。

 この墓標に名前もない犬のおかげで、一人の司祭が犬に優しくなった。それぐらいの成果があってもいいじゃないか。


「ま、わかってるなら止めやしないけどな」


 やれやれ、とゼチスは肩をすくめた。


 この犬が示してくれた覚悟、それは『命をかけて生きる覚悟』なのだろう。仲間の為に危険を冒してでも脅威に対して吠えかかった。命を散らしてしまった今となっては、その行為が正しかったかどうかは問題ではない。その気持ちに応える事はできるのか、それだけの覚悟が自分にあるのかが問題なのだ。


 その答えは未だ見つからない。考えて答えの出る問題ではないのだろう。それでも、その命の有り様を胸に刻もうと思った。


「さぁ、明日もある。ちゃんと寝ておいてくれ」

「ああ、わかってる」


 寝不足でパーティを危険にさらすわけにはいかない。それなのに寝床に戻って目を閉じると、まだ小さい犬の姿が、鳴き声が浮かんできた。ただでさえ少ない記憶の、その姿を消さないように、胸の奥に焼き付けるように丸まって抱え込む。


 時折はじけるたき火の音が聞こえる。夜の風が木々を揺らす音も。一つの命が消えても、この世界は変わらない。


 けれど、自分だけなら変われるはずだ。それがせめてアイツが生きた証になるのなら。

 


 眠れない夜は長く続く。でも今はその時間がありがたい。それは、夜の闇がアイツの事を考えるためにくれた時間のように思えたからだった。


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