森の小径


 もやを抜けると、そこはいつも通りの何の変哲もない森だった。だが、結界の中と違いどことなく騒めいてにぎやかだ。慣れ親しんだ森の雰囲気に、それだけでなんだかほっとする。


「北の森は手強い魔物が多いから、森がまばらで襲われにくい順路でいくわ。最近は守護隊が行き来しているから、魔物も少ないといいのだけれど」


 メゼリルに再びムルゼに乗ってもらい、馬上から道案内を頼む。道といっても、やや歩きやすい獣道程度のものだ。だが、ナナゼ村での作業で往来があるおかげなのだろう。周囲とくらべて邪魔な枝葉があきらかに少なく、真新しく枝が払われていて馬で通るにも不便がない。


 

 ゴブリンが住み着いていた洞穴は、まだ村からそれほどは離れていない森の中でも浅いエリアだった。初めてまともに入る北の森の奥地は、意外にも魔物の姿は少ない。だが、油断はできない。強い魔物の縄張りでは、弱い魔物が少ないのはよくある事だからだ。


 そういう時は、縄張りの外は逆に弱い魔物が濃くなる。それは村のナナゼ村の周囲の森の状況とよく似ていた。エルフの守護隊が往来に使っているなら、強固な縄張りを持った魔物はいないとは思う。それでも他の魔物が流れ込んでくるのは十分に考えられるので油断はできない。


 警戒を切らさずに先頭を歩いていくと、木の幹に付けられた傷が目に入った。縄張りを示すマーキングだが、新しくはない。傷の付けられた高さからかなりの大きさだと思われる。


「マーダーベアか? 新しくはないな」


「そう言えばフィンゼさんが、来る途中に仕留めたって言ってたわよ」


 爪痕から推測したのだが、合っていたようだ。縄張りはその近辺で一番力の持ったモノが一番いい場所を主張する。ランクDのマーダーベアが仕留められたのなら、この辺りはそれ以上の魔物がいるとは考えにくい。


 予想通りそこからしばらくは魔物との遭遇は無く進んだのだが、しばらく行った先で手綱を引くムルゼの脚がピタリと止まった。


「メゼリル、退がってくれ」


「わかったわ。気を付けてね」


 ムルゼは訳もなく脚を止めたりしない。周囲を警戒すると、注意しなければ気付かないほどに、この辺りは静かな気がした。どうやら何かがいそうだ。

 ムルゼに乗ったままメゼリルには後退してもらい、急な襲撃にも逃げられるように距離をとってもらう。


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション」


 守りの魔法をかけて戦闘に備えるが、さっそく問題が発生した。昼間の工房で試した時は気にならなかったが、光属性強化されたプロテクションの光が、薄暗い森の中では思ったより強い。もともと隠れるには向かないプロテクションだが、これでは自己主張が強すぎる。せっかく地味な色に鎧を塗ってもらったのに、全然意味がない。


「ちっ」


 もうこうなったらこそこそしても仕方ないので、見通しのいい場所に身をさらして周囲を見渡した。


 次の瞬間、<ザッ>と茂みが揺れる音に振り返りながら剣を構えると、振り向きざまに魔物が爪を振り上げて襲って来ていた。


 構えた剣を持ち上げ、爪を受け止めると<ギャリッ>と嫌な音を立てる。そのまま体重をかけて押しつぶそうとする力を、後ろに引いた義足へ乗せてグッと支えた。


 魔物の大きさは3mはあるだろう。体重もかなりのものだ。だが、普段は硬すぎる義足は、魔物の重みがかかってもしっかりと大地を捉え、身体を支えて踏みとどまった。


「グルルル」


 唸る魔物とにらみ合いながら、力比べが続く。魔物の口には鋭く尖った極端に大きな2本の牙が生え、身体には緑と黒の縞模様。『サーベルタイガー』初見ではない。森で数回見た事がある。

 Dランクの魔物で、身体こそ変な色の虎模様だが、外観は虎よりもヒョウに近い。


 こんなのと剣一本で戦うなど、地球にいた頃なら自殺行為以外の何物でもないかもしれない。重みのかかる剣を下げれば、その鋭い牙で噛みつかれるだろう。かといって強引に剣で振り払うほどの力はない。


「光よ、ライト!」


「グルァッ」


 光球を出すと突如目の前に現れた光の玉に驚き、サーベルタイガーは後ろ脚で立ち上がり前脚を払って打ち消した。


「せいッ」


 ようやく軽くなった剣を振り払うと、前脚の皮膚が裂け少しの血が流れる。なかなか丈夫な皮をしているようだ。

 お互いの距離が離れ、一瞬だけ目が合った。次の瞬間にはサーベルタイガーが横に跳び、着地のステップのまま向きを変えて跳びかかってくる。そのしなやかな動きは、さすがはネコ科だと思わせる。そんな分類がされているはずもないが。


 横に飛び退き、かわしながらも小盾で襲ってきた爪を受け流す。爪と小盾がぶつかると火花が飛び、お互いの身体が交錯した。



 余裕を持ってかわしたつもりだったが、足さばきがぎこちなくて爪が届いてしまった。やはりイメージより義足のバネが利いていないようだ。爪が掛かっていなければすれ違いざまに剣を振り下ろせたかもしれないが、小盾で受け流したために片持ちになった剣では、相手を捉える速さで剣を振れない。


「グルルル」


 サーベルタイガーが唸りながら身体をくねらせ、周囲を回り始めた。緑と黒の縞がくねる度に身体の輪郭がぼやけていく。実際にぼやけている訳ではなく、模様によって視覚を惑わす錯覚の様なものだ。


「せぁっ!」


 このまま眺めていてもジリ貧なので、こちらから距離を詰めて剣を振り込む。だが、サーベルタイガーは後ろに飛び退いてゆうゆうとかわし、再び周囲を回りだした。


 ならば、と背中に剣を担いで、振り返って後ろに向かって走り出した。離れてこちらを見ていたメゼリルがあわてて馬首をめぐらすのが見えた。すまないな。


「ガルァッ!」


 走りながら後ろを見れば、あっという間に迫って来ていたサーベルタイガーが、まさに跳びかかって来るところだった。

 そこで片手で背負っていた柄を両手で掴み、急激に踏みとどまってブレーキをかける。


「ふんっ」


 担いだ剣が踏みとどまった勢いをも乗せて振り上がる。鎧の背中に爪がかかって嫌な音をたて、下から振り上がった剣はサーベルタイガーの喉元へと突き刺ささった。

 飛びかかってくる勢いも加わって、皮を突き破った剣は喉からさらに奥へとズブリと突き込まれる。


「おわっ」


 飛びかかってくる勢いのままにサーベルタイガーは絶命し、剣をしっかりと支えていたせいで下敷きになってしまう。大きく開かれた口の、今にも噛みつこうとしていた牙から逃れるだけで精一杯だった。



「おつかれさま」


 サーベルタイガーの下から這い出すと、メゼリルが馬から降りて手拭を渡してくれた。


「この魔物はどうするの?」


 鎧にかかった返り血を拭っていると、メゼリルが聞いて来た。サーベルタイガーの換金箇所は、牙、魔石と毛皮が高く売れる。皮は傷も少ないのでいい値段が付くだろう。だが、3m以上はありそうな大物を、この場で解体作業を始めればそれなりに時間がかかってしまう。牙と魔石だけなら時間も手間もかからないが。


「ゴブリンの巣穴まではまだ遠いのか?」


「まだちょっとあるわね」


「なら、魔石と牙だけ抜いていこう。ちょっと待っててくれ」


 ここはまだ北の森の奥地だ。同行者だっているのに、欲につられて魔物の強いエリアでのんびりするべきじゃない。

 地面に横たわるサーベルタイガーをゴロリとひっくり返す。口で言うほどには軽くはない。胸を切り裂いて魔石を取り出し、口から牙を引き抜いた。


「待たせたな、行こうか」


「お金貯めるんじゃなかったの?」


「貯めるさ。少しずつな」


 取り出したばかりの魔石を、上に向かって放り投げる。落下してきたところをキャッチしようとして、手で弾かれて地面を転がった。あわてて拾い上げ、荷物の中にしまい込む。


「先は長そうね」


「それがとりえだからな」


 メゼリルはあきれたように言うが、無理をするつもりはない。冒険者をしている限り、危険は付き物なのだ。


 お金を稼ぐだけなら、別に危険な冒険者でなくともかまわないのだろう。だが、せっかく地球から異世界に来たのだ。たとえ危険があっても、この目で世界を見て、この手で世界に触れていたい。


 危険を許容するのだから、危険に対しては臆病でありたいものだ。



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