復路
「さぁ、行くわよ!」
「ブルルッ」
「いや、『行くわよ』じゃなくてだな」
翌朝、メゼリルと待ち合わせた、アメルニソスの茨の外壁にほど近い守護隊の詰め所へと向かった。やがて馬に乗ったメゼリルがやって来たが、その馬が問題だった。
「なんでムルゼがここにいるんだよ」
「そんなのナナゼ村から連れて来たからに決まってるでしょ」
近付くほどにどうも見覚えのある海毛だと思ったら、ムルゼだった。アメルニソスに連れて来たのも驚きだが、今まで黙っていたとは。一応、飼い主なのだが。
「そうじゃなくてだな、なんで言わなかったんだよ」
「アジフが義足を壊して困ってるって言うから連れて来たのに、来てみればもう義足を注文したっていうじゃない。なんだか言いそびれたのよ」
気まずそうにメゼリルが説明してくれた。なんでも、今まで守護隊の詰め所で預かってもらっていたのだとか。待ち合わせが詰め所だったのはそういう訳か。ムルゼを撫でてやると、気持ちよさそうに顔を寄せて来た。
「アジフさんに、メゼリルさん。もう出発されますか」
「ええ、そろそろ出るつもりです」
詰め所の前で話していると、中からフィンゼさんが顔を出した。出発前のあいさつは済ませていたが、実はすぐにまた顔をあわせる予定がある。
ナナゼ村では現在、エルフと人間が合同で洞穴の封鎖作業に取り掛かっているそうだ。エルフ側の人手は守護隊から出しているが、地下での作業はなかなか大変らしい。しかもドラゴンを刺激しないように静かに作業しているため、工事は思う様には進んでいないのだとか。
「数日したら、私もナナゼ村に行きますので。村長殿にもそう伝えていただけると助かります」
「わかりました。村でお待ちしています」
ヒューマンの言葉がわかるエルフの数は多くないので、ローテーションを組んで行き来しているそうだ。フィンゼさんもその中の一人というわけだ。村での再会を約束して、守護隊の詰め所を出発した。
茨の壁の門を守る衛兵にラヂェン隊長からもらった指輪を見せると、槍を立ててあいさつをしてくれた。ムルゼの手綱を引いてそのまま門をくぐると、周囲の光景が一変して普通の森が広がっていた。それまでが巨木ばかりの森にいたので、まるで自分が巨人にでもなったような錯覚を覚えた。
「エルフの森といっても、自然のままじゃないんだな」
周囲の森を眺めながら歩くと、来るときは気が付かなかったが実のなる木や生活の役に立つ使い道のある木が多い。
「当然よ。薪だって使うし、森の恵み無しで街は成り立たないわ。手入れは欠かせないもの」
森の奥を見渡せば、遠くで鹿の群れが走って行った。魔物の少ないおかげもあるのかもしれないが、獣の姿も多いように思う。周囲の森が都市を支える牧場でもあり、畑でもあるのだろう。
「森を見るのもいいけど、ちゃんと道も覚えてよね」
「う~ん、正直よくわからん」
森の中には人の行き来する小道がいくつもあるが、とても街道と呼べるような広さではない。獣道がちょっと歩きやすくなった程度だ。覚えるのは苦労しそうで、結界がなくても十分迷えそうだった。
ちなみに道を教えてくれるメゼリルは、ムルゼに乗っている。二人乗りを試してみたのだが、ムルゼがやや辛そうだった。まだまだ元気とはいえ、ムルゼも若くはない。無理をさせたくなかったし、新しく買った鎧が重いせいだと強硬に主張するメゼリルの意見もあって、案内されながら手綱を引いて歩く事になったのだ。
「おーい」
森を歩いていくと、行く先に手を振っているエルフが見えた。近づいてくるその姿には見覚えがある。
「ネントじゃないか。どうしたんだこんな所で」
「仲間の狩人が森でヒューマンを見かけたって言うんでな。アジフだと思って来てみたのさ」
誰かに見かけられていたのか。相変わらずまったく気付かなかった。エルフの狩人の気配の消し方には恐れ入る。
「おかげさまで義足も出来てね。これから帰るところなんだ」
「アジフ、知り合いなの?」
「ああ、ネントは森をさまよってる時に助けてもらった恩人なんだよ。こうして無事に帰れるのもネントのおかげと言ってもいいくらいだ」
「よせよ、照れるじゃねぇか」
ネントはなんでもないように手を振るが、実際世話になりっぱなしだ。なにかお礼ができるといいんだが。
「そうだ、たまにはヒューマンの酒でもどうだ? 良ければ今度持って行くが」
「そいつは悪くないが……そう簡単には来れないだろ」
「それがな、ナナナキヒ様に会って許しをもらってな」
「なんだって!?」
驚くネントに、腕の刻印を見せて迷いの森を抜けられるようになったと伝えると、さらに驚いた。
「まさかナナナキヒ様に会えるとはな。そんな何かありそうな奴には見えなかった」
「それについては同感ね」
「おい」
二人して言いたい放題言ってくれるが、言い返せないのがつらいところだ。いつか強くなったら、強者のオーラみたいなのが出たりするんだろうか。『むっ、こいつ……できる!』みたいな。剣術の稽古は続けているのだが、そんな貫禄が出てくる気配は一切ない。
「どうしたのよ? 急に素振りなんて始めて」
「いや、何かありそうな雰囲気を出していこうと思ってな」
「そういう事じゃないと思うぜ」
真顔で言われるとつらいものがあるな。別に困りはしないのでいいのだが。
「じゃあ、また顔出すから」
「ああ、待ってるぜ」
何気ないあいさつだが、今までは街を去る度に同じことを言っても心が痛かった。心からまた来る、と言えるだけで心に刺さった棘が抜けるようだ。
狩人の集落の場所を教えてもらい、手を振るネントに別れを告げた。また必ず来よう。いい酒を持って。
「良かったじゃない。知り合いが出来て」
「ああ、感謝はしたくないが、ドラゴンのおかげだな」
「あら、ドラゴンの取り持つ友なんて素敵じゃないの」
「あの顔を見たらそんな事は言えなくなるぞ」
未だに目を閉じただけで、ブレスを吐くドラゴンが幻視できる。寒気が走って、ブルっと身を震わせた。よく生きて帰ったよなぁ。
気を取り直して歩を進めていると、ほどなくしてメゼリルが足を止めた。
「この先が結界よ。わかるかしら?」
言われて目を凝らすと、行く手にうっすらと緑色のもやがかかっている。来たときはあんなものは見えなかった。
「何だか緑のもやがかかっているな」
「本当に見えているのね。あのもやは心配いらないわ。さあ、行きましょう」
徐々に立ち込めるもやに手で触れると、手首の刻印が薄く光を放った。刻印の部分がほのかに温かく感じる。そのまま突っ込んでいくと、もやが手を避ける様に流れていく。やがて周囲を囲まれるが、身体の周りをもやが流れるようにすり抜けていった。
「どうかしら?」
「ああ、大丈夫だ。メゼリルも見えているし、視界も正常だと思う」
来た時のようにすぐそばの人が消えたりはしない。方向感覚なんかは体感できないのでわからないが。
「さすがナナナキヒ様の刻印ね。今更だから言っちゃうけど、茨の壁も森の結界も、森の精霊との契約なのよ」
そう言えばネントもそんな事を言っていた。結界を張った本人(?)の刻印なのだから効果があるのもうなずける。
「精霊魔法ってやつか。すごいものだな」
「ナナナキヒ様は特別よ。それでも、これ程の結界はナナナキヒ様だけでは張れないわ。アメルニソスの樹精霊が力を合わせているのよ」
精霊魔法は属性魔法とは別の魔法で、精霊と契約すれば人がその力を借りることもできるらしい。ただ、いままで使い手に会った事はない。
結界の内部へ入ると、森は一見普通の森に見えるが、周囲は不自然な静けさに包まれていた。ときおり風が梢を揺らすが、他の物音はほとんどしない。風が吹いてもうっすらと漂うもやが流されないのが、なんとも不思議だった。
「他の生き物は入って来れないのか?」
「そうでもないわ。森は木だけじゃ維持できないもの。ただ、精霊に認められていない人や動物は無理ね。ほら、馬もそうでしょう」
ムルゼは手綱を引くこっちが真っすぐ歩いているにもかかわらず、ひっきりなしに方向を変えようとしていた。その度に手綱を引いて導いてあげなければならない。行きで体感したのでわかるが、ムルゼは真っすぐ歩こうとしているのだろう。
何度も向きを修正されるのはムルゼにとっても辛いはずだが、イラつく様子も見せずに素直に従ってくれる。やっぱりいい馬だ。
それでもやはり通常よりは疲れるのだろう。途中で何度も休憩を取り、メゼリルもムルゼの背から降りて歩きながら先に進むと、やがてかなり歩いた先でもやが途切れているのが見えてきた。ようやく迷いの森から抜けられそうだ。
「よくがんばったな」
「ブルッ」
ムルゼに声をかけると『もっと褒めろ』と言ってる気がしたので、顔を撫でてやった。
「森を抜けたら魔物に遭うかもしれないわ。用心してよね」
「おっと、そうだったな」
ここのところのんびりしすぎて平和ボケしていたかもしれない。それなりに稽古をして動きを確認していたとはいえ、新しい装備での初実戦となるかもしれないのだ。
真新しい鎧の装着具合を確認した。ここまで結構な距離を歩いてきたが、緩みは見られない。エルフの工房で作った鎧はなかなかの出来のようだ。義足にも不具合は見当たらない。
だが、実戦となれば何が起こるかわからないものだ。気を引き締め直し、もやの外へと足を踏み出した。
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