迷いの森
夜の森を、焚火が明るく照らす。オーク肉が焼ける匂いが漂い、脂の落ちる音が食欲をそそった。
ネントが言うには、エルフの狩人が暮らす集落は迷いの森の内側にあって、普段なら歩いて半日ほどの距離なんだとか。
しかし、片足で歩くペースに付き合わせたせいで、日が暮れても迷いの森にすらたどり着かず、夜営を余儀なくされていた。
勝手を知った森で肉にかじりつくネントには、周囲を警戒する様子は無いように見える。だが、ここまでの道中で見た索敵能力は恐るべきものだった。視界に入るはるか手前から魔物の接近を察知していた。
視力がいいだけでは、見通しの悪い森では説明がつかない。おそらくは聴覚系のスキルでもあるのか、もしくは単純に耳がいいのか。いずれにせよ、こうしてのんびりしている様に見えて周囲に気を配っているらしい。
「そうか、ゴブリンがなぁ」
「ああ、まさかロックリザードが出て来るとは、思っていなかったんだ」
男二人で黙っていても退屈なだけなので、これまでの経緯を話していた。
「そりゃそうだ。普通なら、ロックリザードのいる洞穴にゴブリンが住み着くなんてあり得ない。よっぽど周囲で暮らせない事情でも無ければ出て行くな」
「地上にできた集落ならこんなことには……」
言いかけて、ふと気になった。そう言えば村の周囲のゴブリン集落を片っ端から潰してたっけ。まさかそれで行き場がなくなって、魔物が強い北の森に逃げ込んだ……なんて事は、まさか、ねぇ
「どうした? 急にだまって」
「い、いや、何でもない。そ、それより、アメルニソスはアースドラゴンの討伐はしないのか? 迷いの森の近くじゃ危ないだろ」
「被害があるわけじゃないし、強力な魔物が住みつくのは森を守る一面もある。特にドラゴンは寿命が長いから、永く森を守ってくれるかもしれない。討伐はないだろうよ」
「森を守る……か」
アースドラゴンの凶悪な顔が思い浮かんだ。あれが森を守るようには思えない。
「変に他所から強力な魔物が流れてくるよりはマシってことさ。アースドラゴンは凶暴だが、周囲の環境を破壊するような魔物ではないからな」
エルフはドラゴンとの共存を選んだという事か。この辺りの考え方は
……いや、そうでなくてもドラゴンに挑むだろう。ドラゴンスレイヤーともなれば大変な栄誉だ。そもそもドラゴンなんて、そうそうお目にかかれるものでもない。ドラゴンスレイヤーになれる数少ないチャンスを求めて、腕に覚えのある者が集まるかもしれない。
「なぁ、なんだかアースドラゴンの居場所がヒューマン側に知れると、良くない気がしてきたよ」
「少なくとも俺達はありがたくないな。もしアースドラゴンが退治されて、狩場にヒューマンが乗り込んで来たらたまったもんじゃない」
もう、いっその事、誰にも言わずに黙っておいてもいいかもしれないが、それはそれでかなり危険だ。洞窟に入ってから何日たったのか正確にはわからない。だが、村では間違いなく騒ぎになっているはずだ。
「もし、俺の行方不明で何らかの依頼が出されたら、アースドラゴンが発見されてしまうかもしれない」
冒険者が行方不明になって、捜索依頼が出される事は滅多にない。それでもあの村長なら出してくれそうな気はするし、そうでなくてもあの洞穴をそのままにはできないはずだ。
「……そいつは面倒だな。あんまりのんびりはできそうにないか」
ネントは立ち上がって、服に付いたホコリを払った。
「どこかへ行くのか?」
「ああ、アジフの足に合わせてたら明日の日が暮れてしまうからな。一度集落に戻って馬を連れてくる。一晩一人でなんとかしてくれ。いけるだろ?」
「それは、かまわないが」
「明日の朝には戻る。ここで待っててくれ」
言うなり、暗闇の中へ走って行った。なんだか狩人っていうより忍者みたいだ。
一人残されたので、焚火の火を最低限まで小さくする。ネントのように広く警戒できないし、暗視もあるので見つかりにくい方がいい。
夜の森に身を浸すと、静かな中にも虫や小動物の様々な音がする。なんだか、このところずっと闇の中にいる気がする。真っ当な生活がしたい。帰ったら太陽の下で畑でも耕そう。
一人でじっと過ごす夜は、やがて朝日によって打ち払われる。森に差し込む光の向こうから、わずかに馬の脚音が聞こえてきた。
「待たせたな」
朝日の差し込む森の中、馬にまたがって現れたエルフの姿は、まるで一枚の絵画のようだった。くそっ!かっこいいじゃねぇか。
「何だ、そんなににらんで。魔物の襲撃でもあったのか?」
「いたって! まったく平和だったよっ!」
「? へんなヤツだな」
首をかしげるネントにくつわを持ってもらって、馬の背に飛び乗った。
「一頭しか連れて来なかったのか?」
「馬は自力では迷いの森を越えられない。誰かが手綱を引いてやらなくてはならないから、一頭しか連れて外にはでられないのさ」
「乗っていてもダメなのか」
「ああ、まったく言う事を聞いてくれなくなる」
「手間をかけるな。すまん」
「気にするなと言ったろ。さぁ、行くぞ」
振り向きもせず言うと、手綱を取って歩き出した。その足取りは片足で歩くのに付き合わせた時とはまるで違う。森の中を軽やかに歩いていく。その速さに、馬も自然と速歩になった。
道も何も無いというのに、整備された街道を進むようなペースで景色が流れていく。これではたとえ足があってもついて行けるはずもない。わざわざ馬を取りに戻るのも納得いく速さだ。
「ここからだ」
ネントが足をゆるめ、馬もそれに合わせて速度を落とす。やがて足を止めてこちらを振り向いた。
「この先が迷いの森なのか?」
行く手を見通してみるが、見た目にはなにも見えない。ただ変わらず森が続いているだけだった。
「そうだ。馬にしっかりつかまっておけ」
「わかった」
鞍の出っ張りに手をかけてしっかり握り締める。こんな時だが、どんな森なのか正直楽しみだ。
手綱が引かれて馬が歩き出すとすぐに、先を行くネントの姿が陽炎のように掻き消えた。
「ネント!?」
「なんだ」
立ち止まったネントが振り返って答えた。手綱を持ったまま変わらぬ姿がそこにある。
「あれ? お前、いま消えなかったか?」
「森の見せる幻だ。この先は見えるモノも見えないモノも信用しない方がいい」
言うだけ言って、何事も無かったように再び歩き出すと、すぐにまたネントの姿が消える。それでも馬は、手綱に引かれて右へ左へ方向を変えながら進んでいった。
何度も繰り返し方向を変えるうちに、すっかり現在地がわからなくなってしまう。ろくな目印もなく、とても覚えれるような順路ではなかった。幻影に加えて複雑な順路で侵入者を惑わす仕組みなのだろうか。
そのまま数時間歩き続けて、一度休憩になった。ネントの持っていた水が尽きたためだ。
「水よ、ウォーター」
馬とネントに水を出してやりながら、身体を伸ばす。
「ずいぶん複雑な順路なんだな。迷いの森の名前通りってわけか」
「いや、曲がったのは数回で、ほとんどはまっすぐ進んできてるぞ。森の結界の効力で、曲がったように感じさせられているだけだ」
「感じさせるって……そんな事ができるのか!?」
「詳しくは言えないが、平衡感覚を狂わせてるのさ」
視覚だけでなく、平衡感覚にまで干渉されていたのか。まったく気が付かなかった。ネントは言わなかったが、この分では他の感覚にも干渉されていてもおかしくない。恐ろしいのは、干渉されているとまったく気が付かない事だ。
「目は閉じるなよ。落馬するからな」
言われた言葉にただうなずき、馬の様子を見て出発する。その後も幻の崖に突っ込んでいったり、見えない沼や地面の割れ目を回避したりしながら先を進む。馬に乗っているだけだが、何が起きているかさっぱりわからない。
何しろ、本当に危険を避けているのか、避けたように感じているだけなのかもわからないのだ。
「ほら、見えてきたぞ」
ネントが指さす先には、森の外れに五軒ほどの家が寄り集まっていた。ようやく迷いの森を抜けたらしい。
木でできた柵で囲われている集落の家々は、木造だが建ててからの年月を感じさせる立派な家だった。
だけど、ただ馬に乗っていただけにもかかわらず、なんとかうなずいて返すのが精一杯なほどに疲れきってしまっていた。感覚に干渉された影響なのかもしれないが、昨夜の徹夜もあって意識がもうろうとするほど疲れてしまっている。
ネントの家に案内され来客用の部屋に通されると、そのままベッドに倒れ込んだ。
そのまますぐに眠ってしまい、途中で誰かが声をかけてきた気もしたが、翌日の朝まで目を覚ます事なく眠り続けてしまったのだった。
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