生存
岩に手をかけて身体を引き起こす。その先に見えたのはわずかだが、確かに光だった。
「よっしゃ!」
手を握り締めてバランスを崩し、あわてて岩にしがみつく。ようやく洞窟の出口へとたどりついたのは、洞窟の中で二回の睡眠をとった後の事だった。
その間、口にしたのは水だけだ。背負っていた荷物はドラゴンに投げてしまったし、魔物を食べようとしても、火を焚けばアースドラゴンに気付かれるかもしれない。さすがに生でかじりつく気にはなれなかった。
空腹が胃を締め付けるが、見えた光に元気を取り戻して岩を登って行く。片足ではそう簡単には進まない。それでも一つ、また一つと岩を登る度に光は少しずつ強さを増していった。
もう岩を掴む握力もない。腕を引っ掛けて身体を引っ張り上げる。最後の岩をよじ登ると、正面から風が吹きつけてきた。
ちょっとした広場ほどの大きさになっている登り坂の向こうに、夕暮れに染まった空が見えた。
足がこんな状態でなければ駆け出していたかもしれない。剣を突いて一歩ずつ歩いていくと、出口からは夕焼けに染まった森が見えた。
「~~~!!」
声にならない叫びをあげて、握り締めた片手を夕暮れの空へと突き出した。
外の空気を胸いっぱいに吸い込んで地上に出れた喜びをかみしめたが、洞窟の出口から外をのぞくとげんなりしてしまった。出口になっている割れ目は、崖の途中にあったからだ。
「まだ登れっていうのか」
崖の端から上をのぞくと、上は10mほどの崖だ。反対に下は20mほど切り立っている。崖を下るのは難しいので、ここは上に登るしかないだろう。
周囲にはいくつか山も見えて起伏のある地形のようだ。その地形に見覚えは全くない。今どの辺りにいるのか見当もつかなかった。
ともかく今は、この洞窟から離れなければならない。洞窟の端から崖の窪みに手を伸ばすと、手がプルプルと震える。先のない足もさぼらせるわけにはいかない。両手両足を使って身体を押し上げていく。
「おっとッ」
吹き付ける風が身体を押し、不意にバランスが崩れる。命綱も何もない。落ちたらただではすまないだろう。
だが、崖は垂直に切り立っているわけではない。ほんの少し斜度がついている。わずかな傾きに体重を預けながら、岩の出っ張りから出っ張りへと伝っていく。
「ふぅ」
岩棚に生えた小さな木に足を引っかけて一息ついた。あと少し、あと少しでこの崖登りから解放される。人生でこんなに崖を登ったのは初めてだ。この教訓を胸に刻もう。『降りたら登らなくちゃならない』と
「くぉぉぉっー!」
崖の端に手をかけて、最後の気合を入れて身体を持ち上げた。平らな地面へと大の字に横たわり、荒く息をつく。登り切った達成感と、ようやく洞窟を脱出できた安心感に身を浸す。
空を見上げると夜空に星が瞬き、顔を横に向けると緑の草木が目に入った。
岩だらけの光景から久しぶりに見た緑は、暗い地下から命あふれる世界に帰ってきたと思わせてくれる。
だが、今は空腹をなんとかしなければならない。森での生活も長いので、食べてもいい草は見分けがつく。近くに生えていた毒消し草の葉っぱをむしって口に入れると、青臭い苦みが口に広がった。生で食べるような物ではないのだ。
「水よ、ウォーター」
それでも、水で苦味ごと飲み込みながら、食べられる草を摘んで口に入れた。それで多少は空腹が紛れたが、草ばかり食べていても力が出ない。何かないものかと、夜の森をかきわけながら山を下っていく。
崖を回り込んだ斜面を下りながら、途中でちょうどいい枝を見つけて杖を作った。枝葉を切り落としただけの棒だが、少なくとも剣よりは杖として優秀だ。
「ウォォォォーーーーーン」
歩いていると、遠くで何かの遠吠えが聞こえてきた。それに応えるように別の場所からも遠吠えが響く。狼系の魔物だろうか。
「オォォォーーーーン」
今度は少し近い位置で遠吠えが上がった。これは見つかったかな。坂を下るペースを少し上げる。鎧も無ければ義足も無い。正直、戦闘になったらどこまで戦えるかわからない。それでも、魔物が徘徊する夜の森で戦わずに済むとは思ってはいなかった。覚悟を決めるしかないだろう。
タタタッとかすかな足音が聞こえた。どうやら追いつかれたようだ。複数を相手にするのに、斜面で上を取られると厄介だ。斜面の中でも、できるだけ平坦な地形を選んで剣を抜く。
「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション」
鎧の無い今は、守りの魔法が頼みの綱だ。夜の森をいくつかの影が走り回る。獲物を攪乱する動きなのだろうが、暗視スキルで見えている。フォレストウルフで数は……5・6匹だろうか。
フォレストウルフなら片足でもなんとかなりそうだ。杖にしていた枝を置いて、剣を抜いて地面に刺した。
「グルルルル……」
フォレストウルフは様子をうかがうように、周囲をぐるぐると回りはじめる。片手で剣の柄を持ち、もう片方の手は柄尻に添えた。
ん? 森の奥にもう一匹、デカイのがいるな。離れていても、他のフォレストウルフにくらべて明らかに二回り大きい。ダイアウルフか。恐らくあれが群れのボスだろう。
「ガウッッ!」
森の奥に気をそらした隙をついて、二匹が左右から同時に襲いかかってきた。柄尻に力を入れて、梃子の要領で切り上げる。魔力を流されたマインブレイカーは、両手剣とは思えない軽さでひるがえって右から来た一匹を下から切り上げ
「キャウッ」
そのままの勢いで左から来た一匹を両断した。
間髪置かず、前からも二匹が襲ってくる。
「よっと」
剣を振り降ろした体勢のまま、片足でピョンっと避けた。そこへ後方から来ていた三匹目が地面を蹴って方向を変えて襲ってくる。
やっぱりいたか、そんなこったろうと思った。避けざまに剣を横に薙いで、前方の二匹を牽制しつつ、後ろから来ていた一匹を切り払った。
「とと、」
振り払った剣をそのまま地面に刺して体を支える。その体勢のまま前の二匹をにらみ付けると、二匹はジリっと退がった。
「アォォォーーン」
後方で鳴き声が上がり、前方にいた二匹がパッと散った。ようやくおでましか。三日月の薄い月明かりに照らされて、一際大きな狼がゆっくりと姿を現す。久しぶりに見たが、やっぱりデカイ。
「ガルルゥゥゥ」
仲間を殺されて警戒したのか、唸りを上げて体勢を低くする。こちらは後ろに剣を引いたまま、じっと構えた。
目と目が合って、お互い動かないまま時間が過ぎる。
お互い譲ることはできない。それは名誉でも無ければプライドでもない。ただ喰うか喰われるかの、生きる為の戦いだった。
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