餌付け


 周囲には敵しかいない。この状態で矢を放たれれば確実にゴブリンの同士討ちになる。だが、そんなことはお構い無しに矢は放たれた。


「くっ」


 とっさにしゃがんで矢をかわす。アーチャーの数は多くない。二匹のゴブリンに味方の矢が突き刺さった。


 しかし、敵前でしゃがんでしまって隙だらけだ。チャンスとばかりに、正面にいたホブゴブリンが長い棍棒を振り下ろしてくる。ひざをついてなんとか剣で受け、体をひねって受け流しつつ、立ち上がり様に剣の柄でホブゴブリンの横っ面を殴りとばした。


 ホブゴブリンが吹き飛んで、ソーサラーとの間に空間が見えた。一転してこちらのチャンスだ。ソーサラーは次の呪文の詠唱に入っていたが、呪文が完成する前に距離を詰めてやる。

 一歩、踏み出したその視界の端に、オレンジ色の光が目に入った。



 とっさに身体をよじる。横方向から飛んできた火球が、身体のギリギリを通過した。もう一体マジシャンがいたとは。足を止めてかわしたその一瞬はわずかな時間だったが、ソーサラーが呪文を完成させるには充分だった。


「%$#%&%$!」


 杖を横に払いながら聞き取れない呪文を唱えると、目の前に火の壁が出現した。火の壁ファイアーウオールの魔術とはゴブリンのくせに生意気な。

 しかも、ここで分断されるのはかなり厳しい。後方にはまだまだ残るゴブリン。そちらを相手にすれば、火の壁の向こうから背中に向けて魔術が飛んでくる。


 火の壁を迂回するしかない。そう思って振り返ろうとしたが、火の壁の向こうでソーサラーが割れ目の前に設けられた木の台へと向かうのが見えた。


 ユテレに何かする気なのか、こちらの狙いがユテレだと気付かれてしまったのか。わからないが、どのみちユテレに手を出させるわけにはいかない。こうなったら、もう覚悟を決めるしかない。


「メー・ズロイ・タル・メズ・レー プロテクション!」


 後方から襲ってきたホブゴブリンの棍棒を受けながら、守りの魔法の発動を確認して、膝を曲げながら息を大きく吸い込んで呼吸を止めた。


「……!」


 ホブゴブリンを押しのけながら、後方に向かって背中から火の壁に向かって思いっきり飛び込んだ。

 目を閉じて身体を丸める。身体を熱風と刺すような痛みが襲い、長く感じる一瞬が過ぎ去ったあと背中から地面に転がった。


「ぐはっ」


 息を吐き出して、手をついて立ち上がる。火の壁の厚みは1mほど。身体のあちこちが熱く焼けている。それなり以上の火傷は負っているだろうが、火傷なら動けないことはない。ダメージの確認は後にして、ユテレが置かれた台へ向かう。


 そこで見たのは、ソーサラーがユテレの後ろに立ち、こちらをむいて浮かべた邪悪な笑みと、さらにその背後に現れた大きな魔物だった。



「メー・レイ・モート・セイ ヒール」


 のんきに笑ってるなら、遠慮なく回復させてもらおう。背後の魔物は見たことがない種類だが、かなり大きい。寸胴な身体のヘビに短い手足が付いたような見た目で、前脚をついた状態でも頭の位置がゴブリンの頭よりも高い。体表を覆うウロコは見るからに硬そうだ。

 アレはゴブリンの切り札なのだろうか。まさか、ゴブリンが餌付けして魔物を飼いならしたとでもいうのか。


 だが、そんな事はどうでもいい。アレがどんなに強敵だろうと、もはや何も関係ない。


 相手が強そうだからと言って、横たわるユテレを前に引き返せはしない。どの面下げてケジデに『全力を尽くした』などと言うのだ。もとより前に進む以外の選択肢などないのだ。


「はぁ」


 ため息を一つついた。約束なんて軽々しくするもんじゃないなぁ。



 剣を肩に担ぎ、一歩踏み出す。台の上では、ソーサラーがユテレに杖を向けていた。脅しのつもりなのかもしれないが、詠唱を終わらせる前にかたを付けてやる。それにのんびりしていては、火の壁を回り込んで他のゴブリンが来てしまう。


 ホブゴブリンのソーサラーと視線がぶつかりあう。その背後で魔物が口を大きく開け、ソーサラーの頭へと噛みついた。


「へ?」


 想定外の展開に虚をつかれて、変な声が出てしまった。魔物は、そのままホブゴブリンを咥えあげた。頭を丸ごとくわえられたホブゴブリンの手足がバタバタと動き、<ゴキュ>と鈍い音がするとビクッと身体が震えて動かなくなった。そのままホブゴブリンが頭から飲み込まれていく。


 一瞬の後、《ハッ》と我に返った。状況がわからないからといって、ぼけっとしている場合ではない。あの魔物がなんであれ、ユテレの身が危険なのは変わりがないのに。


 魔物が口をモゴモゴとさせている間に、台の上に上がってユテレに近付く。近くで見る限り、身体に大きな異常は見られない。気を失っているだけのようにも見える。

 すぐにでも手足の縄を切ってやりたかったが、魔物が接近する存在に頭を低くして警戒を見せた。


「せいッ!」


 ユテレをまたぎながら飛び越えて、警戒する頭部へ向けて剣を横へ薙ぐ。魔物は身体をくねらせてナナメ後ろへと避けた。見た目通り、あの短い手足は機敏に動けないのだろう。逆に太い胴体は、見た目以上に自由に動くようだ。



「グギャギャ!?」


 後方でゴブリン共が騒ぐ声が聞こえる。ソーサラーが喰われたのは、あいつらにとっても想定外の事態なのだろうか。

 しかし、これはこれで厳しい状況に変わりはない。背後に縛られて床に転がるユテレを守りながら、前面の魔物の相手をしつつ、ゴブリンに周囲を囲まれる。戦況だけなら、むしろ悪化したと言ってもいい。



 こちらの一瞬のためらいを見透かしたかのように、目の前の魔物が口を開けて襲いかかってきた。小さく鋭い歯が口内に並んでいるのが見える。大きさの割に鋭い一撃に、剣をナナメに構えて受けるのがやっとだった。


「くっ」


 しかも、体が大きいだけあって、一撃が重い。後方に弾かれ、たたらを踏む。その足にユテレを縛る棒が<コツン>と当たった。これ以上退く訳にはいかない。地面を踏みしめたそこに、ゴブリン・アーチャーの矢が飛んできた。

 すぐさま体を横に回すと、鎧が矢をそらした。単独でゴブリンの引く弓など、正面から受けなければそれほどの威力はない。


 それにしてもゴブリン共も、首領らしきゴブリンをこのトカゲっぽい魔物に食べられているのだから、そっちを攻撃すればいいと思うのだが、薄情な連中だ。



 アーチャーの矢は大したことはないのだが、どうしても受けるのに動きが止まってしまった。そこに魔物が身体をぐるっと横回転させて、尻尾を薙ぎ払ってきた。寸胴な身体の尻尾は、もはや体当たりと言ってもいい。避けられるタイミングでもない。


「でりゃぁぁっ!」


 避けられないならば、と上段から剣を回して全力の一撃で迎え撃つ。


<ギャキッ>

 鈍い音がして、剣身が魔物のウロコを叩き割る。しかし、その下の肉を切り裂くには威力が足りなかった。

 そのまま尻尾が振り切られ、壁際までふっとばされる。


「ぐはっ」


 衝撃に地面を転がりようやく止まった場所で、ゴブリン・アーチャーがびっくりして飛び退いた。肺から空気が絞り出されるが、寝っ転がっているヒマはない。意地で手落とさなかった剣を振るって、ゴブリンアーチャーの胴を横薙ぎに両断した。



 すぐに台の上を見ると、魔物が台の上で下をじっと見ている。ユテレを見ているようだが、手を出させるわけにはいかない。

 なりふり構わず剣を手放して、地面に転がるゴブリンアーチャーの上半身を魔物に向かってぶん投げた。



 ゴブリンの上半身は血をまき散らしながら回転して放物線を描く。台の上に居座る魔物が振り向いて、素早く口でキャッチした。



 そしてそのままバリバリと食べてしまったのだった。



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