no,4
「逆らうのか、葵!」
ドンと背中を壁に叩きつけられ、彼は一瞬息を詰まらせた。
薄暗い室内。廃工場の元事務所を勝手に使っているため、天井の明かりなどは灯っていない。
僅かな光源となっているのはLEDのライトや趣味で誰かが持って来た蝋燭ぐらいだ。
おかげで暗い。
本当に暗くて……この場で行われていることなど黒く塗りつぶされそうだ。
「逆らう訳じゃない。でもな……そんな子供を騙して連れて来るのは趣味じゃ無いって話だ」
「はんっ! 家出娘を連れて来て何が悪い? こんなガキなんざ駅前で声掛けてればすぐに拾えるよ」
東京ならいざ知らず、地方都市のこの場所でそんな簡単に拾える訳が無い。
相手が熱心にスマホを覗いて何かしていたのは知っている。
その成果がこれなんだろう。
胸元を掴まれ壁に叩きつけられた葵は、視線を動かしそれを見た。
ガタガタと震えて身を縮ませている少女は……どう見ても未成年だ。高校生と呼ぶのすら躊躇われる。
「行き場の無いお前を拾ってやったことを忘れんじゃねえよ」
「忘れてはいないがやることを選べと言ってるだけだ」
「はんっ! やることを選べだって? お前が選んだ結果はどうだったんだよ葵?」
「……」
「学校に居れなくなって、家からも逃げ出して……流石葵さんは見る目が違いますな~」
「……」
「お前をどん底まで叩き落としたあの女な? 新しい男を作って楽しんでるってよ。まああんなメンヘラビッチを心底心配した葵様のことだ。そこの馬鹿のことも心配したんだろ!」
男が地面を蹴ると蹲っている少女が過度に驚いて震えた。
小さな石でも飛んでいき当たったのかもしれない。
言いようの無い恐怖と暴力を前に……少女はただ怯えて泣いているしかなかった。
「女なんて男を裏切る生き物なんだよ。だから男はいつ裏切られても良いように楽しんでおくんだ! 分かったら邪魔すんじゃねえよ!」
「分かったよ」
「そうそう。最初から大人しく言うこと聞いてれば、俺の次に遊ばせてっ」
「言葉が通じないみたいだな」
全力の右拳を相手の顔面に叩き込んで交渉を打ち切った。
後方へ吹き飛び転がった男は動きを止める。
それを一瞥して葵は蹲る少女の元へと駆け寄った。
「一人で逃げれるな?」
「……ぁい」
「ならちょっと待て」
倒れている男のズボンを漁り、畳まれている紙幣を抜き取る。
それを葵は少女の手の中にねじ込んだ。
「それで家に帰れ」
「でも」
「あとのことは心配するな。二度とこんな怖い目を見たくなかったら両親の言うことを聞いて真面目に生きろ。でも人の話を鵜呑みにして疑わないのもダメだ。疑って信じて……俺と違う良い人生を過ごせ」
「……はい」
力強く頷いた少女を葵は裏口から送り出した。
ぼちぼち買い出しに行ってる仲間たちが戻って来る筈だ。
厄介なことになった。もう本当に厄介過ぎてどうしようもない。
「どうしてこうなるんだか」
「……あ・お・い!」
「がっ」
不意の一撃に意識が飛びかけた。
背後から何かを、思いっきり叩きつけられたことぐらい分かる。
激痛に顔をしかめ身構えた彼の目に……倒れていた男が椅子を持って立っていた。
「お早いお目覚めで」
「ああ? 殺すぞお前!」
「……やれよ。反撃はするけどな」
「なら死ねよ!」
振り回される椅子を掻い潜り葵は必死に頭の中をフル回転させた。
現状は最悪だ。場合によっては死ぬ可能性すら出て来た。運が良くて骨折数か所か。
それでもやってしまったことに後悔は無い。やらずに後悔するくらいならやって後悔する方が良い。
斜め上行く結果を伴わないのが前提だが……自分の運の無さを痛感している葵は諦めていた。
「いい加減に死ね!」
両手で椅子を頭上に掲げる相手を見て、葵は迷うことなく前進する。
低い位置からのタックルが相手の腰に決まり、美味いことバランスを崩すことに成功した。
吹き飛び窓ガラスに背中を打ちつけた相手は……そのまま上半身を窓の外へと躍らせた。
今居る場所は一階だ。
落ちても問題は無かったはずだが、葵は相手を掴もうと必死に手を伸ばしていた。
相手が倒れ込む先は……確か廃棄品らしきガラスが大量に置かれている場所だったからだ。
伸ばした手が空を切り、上半身を窓の外へと躍らせた男の背後から、バリバリバリと嫌な音が響き渡った。
窓枠に引っかかった相手の下半身が、二三度痙攣するかのように動いて……静かになった。
呼吸を整え、覚悟を決めて覗き込んだ先に見えたのは……赤黒い色の液体が広がる光景だった。
間もなくして帰って来た仲間と、誰かの通報を受けて飛び込んで来た警官たちの騒動の中で……葵は自分の運の無さを嘆いていた。
そして運悪く、一人だけその場から逃げ出すことに成功してしまったのだ。
「痛い!」
「っく!」
相手に放ったデコピンが……思いもしない反撃となって葵の身に襲いかかって来た。
全身を切り裂くような絶望という名のフラッシュバック。
自信が犯した罪をまざまざと見せつけられて、顔面を蒼白させた葵は床に崩れた。
「神に対して恐れ多い行為をした罰だ」
「性悪過ぎやしないか?」
「ふざけたことを言うな。その悪夢は君が恐れている物の形だ」
「……それを見せるのが性悪って言ってるんだよ」
額を押さえて怒っている神に、彼は何処までも悪態を止めない。
(C) 甲斐八雲
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