no,5
「前に冗談で言いましたよね? 俺が別の場所から来たって」
「ええ。酷い冗談だったわね」
「あれって本当なんですよ。俺は全てが嫌になって高い場所から飛び降りたんです」
「……」
恐る恐る顔を上げた彼女の頬は、やはり涙で濡れていた。
「死んだと思ったのに……神に拾われて神官にさせられてこの場所に捨てられた」
「えっ? ならあの時の怪我は?」
「神に投げ捨てられて頭から石にぶつかったんでしょうね。そうしたら優しい商人さんが助けてくれた。自分を記憶を失った人だと思い込んで色々と教えてくれた親切にしてくれた」
「……本当なの?」
「ええ。でもそれを証明する方法が無いので俺が言える言葉は『本当です』ってことだけ」
「そう。アオイは死んだのね」
「ええ。死んだんですけど……神の気まぐれでこの通りです」
「神様って嫌なことをするのね」
「だから俺は神を恨んでいる神官なんですよ」
「んふふ。本当に君って凄いのね」
泣き顔が笑顔に変わった。
もしかしたら彼女は泣き止んで欲しいから吐いた、嘘か何かと思っているのかもしれない。そうアオイは思っていた。
それならそれでも良い。ただ自分は正直にありのままを語っただけだ。
「ならおねーさんも凄い秘密を君に言うわね」
「聞きましょう」
「……私、君のことを好きになったみたい。どうしよう?」
「それは困った告白ですね」
「ええ。凄く困ったわ。あれだけ体を売ったからもう無いと思っていたのに……君が欲しくて堪らなくなって来たの。ちょっと我慢出来ないほどに」
「ちょっエスーナさん」
しな垂れかかっていた相手の力が強まりアオイはベッドの上に押し倒された。
上のポジションを押さえた彼女は自分の上着に手を掛けて……ゆっくりと脱ぎ出そうとする。
『ヤバい食われる。嬉しいけどヤバい』と、純粋にアオイはそう思った。
「ダメ~!」
「のわっ!」
突然飛び起きたサラが、エスーナに飛びつき彼女をアオイから引き剥がす。
ベッドの上に転がったエスーナは声を立てて笑い出した。
「アオイに何しようとしてるんですか!」
「盗み聞きしてる悪い子に罰を与えただけよ?」
「盗み聞きなんてしてません! 寝ようと思ったら……その……」
「職業が盗人だから仕方ないんだよな? ある意味習性」
「そうその通りです!」
「それって盗み聞きを肯定してるわよ?」
「……違うのに~!」
頭を抱えて必死に自己弁論するサラが相変わらず馬鹿で見てて飽きない。
ベッドの上に座り直したエスーナは、クスクスと笑ったままアオイを見た。
「おねーさんは待てる女なので、君がそうね……こんなおねーさんでも相手して良いかなって思ったら誘ってくれるかな? 初めては一番気になる人とが良いでしょ?」
「あれ? 俺ってまだ女性経験が無い子扱いですか?」
「あらあったの? その事実を知ったらサラちゃんが凍り付くわよ」
「凍り付きません! それにどうしてアオイが女性経験があるくらいでわたしが凍り付くんですか!」
全身をビキビキに硬直させて彼女はそうのたまう。
やれやれと肩を竦めるアオイは、疲れた様子でベッドの上に転がった。
「もう良いから寝ろって」
「そうね。明日もお仕事だし」
エスーナはいそいそと移動してベッドの真ん中で寝ている彼の隣にその身を横たえた。
「って、アオイ! 真ん中はわたしです!」
「もう動くの怠い」
「怠いじゃ無いんです! 動いてください!」
馬乗りで襲いかかって来た相手を軽く抱き締め、彼は自分の隣……エスーナとは逆側に相手を降ろす。
「あ……アオイ?」
「もう眠い」
「あの~離してくれないと……」
彼に抱きしめられたままのサラはギュッとその身を固くしていた。
上半身を起こしてその様子を確認したエスーナは、そっと彼の背後から抱き付くと目を閉じた。
「おやすみなさい。二人とも」
「はいおやすみ」
「ちょっとアオイ……離して下さい。恥ずかしいです」
「煩い。黙って寝ろ」
「そんな~」
でも結局サラはそのまま眠った。
自分の立てた計画が悉く失敗している現状に男は焦っていた。
借金の返済日は近づいている。
一発逆転の冒険に来たら幸運にも昔買った女が居た。ツイてると思った。
強請って銭を手に入れるはずだった。ついでにまた抱いて気持ち良くなるはずだった。
それなのに、
「どうしてこうなる?」
村の外れで男は頭を抱えていた。
「こうなれば」
「はいおしまい」
「がっ!」
突然感じた頭部への激痛に男の意識は飛んだ。
「……気づいたか?」
「お前は!」
「はい。あの村で有名な神官です」
「俺に何をした!」
「一発殴って気絶させた。怪我はヒールで治してあるから心配無い。今は誰も来ない森の奥で、お前を木に縛り付けてこれを掛ける所だ」
「……何だよそれは!」
「樹液だ。虫が良く集まるらしい」
木桶の中に満たされた蜜を見せながらアオイは薄く笑う。
その様子に相手が本気であると男は察した。
「これを掛けて放置して行く。集まった虫たちが……お前に何をするかは数日後に様子を見に来て確認すわ」
「止めろ! 止めてくっ」
猿ぐつわを噛ませて木桶の中身を相手の頭の上から流し掛ける。
そしてアオイは、相手の首を片手で掴んだ。
「俺の身内を食い物にしようとした罰だ。死んで償え。神官だから死んだら祈りの一つでも奉げてやるよ」
もう用済みとばかりに彼はその場から離れた。
離れていく神官の背中に男は必死に声を張り上げた。
くぐもった声が森の中に木霊する。だが相手は全く振り返らずに離れて行った。
「趣味の悪い拷問だ」
「キッシュか」
離れた場所で男の様子を窺っていたアオイはその声に心底驚いた。
「あれがサラの言っていた店主に手を出そうとしていた男か?」
「正解」
「……あの様子だともう少しで精神が壊れるな」
「ああ」
壊れる寸前まで助ける気は無いのだろう。
その様な状態まで追い込まれれば、あの男はもう普通に生活など出来なくなる。
相手の本気を感じ取ったキッシュは、ポンポンと彼の肩を叩いた。
「見て止めなかった。私も同罪だ。だからこのことは秘密にして欲しい」
「分かった。なら俺も同じ願いをするよ」
「分かった。私の命に代えても他言しないと誓おう」
キッシュはそう答えてナイフを一本投げた。
縛られたロープから解放された男は、その場で泣き叫び……恐怖のあまりに真っ白になった髪の毛を激しく搔き毟ると、そのまま逃げていった。
その男が何処に行ったのかは誰も知らない。
唯一分かるのは二度と村にやって来なかったという事実のみだ。
(C) 甲斐八雲
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