六章 『全てを売り尽した商人』

no,1

 噂となってそれは広まった。

『金さえ払えばエスーナは抱かせてくれる』と。


 冒険者の中に広まったその噂であったが、誰もが食堂で確かめようとして挫折する。

 カウンターの席に陣取る"神官"が、常に大金を山と積んで噂の商人と交渉を繰り広げていたからだ。


「だから高過ぎるっしょ!」

「昔と違って今はお店の準備もあるから、私が抜ける分……誰か雇わないといけないの。分かる? この村には一般の人なんていないから、雇うとしたら近隣の街からになるの。その諸々の経費とか込みにするとこの額になるのよ」

「大丈夫。この使えない馬鹿を好きに使っても良いからどうか!」

「……ならその子を抱きなさいよ。借金で逆らえないんでしょ?」

「そんな支配してあるのを抱いてもつまらないでしょ! どうか!」


 ドンとカウンターに銭の詰まった袋を乗せる。

 間違いなく大金である。

 彼の隣に座る美人だが頭の方が……と、広く知られている少女が目を剥いている。


 もちろんそれは偽の銭では無い。アオイが依頼をこなして得た金だ。

 彼が素材集めを専門に行っているのは有名な話だ。商人かと思うほど大量に素材を納品する様子に、誰もが『知られていない素材の群集地を押さえているのかも?』と疑っているほどだ。


 ちなみにアオイはそんな地など押さえていない。

 ステータスMaxレベルの収容量を武器に手当たり次第に集めて放り込んでストックしている。

 間違いなくこの食堂に来る者の中でトップの稼ぎ頭……それがアオイなのだ。


「もうこれでどうですか?」

「ほ……本当にどれだけ稼いでるのよアオイ?」

「まだ出ますよ? 俺は武器や防具に金を使わないし、回復は自前ですしね。使うのは服に下着、それと日々の食費と部屋代だけですから」

「そうね。でもこれほど積まれると……」


 相手をからかう為に冗談で誘ってことは何度もある。

 でもそれは相手が絶対に応じないと確信があっての冗談だった。


 それが毎日の様に銭を山積みにして誘って来る。

 自分を買うのにはそんな大金など要らないと、そんなに高い女では無いと叫びたくなるほどの金額でだ。


 積まれる額が凄すぎてエスーナは彼の誘いに応じられない。

 必死に言い訳を重ねてどうにか拒否する日々だ。

 その結果……噂を聞いた冒険者たちも声を掛けることが出来ずにいる。

 アオイほどの金額をおいそれ出せる者など居ないのだ。


「ちっ……今日の所はこれで勘弁してやる。でも明日は絶対に買うからな」

「あ~も~! サラを抱いて満足してよも~!」


 どうにかアオイの誘いから逃れたエスーナはカウンターの中で呻いた。


 しかし余程慣れていない現状だからだろう……彼女は気付いていない。

 サラがニコニコと笑いながら二人のやり取りを見守っている事実にだ。

 普段の彼女なら青筋を浮かべて怒り出すはずの状況なのにだ。




「もうどうしたのよアオイは? サラって実は男とか?」

「あれほどの胸が偽物とか無理だ。むしろ男を疑われるのは私の方だ」


 アオイの現金攻撃のおかげで最近は店じまいの準備も遅くなっていた。

 食堂の手伝いをしているキッシュは不満など言わずに日々手を貸してくれる。

 エスーナとしてはその事実が内心辛かった。


「本当にごめんなさいね。こんな遅くまで手伝って貰って」

「構わない。サラフィーに頼まれているからな。店主こそ演技とは言え毎日大変だな」

「頼まれた? 演技? いったい何のこと?」

「……今のは私の失言だ。気にせず忘れてくれ。では拭き掃除を終えたので私は部屋に戻る」

「ちょっ……ちょっと!」


 そそくさと逃げ出すようにキッシュは食堂から消えた。


 相手の言葉を噛み締めて……エスーナは気付いた。

 忘れていた。あのアオイは基本"善人"なのだ。


「そうか……」


 涙がこぼれる。


 こんな自分の為に身を案じてくれる人が居た。それを手助けして支えてくれる人が居る。

 自分が決して得ることの出来ない、手に入れられないと思っていた物があった。


 初めて得た"仲間"と言う存在。

 勝手に自分がそう思っているだけなのかもしれないが、そう思ってしまうほど相手の優しさが嬉しかった。


「もう本当に……人が良いんだから……」


 流れ落ちる涙が止まらない。

 暖かくて嬉しい感情が胸に溢れて辛い。

 床に膝を降ろし、手で口を押さえ嗚咽を隠し……エスーナは涙を流し続けた。


 あの夜の話を聞いて、自分の過去を知って、そんな無理をしてくれているのが嬉しかった。

 人が嫌いだ。係わりたくないと言っているのに。


 理解出来れば最近の謎が全て氷解して行く。

 冒険者たちの視線が異様なまでに集まっている気がしていた。

 ただアオイが熱心に交渉して来るのを見つめているのかと思っていた。

 それにしては下卑た嫌な視線だと思ってたのだが、どうやら自分の過去が知られてしまったのだろう。


 護ろうとしてあんな馬鹿な交渉を日々繰り返しやっていたのだ。

 あれだけの金額が詰まれ断られている現状なら他の者が交渉に名乗り出ることは無い。

 次に考えられるのは、実力行使のはずだ。


『……なら甘えても良いかな? アオイ』


 少女のような笑みを浮かべエスーナは素直に相手の優しさを甘受することにした。




(C) 甲斐八雲

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