no,3
煌々と輝く月明りのおかげで照明など必要としないほど明るい夜だ。
それだけにこっそりと話をしている二人の様子が良く見える。
アオイたちは息を殺してその様子をジッと見つめた。
「まさかお前がこんな場所に居るなんてな~」
「しつこいわね」
「おいおい。"上客"だった俺様に対して言う言葉か?」
「過去の話よ。今の私は自分を商品にしてない」
「はっ! 笑わせるな。ヘッツェンの街で『相手をしてない男は乳飲み子ぐらいだ』とまで言われた娼婦が偉そうに」
相手の言葉に腕を組んで立っているエスーナからどす黒い何かを感じた。
アオイはその気配を知っていた。
だからこそ迷うことなく抱きかかえている馬鹿の尻を思いっきり叩いた。
「いったぁ~! アオイ! 何するんですか!」
「うっさい! 来た早々部屋を汚しやがって! さっさと水を汲んで掃除するぞ馬鹿!」
「アオイ? 何のこ」
「人が優しくしてれば良い気になるなよ馬鹿が」
投げつけられた木桶にサラは全力で回避した。
結果としてその姿が先に居たエスーナたちに見られる格好になった。
「と……悪い。話でもしてたか?」
「終わったところよアオイ。それより時間も遅いから騒がないで」
「悪い。この馬鹿が本当に馬鹿だから馬鹿と言いたくなっただけだ」
「馬鹿馬鹿馬鹿言い過ぎです!」
「はいはい。水汲んで戻るぞ馬鹿」
「もう……何なんですか……」
ウルウルとその瞳に涙を浮かべてサラは木桶を抱える。
アオイはエスーナに視線を向け、改めて気づいた様子で近くに居る男にも目を向けた。
中年の……パッと見、人の為になる仕事はしてそうにない人相だ。
職業がシーフなどなら天職だろう。
「悪い。井戸を使いたいんだ」
「けっ。勝手に使いな」
バツが悪そうな表情を浮かべて男が立ち去った。
塩でもまきたい気分に駆られながら、アオイは自然を装って……井戸へと向かう。
「アオイ」
「ん?」
少し顔色の悪いエスーナの声に足を止める。
嫌々と言うか、渋々と言うか……自らがまた犯した"お人好し"にアオイは内心頭を抱えていた。
「……あとで食堂に来て」
「はいよ」
逃げるように駆けて行く商人を見送り、アオイは深くため息を吐いた。
とりあえず気晴らしにサラをイジメることとした。
「悪い。待たせたか?」
「大丈夫。飲んでたから~」
カウンターの席に座り、ワインを飲んでいた彼女は出来上がっている様にすら見えた。
顔を真っ赤にさせて、普段見せないふにゃっとした気の抜けようが不安になる。
立ち話もあれだからとアオイは彼女の隣の椅子に腰を下ろした。
「……アオイ」
「ん」
「ありがとうね」
「何のことやら」
「気づいてたんでしょ?」
抱き付いて来た彼女は緩くしている上着の隙間をこれでもかと見せつけて来る。
胸の谷間が凄い。そしてその間に隠されている物が凄い。
「最悪は誘ってそのナイフでグサッと?」
「んふふ。気づいてのね」
「あんなに危ない気配を漂わせてればな」
「んふふ。そんなのも分かるのね~」
谷間のナイフを抜き取り、彼女はそれを適当に放った。
出来たらこの場から逃げ出したいアオイだったが、巧みに抱き付く相手を振り払うことが出来ない。
スタイルの良い相手だから逃げる気も最初から少ないが。
「つまり最初から聞いてたの?」
「……後半ぐらいじゃないですか? 娼婦が~とかその辺ぐらいしか聞いてないですよ」
「そう。まあ最初は相手の確認とそれから逃れる押し問答だったから」
「それは聞いてないですね」
「正直なのね」
悲しそうな表情を浮かべて……彼女はアオイの胸にすがり付いた。
その様子はいつもの明るくて優しい店主には見えない。
傷つき疲れ果てた一人の女性がそこに居た。
「ねえアオイ?」
「はい」
「おねーさんの愚痴に付き合ってくれる?」
「愚痴だけなら」
「あら? こんなに弱っている状態なら、ちょっと優しくしてくれれば何でもしちゃうかもしれないわよ?」
「酔っ払いとそんなことをする趣味は無いですよ。何よりあとで凄い額を請求されそうだ」
「んふふ。しないわよ……だって私は"便所"と呼ばれて蔑まれた女なんだから」
ズキッとアオイの胸が痛んだ。
それが当然だったとばかりに言う相手の言葉に嫌なことを思い出す。
「私の生まれは酷い場所だった。娼館街と呼ばれるところで私の親もたぶん娼婦とその客の誰かのはず。そんな場所で私は産み落とされて捨てられた」
「……」
「私を拾ったのは女の子の乳飲み子を拾って、育てて売ることを商いにしている老夫婦だった。その人たちに拾われ育てられて、ヘッツェンの街の娼館に売られて娼婦になった。でも私はいつかその生活から抜け出して一人で生きて行こうと決めていた。だから毎日の様に男性の相手をして必死に頑張った」
話し相手であるアオイから離れた彼女は立ち上がると……その服に手を掛けて脱ぎ始める。
普段から長袖と長ズボンの彼女の服装の謎が解けた。
綺麗なのは顔と胸元ぐらいで、後はこれでもかと無数の傷跡が彼女の肌を覆っているのだ。
「これが私の最初の商品。自分の体を売ることで……売れるものを全て売りつくすことでようやくこの店と今の生活を手に入れたの」
全てを晒して微笑む相手は綺麗だった。
どんなに蔑まれても自分の信念のもとに頑張り貫いた女性がそこに居た。
それだけにアオイは直視できない。
自分は全てから逃げ出して……自死したのだから。
(C) 甲斐八雲
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