no,4
「ねえアオイ?」
「はい」
「アオイは……しばらくここに居るの?」
「特に予定は無いので居ようかと。パーティーは組みたくないので生活するには素材集めで稼がないといけないですし」
壊れた椅子の賠償は求められず、むしろ『済まなかった』と新しいワインを渡された彼はそう答えた。
エスーナは少し腕を組んで考え込むと……おもむろに彼の手を握って来た。
両手で包み込む様にして強い力でだ。
「お願いがあるの」
「……話は聞きましょう」
「そのヒールをこの店で使って貰えないかしら? もちろん有料で。山分けで」
「山分けって言うあたりが流石商人と思いますね」
「でも悪い話じゃないでしょ? 休憩すればスキルの使用回数は回復するのだから、アオイは損しない」
「……最低限以上の人付き合いをしたくないんですけどね」
「そこはどうにかするから……ダメ?」
カウンターに身を乗り出し上目遣いで覗き込んで来る。
相手の首元から覗く胸の谷間が暴力的なまでに交渉を後押しして来る。
『いつの間にそんな武器を仕込んだのだろうか?』とアオイは考えつつも視線は釘付けだ。
だってまだ17歳。いくら人付き合いが面倒でもそっちの方には興味津々だ。
「ねえ? ダメ?」
「……」
体を突き出して来る動きで相手の服が乱れる。
広く開かれた首元からははっきりと胸の谷間が。
そして気づいた。胸に何も下着の類が見受けられない事実を。
「もしお願い聞いてくれたら……もう少し身を乗り出しちゃうかもしれないわよ?」
「……」
ガン見している時点で相手に気づかれているのは覚悟の上だ。
それなのにそれを交渉材料にする大人の女性は絶対にズルい。
「……使用回数がまだ少ないので、回数が増えたらで良いですか?」
「今何回?」
「2回です」
「スキルレベル1なのかな? そうね……こっちも準備とかあるし、増えたらお願いしても?」
「宿屋に居る時で毎日でなければですけど」
「承諾」
ズルッとエスーナは身を乗り出す。
治ったはずの頭の怪我がズキッと疼いた気がした。
頭に血が上り過ぎたのかもしれない。
アオイは今見えた物を心の奥深くに刻み付けた。
「アオイは何処から来たとか覚えているの? 確か神官は何処かの山の麓で多く生まれるって聞いたことがあるんだけど」
「……記憶に無いですね。厳密に言えばここが何処なのかも知らないですし」
「結構重症ね」
乱れた服を手早く直し、エスーナは何事も無かったかのように会話している。
「まあここはまだ名前も無い村よ。そのうち村長みたいな人が出来たら名前が付くわ」
「ふ~ん」
「一番近い街からは歩いて三日って所かしら? たぶんアオイも歩いて来たと思うわ」
「記憶に無いですけどね」
彼は腕を組み少し考えた。
『もし自分が異世界から来た者だと正直に告げたらどうなるのか?』と。
エスーナは悪い人には見えない。ただ腹の中までは分からない。自分のヒールを商売に使おうと考えるほどだから根っからの善人と言う訳では無いのかもしれない。
ただ相手の思考……商人は金儲けすることが仕事だから納得は出来る。
これ以上深く係わらず、持ちつ持たれつぐらいが丁度良いのかもしれない。
「実はここだけの話なんですけど……」
「ん?」
「俺って異世界から来たんです」
「……大丈夫?」
酔い過ぎたのかなと心配気な視線で相手がこちらを見て来た。
予想の出来た反応だ。
「頭は大丈夫ですよ。怪我も中身も」
「突然そんなことを言われてもね……」
「ですよね」
「ねえアオイ? 異世界ってどういう意味なの?」
「……こことは違う世界ってことです」
「ごめんなさい。それがまず解らないわ」
それは想定して無かった。
確かに言われてみればその通りだろう。
異世界とは別世界と言う概念があって初めて成立する言葉だ。
相手にその概念が無ければ?
地球がお盆の上に存在する世界だと思われていた頃の人に、『この世界は球体ですから』と説明するのに等しい行為だ。
「そっか……前提が違うんだな」
「どうしたの?」
「いえ。記憶が無い以上に付加価値でも付けようとしたんですが……ダメっぽいですね」
「……おねーさんはからかわれたのかしら?」
「胸を見せて純情な青年を弄んだ罰です」
悪びれた様子も見せず、アオイはそう言う方向でこの話題を誤魔化すことにした。
アルファベットを知らない人に英語を説明するのに等しい行為などただの拷問だ。
なら前の世界のことなど気にせず活動して行こう。
彼の言葉に怒った様子を見せるエスーナだったが、どうやら少しやり過ぎたと認めたのか……その顔に笑みを浮かべてワインに手を伸ばした。
「まあ生まれとかどうでも良いじゃないですか。記憶無いんで」
「そうね。別に誰が困るって話でも無いけど……一つだけ確認して良い?」
「記憶無いですけどね」
「アオイは……犯罪者?」
「うわ~。どう答えても証拠を出せない質問だ」
お手上げとばかりにアオイは両手を頭の上に掲げた。
小さく舌を出したエスーナが仕返しとばかりにそんなことを言ったのが伝わって来る。
このまま会話を続けると変なチキンレースになりそうだが……アオイはせめてものと思い最後の一撃を繰り出すことにした。
「そんなにイジメて来ると……若い体を持て余す俺が夜這いなんて行為しちゃいますよ?」
「別に良いわよ? ただし高いサービス料を請求するけど……おねーさんに溺れてみる?」
「出来たら若い子が良いんで遠慮しときます」
うんうんと頷いたエスーナがカウンターを乗り越える勢いで殴りかかって来た。
(C) 甲斐八雲
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