振り返った彼女と、振り返らなかった僕と

回道巡

振り返った彼女と、振り返らなかった僕と

 僕の横を、ちらりとこちらへ視線を向けながら、制服を着た男女が追い越していく。

 反対の側では、発売したばかりのゲームの話で盛り上がる三人組の男子生徒が小突きあっていた。

 何度も見た、いつもの登校風景。この坂を登りきった所にある県立高校を目指す、いつもの朝だ。とりわけ今日は暑い日だからか、歩きなれた道であっても足がだるくて重く感じる。

 「――?」

 三人組の内の一人、明るめの茶髪を無造作に整えた男子生徒が、訝しそうにこちらをチラ見してくる。制服のボタンは上まで律義に止めているくせに、妙にチャラい髪形が鼻につく。

 「なんだよ……」

 「っ!?」

 口の中だけで小さく呟くと、それが聞こえたのか気まずそうに目を逸らされた。そんな態度をとるなら始めから見て来るなって思うのは僕がおかしいのか? それとも朝から友達と盛り上がる彼からすると、一人で黙々と歩く僕はそんなに物珍しいと言いたいのだろうか。

 

 そいつだけじゃない、さっきの男女で仲良く歩いていたあいつらもそうだったし、他にもちらちらとこちらを見てくるように思う。多分気のせいじゃない。

 視線を気にしすぎ、といわれてしまうかもしれないけど、どうしても気になるのだから仕方がないじゃないか。

 なかでも……、とりわけ大きな存在感というか、気になる視線を背後から感じる。いつもだ、この坂に差し掛かるあたりで、いつも背中へ鋭い視線を感じるようになる。

 確認すればいいじゃないかって?

 いやだよ、怖いじゃないか。というか、何度も振り返ろうとはしたけど、実行できたことはない。そうしようと思うたびに、振り返った瞬間目の前にはこちらを凝視する大きな一対の目が……、という妄想が僕の身体を竦ませる。

 

 「あっ……」

 思わず喜色を声にも出してしまって、さらに周囲のチラ見を誘ってしまった。いけない、いけない、気を付けないと。

 けど、うれしくて声が出るのは悪い事じゃないと思う。少なくとも鬱屈とはしていない。何がそんなにうれしいのかっていうと、目線の先にある輝かしい彼女だ。彼女といってもお付き合いしている相手っていう彼女じゃなくて、三人称代名詞としていう彼女だ。

 僕の前、十数メートル先を歩く、低い位置の二つ結びが可愛らしい後ろ姿のあの子。

 中城なかしろ里美さとみさん。中学でクラスメートだった子で、まともに話したことは数えるほどもないけど、僕はあの子にずっと憧れていた。一見地味で、勉強のよくできる秀才だけど、話すと明るくて話題も豊富だから、いつも友達に囲まれていた。

 初めはうまく友達を作れない僕からすると、純粋に憧れる対象だった。けど目で追っているうちに、気付けば憧れの“異性”となっていた。……だからといって中学の間に告白どころかロクに話しかけることすらできなかった訳だけどね。

 

 そんな中城さんだけど、密かに親近感を覚えている部分もある。それがこの朝の登校だった。

 どういう訳だか複数人連れ立っての登校が多いあの高校だけど、中城さんは僕と同じく一人で歩いてこの坂を登っている。高校入学当初は何人かのグループだったはずだけど、日ごとにその人数は減って、気付けば僕と同じく独り歩きになっていた。離れてみる限りだけど、学校内で浮いているとかってことはなさそうだから、単純に一人での登校の方が都合がいいのだろうと思っている。そういう意味では、そもそも一緒に登校する人がいない僕とは違うけれど。

 「でもサトミちゃんも大変だよねぇ、す――」

 「ちょっと!」

 「――あ、あははは、えっとぉ、何だっけ?」

 また別の、今度は二人組の女子生徒が気楽そうに話しながら横を追い越していった。サトミちゃんって、もしかしたら中城さんの話でもしていたのだろうか? まあ校内に二人や三人いても不思議ではない名前だし、あいつらに話しかける気もないから確認する術はないのだけど。

 というか、あの黒髪眼鏡の女子生徒もなんだっていうんだ。楽しそうに話していたくせに、僕の存在に気付くと露骨にあんなことを言って。あの「ちょっと」にはその後「あのボッチ野郎がいるよ、きもーい」とでも続くというのか?

 いや、内心で勝手に被害妄想をこじらせてもいいことは無いな。落ち着こう。

 

 一旦落ち着くと、改めて背後の視線が気になる。鋭さが強まってきている気がする。とはいえやはり怖くて振り返ることはできない。

 

 何となく落ち着かなくなって、坂を歩き続けながらも視線をさまよわせる。左――目を逸らされた。右――最初からこっちなんて気にせずバカ話に盛り上がっている。前――中城さんは綺麗に背筋を伸ばして歩いている。姿勢は綺麗で凛としているけど、結った髪の先は一歩ごとにひょこりと揺れて可愛らしい。

 中城さんの後ろ姿に癒されたけど、一度落ち着かなくなった心は中々凪いではくれない。

 そうだ、こういう時のために……。

 「よしよし」

 服の上から胸のあたりを押さえて、思わず安堵の声が漏れる。周りの視線なんて今はどうでもいい。ここには僕のお守りが入れてあって、その感触を確認するといつだって安心できる。

 お守りの感触をなぞるようにして、何度か指先を往復させると、ようやく完全に落ち着いた。周囲のやつらの態度も、背後からの怖い視線も、全部そのままだけど精神的に落ち着くっていうのは大事だと思う。

 

 「とっ」

 焦ったせいか、歩調が早まっていたようだった。いつの間にか中城さんの背中が数メートル先まで近づいていた。変に近づきすぎて嫌われないように、いつもは十数メートルの距離を保っていたのに。

 「……っ」

 「――」

 「~~~?」

 周囲の制服を着た生徒たちの注目を集めてしまっているような気がする。お守りを服の上から撫でていたから? 無意識にぶつぶつと独り言をいう癖のせい? それとも中城さんに近づきすぎたせいか?

 「あ、れ……? みんな、どこをみて……?」

 ふと、こっちに向かっていた視線が一斉に逸れたのを感じた。その逸れた先は、僕の後方へと向かっている。

 そう、ずっと気にしていた僕の後ろ、だ。そしてその後ろからの鋭い視線はさらにさらに強まってきているような気がする。ますますと怖くて振り返れない。振り返ってしまうと、とても怖いものがそこにいる、そんな確信だけが強まっていく。

 段々と恐怖心が強まって、お守りを服の上から撫でているだけでは安心できなくなってきた。パーカーのジップを下ろして、その内側にひもでうまく吊るしたお守りを直に触れる。木製の柄の手触りの良さが、少しだけ落ち着きを取り戻させてくれた。

 「え……?」

 振り返った中城さんの、戸惑った声。そう、振り返った、中城さんの声。突然足を止めてこちらを振り返った中城さんは、困惑を絵に描いたようなぽかんとした表情を見せてくれる。

 「あ、そうか」

 後ろを向いて、パーカーの中に手を突っ込む男が立っていたら、それは不審がるよね。それに考えてみれば日差しを避けたくてフードも目深にかぶったままだった。これでは僕だとわかるはずもない。

 お守りからは手を放さず、逆の手でさっとフードを後ろに降ろした。最後に切ったのがいつかわからない髪はぼさぼさだけど、当然顔を覆い隠すほどではないから、これで顔ははっきり見えるはずだ。

 「あ、え? あ……あぁ」

 大きく開かれていた中城さんの口唇が歪んでいく。それは恐怖、それから嫌悪の形をしていた。

 「な、んで……、あんたが……、転校、していった、はず……」

 ああ、ストーカーだのなんだの濡れ衣を着せられた時の話か。

 「お父さんっ!」

 突如としてらしくない金切り声を張り上げた中城さんが、僕の背後を、そうあの視線の主を縋るように見る。

 「やっぱりお前だったのか、このストーカー野郎がぁっ!」

 後ろから、怖い、とても怖い大人の男の声が、僕への敵意を今や隠そうともしない罵声として浴びせられる。

 「ひ、ひぃぃぃ」

 情けない声を上げてしまいながらも、我慢ができなくなった僕は、さっきから握りしめていた包丁を抜き放った。刀身は太陽の光を反射して綺麗に輝いている。まるで中城さんの笑顔のようだった。

 後ろは怖い、後ろの声は、きっと僕にひどいことをする。

 前には中城さん。ちょっと地味だけど可愛くて、明るくて、優しい、僕の太陽。

 太陽の光を反射するその刃を、僕の太陽の中へと、すっと刺し入れた。それは暖かく、僕だけが知ることになった、感触だ。

 

 最後まで振り返らずに、前だけを向いた僕は、振り返った彼女に追いついた。

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