2.良いものも悪いものも還って来ます


8月と言ったら皆さんどのような行事を想像するでしょうか?


夏祭り、海水浴、花火大会……


夏休みの定番とも言える楽しい行事が盛り沢山ですね


でも、それだけではないのです


だからこの日、私は一緒に暮らす人間さん達と一緒に出掛けていました。




「うわぁ、暑い……。」


クーラーの効いた車から降りると同時に誰となく呟きます


この日も気温は35度を超え


さらに言えばここは直射日光の降り注ぐ屋外です


この時点で一気に体から汗が噴き出して上着が張り付くような感覚を覚えるとともに


クーラーの効いた車内に向けてUターンしたくなる衝動に駆られます。




それでも気力を振り絞って歩くこと1分程度


普段私が生活している部屋を縦横に何十と並べたような広大な敷地の中に


等間隔で石が積み上げられている不思議な場所に辿り着きました


お盆まで後数日


私は、お世話になっている人間さん達のご先祖様のお墓の掃除にやって来たのです。




お盆と言う行事を知っているでしょうか?


年に1度だけ、8月の真ん中辺りの時期に3日間


あの世からご先祖様達が戻って来ると言う風習で


今日は戻って来た時に代々の墓が汚れいているとご先祖様が悲しいでしょうから


戻って来る前に綺麗にしておこうという事で


家から車で30分ほどのところにある霊園にやって来ているのです。






広い霊園の敷地の奥の方まで歩いて行き


お世話になっている人間さんのご先祖様のお墓の前に立ちます


「この天気じゃ雑草もこうなるか。」


義兄がお墓の様子を確認して言います。




ちなみに家族のように扱ってもらっていますが


あくまでお世話になっている人間さん達とは血の繋がりはないので


ここでは義兄や義母と言った表現で表させてもらいます。




梅雨明け以来全く降らなくなった雨による乾燥と


連日続く35度前後の気温のせいで


お墓の前の砂利を敷き詰められたスペースは


例年なら夏の日差しを受けて青々と雑草が生い茂っていますが


今年は見事に立ち枯れして茶色い姿を晒していました。




すっかり枯れてパリパリになった雑草達を引っこ抜き


墓石を水で洗い流し


シキミや線香、お供え物と言ったものを並べ


一通りの作業が終わる頃には全員が汗だくになっていました


まあそれも、霊園には屋根と言うものが存在せず


大きな木等の木陰もないために


この気温の中、作業中はずっと直射日光を受けていたせいです。




前髪から垂れて来た汗をぬぐって


恨めしそうに空を見上げます


するとあれだけ強烈に照り付けてた太陽が何かに遮られるように弱まり


「っ!?」


一瞬のうちに辺りが薄暗くなりました


気が付けば空は降って沸いたかのように黒い靄のようなもので覆い尽くされていました。






自然の現象では絶対にありえない状況です


そうと気付いた時には私は頭の上のキツネ耳とウサギ耳、2対の耳に意識を集中します


ただの人間より遥かに優れた聴覚はあってないようなかすかな音を感知し


隣にいた義兄を突き飛ばします


それから一瞬だけ遅れてその場所に細い線が奔ります。




振り向くとそこにはやつれた羽織袴はおりはかまに身を包んだ顔のない男の姿が


その顔のない頭部も、刀を振り下ろしたかのように前に突き出された腕も何故かほとんど存在感を感じさせず


袴と足に至ってはその中ほどから薄っすらと空気中に溶け込むように消えていました


「ルサンチマンです。皆さん、下がっていてください。」


静かな墓地に私の声が響きます。




「ルサンチマン」、人間の負の感情から生まれた存在で


基本的に意思の疎通は不可能、元となった感情のおもむくままに周囲の生物を傷付ける行動を取ります


その姿は多種多様で、基本的に感情の対象となった相手を意識するかのようなものになると言われていて


今回の場合はお盆と言う行事における、色々な人の先祖へのイメージから


少し昔のものっぽい衣装を着た幽霊のような男


と言う形になったと思われます。




ルサンチマンは害しかない存在であるために


見かけたら即刻排除する事が推奨すいしょうされますが


感情から生まれた精神的な存在であるルサンチマンには


一部の特例を除いて物理的な手段で干渉する事が出来ないと言う問題があります


特例とは、刃物で傷付けられた事に対する恨みから生まれたルサンチマンなら


刃物でのみ傷付ける事が可能と言ったような、元となった感情に根差した手段を取った時です。




では、そう言った手段が取れない時はどうするのか


物理的な手段が効かないのなら、こちらも精神的な手段を用意するのです


と言っても難しい手段ではありません、負の感情に対する正の感情をぶつけるのです


正の感情とは純粋な想像や夢と言った力が含まれます


だからこそその使い方は単純、純粋に想像力を働かせるだけなのです。




「邪魔を、しないでねー。」


うさきつね族は狐の血が流れているので狐火ぐらい簡単に扱える


何の根拠もありませんが、そんなものなのです


けれどもそれを信じ、そこに迷いがなければその想像イメージを扱うには十分すぎます


だから強く想像します、揺らめく炎の姿を


すると固く握った掌の間から一般的な炎からイメージされる赤でもなく、コンロ等で見られる高熱の青でもない


不思議な菫色すみれいろをした炎があふれ出して来ます。




腕を横薙よこなぎに一閃


振るわれた手に合わせて帯状に炎がはし


すぐ横にいた羽織袴の男を包み込み音もなく焼き尽くします


炎が消えた跡には何もない空白だけが残されていました。




想像さえ出来るならば、炎だろうが風だろうが何だって生み出せるでしょうし


その気になれば物理法則を捻じ曲げたり、時間に干渉したりだろうと何だって出来るでしょう


しかしながら、誰しも無意識にこれは出来るこれは出来ないと自分の中でイメージを決めつけてしまうので


実際に出来る事と言えば心の底からこれは出来るのだと信じ切れる一部行為だけに留まっています。






私が想像イメージの力を使ったせいか


羽織袴の男達の意識が一斉にこちらを向きます


そこに織り込まれているのは正の感情に対する悪意のみです


それらを一身に受けて私の背が一瞬すくみますが


ルサンチマンに対抗出来るだけ想像イメージを扱えるのはこの場では私だけ


決して逃げるわけにはいけません。




何人かの男達が悪意を弓から放たれた矢のように撃ち出して来ます


霊園の砂利を跳ね上げながら地面を転がりそれを回避


そこに悪意の塊を刀の様に構えて2人の男が飛び掛かって来ます


「クリスタライズシールド!」




名前を付けると言う事は想像イメージをそれだけ定着させる力を持ちます


だから一部の得意な想像イメージには固定の名前を与えておいて


咄嗟とっさに使用出来るようにあらかじめ準備しています


雪の結晶の様な複雑な模様が空中に浮かび、振り下ろされた悪意の塊を受け止めてくれます


それを解除してすかさず反撃に移ります


「よいしょ、スノーボールでーす。」


拳大の大きさの雪の玉がいくつか私の目の前に作られ


接近していた2人の男達に向けて撃ち出されます


あまり質量を感じさせないその体が撃ち抜かれて2人とも風に吹かれるように消滅していきます。




私が自分に抱いているイメージは「雪」


何故かは知りませんがこれが一番しっくり来るので使い続けています


むしろ、狐火を除けば雪以外のものを自由に扱えるほど想像イメージすることが出来ませんでした


だけど1つでも「これ」と言えるものがあるだけで十分です


雪の結晶で敵の攻撃をはじき、雪の玉で敵を1人ずつ撃ち倒して行く


ちょっとした日常を守るだけなら、これだけでも十分すぎるのです。






数分後


霊園に出現してたルサンチマンは全部消滅し


ルサンチマンの出現と同時にその場に停滞してた形になるほどではない負の感情の集まりもどこかへ流れ去り


負の感情で暗く見えていた空もすっかり真夏の暑い日差しを地上へ届けていました


沢山動いて、大量に想像イメージの力を働かせて


すっかり汗だくになってしまった私は家族の方へと向かいます


「お待たせしました。さぁ、帰って昼ご飯にしましょう。」


そう提案し、霊園を後にするのでした。

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